華麗なる転身を遂げた、アメリカ車黄金期を象徴するラグジュアリーカー【名車のセオリー Vol.7 キャデラック】

  • 文:鈴木真人
  • イラスト:コサカダイキ

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テールフィンが最大化した1959年型キャデラック エルドラド。「黄金郷」を意味する名前の通り、人々の限りない願望をデザインに昇華させた傑作モデルだ。

時を経ても色褪せず圧倒的に支持され続けるモデルを紹介する、連載シリーズ「名車のセオリー ロングヒットには理由がある」。第7回で取り上げるのは、アメリカンドリームを体現する高級車のキャデラック。煌びやかでゴージャスなクルマは、先端技術を詰め込んだ先進モデルでもあった。

富と名声を得た成功者が手に入れる高級車、アメリカンドリームの象徴、ロックスターが乗り回す派手なクルマ――。キャデラックに、いまも多くの人がもっているイメージである。間違いではない。誰もが真っ先に思い浮かべる1950年代のキャデラックは、世界のカーデザインの最先端を走っていた。しかし、デザインだけで語るのは不十分だ。アメリカのゼネラルモーターズ(GM)の中で、最も多く最新技術を取り入れてきたのがキャデラックなのだ。量産型V8エンジンやV16エンジン、シンクロメッシュ機構、ダブルウィッシュボーン式前輪独立懸架、パワーステアリング、ヘッドランプの自動調光システム、エアコンディショナーなどが挙げられる。なかでも画期的だったのは、1912年に採用されたセルフスターターである。それまでエンジンの始動は人力で行われており、大きな力を必要とする上に事故も頻発していた。自動車を誰もが運転できる乗り物にした功績は、大いにたたえられるべきだろう。

世界初となるセルフスターターを採用したキャデラック タイプ30。アメリカのメカニックエンジニア、チャールズ・フランクリン・ケタリングによる発明で、この技術はイギリス王立自動車クラブ(RAC)に認められ、自動車業界のノーベル賞と言われるデュワーズトロフィーを獲得した。

キャデラックが誕生したのは1902年。設立したのは、ヘンリー・フォード・カンパニーのチーフエンジニアだったヘンリー・マーティン・リーランドである。08年には、世界で初めてイギリス王立自動車クラブ(RAC)の部品互換性テストをクリアし、部品の標準化を達成した。09年にキャデラックはGMに買収され、高級車ブランドを担うことになる。リーランドは17年にGMを離れてリンカーン社を設立し、22年にフォード傘下に入った。アメリカの高級車ブランドとして並び立つキャデラックとリンカーンは、同じ人物によってつくられたのである。第二次世界大戦が終わるとアメリカは大量消費社会となり、自動車は購買意欲の対象として脚光を浴びる。その頂点に立ったのがキャデラックだった。この印象があまりにも強烈で、キャデラックのブランドイメージが形づくられたのだ。エルヴィス・プレスリーが乗っていた「ピンク・キャデラック」こと55年型のキャデラック フリートウッドは、わかりやすいアイコンである。

55年型のキャデラック フリートウッド。エルヴィス・プレスリーが乗っていた「ピンク・キャデラック」は、グレイスランドの自動車博物館に展示されている。2019年公開の映画『ゾンビランド:ダブルタップ』では、エルヴィスマニアの主人公が乗って新たな世界へと旅立った。

エルヴィス・プレスリーはアーサー・ガンターの「Baby, Let's Play House」をカバーした際、“You may get religion”という歌詞を“You may have a pink cadillac”に替えて歌っている。この時期のキャデラックに採用されていた巨大なテールフィンは、ロッキードの戦闘機P-38 ライトニングにインスピレーションを受けたものだと言われる。48年モデルで控えめに使われた装飾は年々エスカレートし、59年に頂点を極める。空力的にはまったく意味のない形状だったが、その影響はヨーロッパや日本にも及んだ。アメリカ車の黄金期のシンボルとなったゴージャスな意匠である。しかし60年代に入るとテールフィンは急速に縮小し、消えてしまった。虚飾が必要とされない時代になり、あからさまに見栄を張ることは悪趣味と考えられるようになったのだ。2019年公開のアメリカ映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で、レオナルド・ディカプリオが演じる落ち目のハリウッドスターが乗っていたのは1966年型のキャデラック ドゥビル クーペ。過去の栄光にとらわれた男というキャラクターを見事に表現したセレクトだった。

グローバル志向に舵を切った、アメリカ発の高級車ブランド

66年型のキャデラック ドゥビル セダン。49年にクーペモデルが登場し、59年にセダンシリーズと統合された。日本ではデビルと表記されていたが、“悪魔”と誤解されることから「ドゥビル」と呼ぶようになった。後継モデルのDTSは“DeVille Touring Sedan”の略である。

初代セビルは駆動方式がFRだったが、この2代目からはFFに変更。ドゥビルも6代目からFF化された。キャデラックではFFが標準となっていくが、新世代モデルのXLRとCTSはFRの仕様だ。

2018年公開のポール・ダノの初監督作品『ワイルドライフ』では、成金男がピンクの1949年型ドゥビル クーペに乗っていた。また同年のアカデミー作品賞を受賞した『グリーンブック』で、コンサートツアーのために用意されていたのはドゥビルの4ドアハードトップバージョンだった。フランス語で「街の」という意味をもつ“de ville”が車名の由来だ。1975年に発売されたキャデラック セビルは、このダウンサイジングモデルになる。73年のオイルショックで燃費が重要な指標となり、合理的な思想をもつメルセデス・ベンツやBMWといったドイツの高級車に対抗する必要があったからだ。セビルは新世代のキャデラックとして好感され、ヒット作となる。80年に発売された2代目モデルは、駆動方式にFFが採用された。アメリカでも、見た目を飾ることよりも実用的な性能が重視されるようになってきたのだ。新しい時代の高級車をつくるという意欲は感じられたが、唯一無二の存在感が失われたのも事実である。

初代CTSは日本にも輸入された。ウインカーレバーを日本車のように右側に付けるなど意欲的だったが、販売台数は伸びず。東京タワーに近づくと電子機器に不調が出るなどと噂され、品質管理の詰めの甘さが原因とも言われた。

21世紀に入ると、セビルはSTS、ドゥビルはDTSに名前を変える。若者向けのスポーティでコンパクトなセダンCTSも登場した。意味のある車名から無機質なアルファベットの組み合わせに変更したのは、ドイツ勢の高級車にならったものだ。デザインテーマとして掲げられたのが「アート&サイエンス」。創造的なデザインと独創的なテクノロジーをコンセプトにしたシャープでエッジの効いたフォルムは、それまでのキャデラックと一線を画していた。フワフワした往年のアメリカ車的な乗り味とは決別し、サーキットで鍛え上げた走りで欧州車に対抗する。アメリカ本国でのみ通用する価値観に頼ることなく、グローバル志向の高級車を目指す姿勢を鮮明にしたのだ。ロードスターのXLR、クロスオーバーモデルのSRXも登場し、フルラインアップで新しいキャデラックブランドを再構築しようとした。

キャデラックブランドでいま最も売れ筋となっているのが、このSRXの後継モデルとなるXT5。BMW X3、メルセデス・ベンツ GLE、レクサス RXなどの強力なライバルと競合するプレミアムSUVだ。

この戦略は、ある程度は成功したと言っていいだろう。「リタイヤした老人が乗るクルマ」というレッテルを一掃し、プレミアムブランドの第一線に躍り出た。ただヨーロッパや日本の高級車をメルクマールにしたことは、これまでの伝統から離れることも意味している。欠点も含めて魅力と感じる大らかなユーザーは、もはや少数派になった。現在のキャデラックは、主力がSUVである。世界的なトレンドに従うならば、当然の判断だ。1999年にデビューしたエスカレードは、巨大なサイズとゴージャスさがつくり出す過剰感ということでは、50年代キャデラックの現代的解釈とも言える。実用的な選択肢としては、コンパクトなXT4、XT5、XT6が売れ筋だ。ブランドの復活は喜ばしいが、一抹の寂しさを覚える人もいるだろう。2015年公開のSFアクション映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』では、世紀末覇者のイモータン・ジョーが1959年型キャデラック ドゥビルを2台積み重ね、V8エンジンを2基搭載して疾走していた。話題となった数々の映画作品に登場することからもわかるように、キャデラックは永遠に富と力の象徴なのである。

キャデラック

キャデラックというブランド名は、アメリカのデトロイトを開拓したフランス人貴族にちなんだもの。開発を主導したヘンリー・マーティン・リーランドは部品の標準化に尽力し、汎用部品を使うことによって大量生産への道を開いた。キャデラックは1915年のタイプ51からV8エンジンを採用し、高級車の代表と目されるようになる。大統領や芸能人、スポーツ選手などに愛されて、アメリカンカルチャーに欠かせない存在となった。第二次世界大戦後は50年代にカーデザインの最先端に立ち、アメリカ車黄金期を先導する。市場の変化で存在感を失う時期もあったが、グローバル化を志向してプレミアムブランドとして復活した。