セレブが愛するNYの隠れ家ホテル「ザ・カーライル」

  • メアリー・ケイ・シリング(本誌記者)

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セレブが愛するNYの隠れ家ホテル「ザ・カーライル」

ナオミ・キャンベルら錚々たるセレブがカーライルの魅力やエピソードを語る Justin Bare

<ハリウッドスターや著名人が明かした、宿泊客は必ずリピートする「秘密の宮殿」の魅力>

ダイアナ妃、マイケル・ジャクソン、そしてスティーブ・ジョブズが次々にエレベーターに乗り、エレベーター係がドアを閉める。3人とも口を聞かないまま、エレベーターはどんどん上階に昇っていく。緊張を破ってダイアナ妃がジャクソンのヒット曲「今夜はビート・イット」を口ずさみ始めた......。

世界広しといえども、こんな逸話がある建物は「ザ・カーライル」と呼ばれるニューヨークのカーライル・ホテルくらいのものだろう。ニューヨーク・タイムズが「秘密の宮殿」と呼んだこのホテル、常連客のリストには歴代の米大統領やハリウッドの大物俳優、音楽界やスポーツ界のスーパースターがキラ星のごとく名を連ねる。

毎年5月にメトロポリタン美術館で開催されるファッションの祭典「METガラ」では、多くの招待客がこのホテルに宿を取り、自慢のドレスに身を包んでこのホテルから「出陣」する。モデルのナオミ・キャンベルが16年のガラのために泊まったときには、同じ階にデザイナーのステラ・マッカートニー、歌手のリアーナ、女優のカーラ・デルビーニュがいたという。

もう1つ、伝説的な逸話を紹介しよう。03年の米軍のイラク侵攻時、イラクの代表団が国連総会に出席するため、このホテルに予約を入れた。FBIはルームサービス係に扮した捜査官を部屋に侵入させ、電話を盗聴しようとしたが、当時のオーナー、ピーター・シャープは「事情にかかわらず、ご協力できません」と突っぱねた。「ウォーレン・ベイティ様(の宿泊)に、そのような取り扱いはいたしません。イラク御一行であっても同じです」

1度泊まればとりこに

これらのエピソードは全て、マシュー・ミーレー監督のドキュメタリー映画『オールウェイズ・アット・ザ・カーライル』に出てくる話だ。ビッグネームが次々に登場し、宿泊時の思い出を語るこの映画は、古風な美意識を誇る老舗ホテルの魅力を生き生きと伝えている。

シェフで作家の故アンソニー・ボーデインに言わせると、人は恋に落ちるようにこのホテルのとりこになる。「何とも風変わりな魅力が心を捉える。文句なしに素晴らしい――はっきり言えば、いかれたホテルだ」

「いかにもニューヨークらしいホテル」という表現も映画の中でしばしば聞かれる。もっとも、そう言えるのはごく限られた人だけだ。セントラルパークを一望の下に見渡せるスイートルームの宿泊料金は、最高で1泊なんと2万ドル。ブッシュ政権で国務長官を務めたコンドリーザ・ライスは、自身が泊まった部屋が1泊4000ドルだと聞かされて「1万ドルよりはましよね」と苦笑したという。


カーライル・ホテルのかつてのエントランス Courtesy Good Deed Entertainment

宿泊客は「必ずリピーターに」

このホテルは予約を入れると、イニシャルの刺繍入りの枕カバーを用意してくれる。この枕カバーは次回の宿泊に備えて洗ってしまってある。ホテル側には1度利用した客は必ずリピートするという確信があるらしい。

実際、常連客は多い。ジャック・ニコルソンは70年代からここをニューヨークでの定宿にし、泊まるたびに主任電話オペレーターにランの花を1輪贈る。彼もスタッフに好かれているが、最高にスタッフ受けのいい客はジョージ・クルーニーだ。

最高にスタッフ受けがいい客はジョージ・クルーニー Justin Bare

主観的視点と過激な文体で鳴らした今は亡きジャーナリストのハンター・トンプソンも少なくとも1度はこのホテルに泊まり、シリアルとスコッチ1瓶、それにボウル1杯分のコカインの朝食を取った(3つ目がルームサービスのメニューにあるかどうかは不明だ)。

近所に住んでいたジャクリーン・ケネディ・オナシスは週2回、このホテルのレストランを訪れ、コブサラダにジントニック、そしてたばこ1本という定番ランチを楽しんだ。息子のジョン・F・ケネディJr.も常連で、99年に小型飛行機でマーサズ・ビンヤード島に向かう途中に事故死する前、最後の食事をこのホテルで取った。

失われゆく時代を象徴

1920年代末に不動産開発業者モーゼス・ギンズバーグがこのホテルを建設し、尊敬するイギリスの思想家トーマス・カーライルにちなんだ名を付けた。だがオープンしたのは株価大暴落がウォール街を襲った直後の30年で、経営は苦しかった。

48年に別のデベロッパーが買い取り、ファッショナブルに改装。米大統領ではハリー・トルーマンが初めて泊まり、ジョン・F・ケネディの時代には「ニューヨークのホワイトハウス」と呼ばれた。マリリン・モンローもマジソンスクエア・ガーデンでのケネディの誕生日祝賀式典で「ハッピー・バースデー」を歌った後、このホテルでケネディと密会したと噂されるが、当時のベルボーイは今も守秘義務を守り続けている。

少しだけ古ぼけた居心地のよい内装も、このホテルの魅力だ。「完璧さは重要じゃない」と、ミーレー監督は言う。「よく見ると額縁が微妙に傾いていたり、織物がほころびていたりするが、そのおかげでくつろげる」

それはスタッフにも言えることだ。トレンディーなホテルの一部の隙もないスタッフとは対照的に、一風変わった顔触れが客を迎える。「吃音がある男を主任コンシェルジェに雇うホテルがほかにあるだろうか」と、ミーレーは言う。その主任コンシェルジェ、ドワイト・オウズリーは「何とも言えずチャーミングな大男」で、ホテルの経営陣は「客に忘れ難い印象を残す」ところを高く評価したのだろうと、ミーレーはみる。

カメラは勤続36年のオウズリーの最後の勤務日を追う。消えゆく時代の最後の光芒に、観客は胸を揺さぶられる。「のどかな時代は過ぎ去った」と、オウズリーはつぶやく。「一昔前までは志や尊厳が大事にされたものだが、今や尊厳のかけらもない。言葉にはできない大切な何かが失われてしまった」

文:メアリー・ケイ・シリング(本誌記者)

[2018年7月24日号掲載]