アメリカンカルチャーの象徴となった、唯一無二のスペシャリティカー【名車のセオリー Vol.6 フォード マスタング】

  • 文:鈴木真人
  • イラスト:コサカダイキ

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初代のマスタング クーペ。最廉価モデルは2368ドルで、V8エンジン、オートマチックトランスミッション、パワーステアリングなどはオプションだった。

時を経ても色褪せず圧倒的に支持され続けるモデルを紹介する、連載シリーズ「名車のセオリー ロングヒットには理由がある」。第6回で取り上げるのは、アメリカンなスポーティカーの象徴となっているフォード マスタング。数々の映画で勇姿を見せていることでも知られる。

フォード マスタングは、アメリカン・スポーティカーの代表と言っていいだろう。力強いフォルムのボディにパワフルなエンジンを搭載し、モータースポーツでも活躍した。名車であることは確かだが、このクルマの意義はそれだけにとどまらない。ひとつのジャンルをつくり出したのだ。「ポニーカー」と呼ばれる一群のモデルの先駆けとなったのだ。ポニーとは成長途上の子どもの乗馬用に与えられる小型の馬のことで、ポニーカーという言葉には、若者が最初に手にするクルマという意味が込められている。またマスタングというモデル名も、小型の半野生馬という意味をもつことからそう名付けられた。初代マスタングがデビューしたのは、1964年。ベビーブーマーと呼ばれる第二次世界大戦後に生まれた若者が運転免許を取得する時期に当たる。当時、フォードの副社長だったリー・アイアコッカが、この巨大なマーケットに向けたモデルとして開発させたのがマスタングなのだ。

映画『ブリット』の撮影では、2台のマスタング GT390 ファストバックが使われた。その内の1台は長らく行方不明になっていたが、ナッシュビルの倉庫に眠っていたのが2018年に発見された。

実際には、マスタングの前にも似たようなモデルが存在していた。59年に発売されたシボレー モンザは、コルベアをベースにスポーティな装いを与えられていた。マスタングが発表される2週間前には、クライスラーがプリムス バラクーダをデビューさせている。マスタングがポニーカーの代表とみなされたのは、マーケティングの巧みさが理由だろう。ベース価格は2500ドルほどに抑え、豊富なオプションを用意して自分好みのクルマに仕立てることができるようにした。「フルチョイスシステム」と呼ばれるこの方式が好評で、マスタングはベストセラーになる。65年には約56万台が販売された。他メーカーも黙ってはいない。シボレー カマロ、ダッジ チャレンジャーなどが後を追った。遠く日本でも、70年にトヨタ セリカが登場する。ロングノーズ・ショートデッキのスタイルをもつコンパクトなスペシャリティカーというコンセプトは、広く若者にアピールしたのだ。

映画『男と女』には、初代マスタングのハードトップとコンバーチブルが登場する。レースシーンでのカーナンバーは184。主演したジャン=ルイ・トランティニャンは、カーナンバー145の同車で実際にラリー・モンテカルロを走っている。

マスタングがアメリカンカルチャーの象徴的な存在になったのは、映画の影響が大きいだろう。68年公開のアメリカ映画『ブリット』には、映画史に残るカーチェイスがある。マスタングに乗るスティーブ・マックィーンがダッジ チャージャーを追い詰める場面だ。2台がサンフランシスコの坂道を疾走するシーンには、音楽もセリフもない。V8エンジンの咆哮とタイヤのスキール音だけでしびれるような緊張感を表現するという、クールでストイックな演出である。66年公開のフランス映画『男と女』では、2台のマスタングが重要な役割を果たしていた。レーシングドライバーのジャン=ルイは、マスタングの白いハードトップでラリー・モンテカルロに参戦している。プライベートで乗っているのが赤いコンバーチブルで、ドーヴィルで出会ったアンヌをパリまで送り届けた。一方でライバルであるはずのシボレー カマロには、あまり映画で活躍したイメージがない。代表作がSFアクション映画『トランスフォーマー』シリーズというのでは、マスタングに対抗するのは難しい。

レースで鍛え上げられた、スポーティで高性能なアメリカ車。

1974年に初のフルモデルチェンジを行ったマスタングⅡ クーペ。日本では3代目とされるが、アメリカ本国では69年の大幅な改良をビッグマイナーチェンジの扱いにすることが多い。

マスタングが名声を獲得したのは、モータースポーツで好成績をあげたからでもある。立役者はレーシングカーデザイナー、キャロル・シェルビーだ。シェルビーはイギリスのACカーズのオープン2シーターにV8エンジンを載せた名車、AC コブラを仕立てたことで評価を高めていた。フォード GT40で、ル・マン24時間レース優勝を果たした中心人物でもある。フォードが彼にレース用のマスタングを任せたのは当然だろう。SCCA(全米スポーツカー協会)のレースのために製作されたのが、マスタング シェルビー GT350である。リアシートを取り除いてボンネットをFRP化するなどの軽量化を施し、エンジンとサスペンションを強化。1965年から3年連続で優勝を果たすという成果を残した。マスタングはスポーティで高性能であるというイメージを獲得し、販売成績は向上する。スペシャルモデルのシェルビー・マスタングも人気を博した。以前のポニーカーはマッスルカーへと変化し、パワー競争が激化する。しかしマスタングには、この頃からしだいに逆風が吹き始めていた。

93年に登場した5代目は、マスタングの開発を指揮したリー・アイアコッカの手を離れた初のモデル。94年から日本に初輸入されるようになった。

アメリカでは67年から自動車排出ガス規制が始まり、マスタングもパワーダウンを強いられる。ノーマルでも375馬力だった最高出力は275馬力までダウン。販売成績は低下し、72年にはわずか7万5000台という激減だった。毎年少しずつ改良が施されていたマスタングは74年に初の大幅なリニューアルを行い、マスタングⅡとなる。ベース車両はファルコンからピントに変わり、ボディが小型化。モデルチェンジ当初は直4とV6だけで、V8エンジンの設定がなかった。ポニーカー、マッスルカーの時代は終わり、幅広い層にアピールするスペシャリティカーが求められるようになっていたのだ。それでもかつてのイメージを追い求めるファンは多く、翌年にはV8エンジンが復活。排出ガス対策の進歩とともに、高出力モデルが設定されるようになっていった。

2005年の6代目は初代を意識したデザインに。キャロル・シェルビーが手がけるシェルビー GTも復活した。11年公開のアメリカ映画『ドライヴ』には6代目モデルがクライスラー 300とカーチェイスを繰り広げるという、『ブリット』へのオマージュシーンがある。

マスタングの誕生50周年に当たる14年4月に、7代目モデルがアメリカ本国で発売を開始。このモデルは日本にも翌年から輸入されるが、16年にはフォードが日本市場から撤退することになる。

ただ、いずれのモデルもあまり強い印象を残したとは言えない。初代のインパクトが強すぎたのだ。最近でもマスタングは映画に使われているが、アメリカのカーアクション映画『60セカンズ』は“エレノア”こと67年型のシェルビー GT500だったし、キアヌ・リーブス主演のアクション映画『ジョン・ウィック』は69年型である。こうしたことは、マスタングにとって財産となっていると言ってもいい。ポニーカーの時代からモデル名が存続しているのはマスタングだけなのだ。シェルビーの名を冠するモデルや映画『ブリット』にオマージュを捧げた特別仕様車が何度もつくられている。2014年の50周年記念イベントでは、初代と同様にニューヨークのエンパイア・ステート・ビルディング86階の展望台に実車が展示された。05年の6代目からは、初代のモチーフがデザインに取り入れられているのがはっきりとわかる。いつでも参照できる歴史があるからこそ、今後もマスタングが輝きを失うことはないのだ。

フォード マスタング

初代モデルは当時のマーケティングがピタリと当たって爆発的な人気となり、“T型フォード以来”と言われる大ヒット作に。またモータースポーツでの活躍で評価を高め、シボレー カマロなどのライバルを寄せ付けなかった。日本では正規輸入がなかったこともあって「ムスタング」と呼ばれており、1981年の青春映画『スローなブギにしてくれ』でも山崎努が自分のことをムスタングと称していた。