りんごをアクリルに閉じ込めた三木健とは何者か

  • 文:山田泰巨

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りんごをアクリルに閉じ込めた三木健とは何者か

上海当代芸術館で行なわれた『APPLE+展』の会場で、アクリルに閉じ込められたりんごを撮影する来場者(写真提供:三木健デザイン事務所)

日本のグラフィックデザイナーが始めた「デザインとは何か」を伝える独自の教育メソッドが国内外で注目を浴びている。このたび上海で開催された展示会も盛況。りんごを再認識し、デザインの基礎を学ぶとは、一体どういうことなのか

今この時期、店頭を赤く彩る旬の果物、りんご。世界中の誰もが知るこの果物を使って、デザインの楽しさ、奥深さを学ぶ授業を展開するのがグラフィックデザイナーの三木健さんだ。中国の上海で、りんごをアクリルに閉じ込めて展示してみせたのも三木さんである。

企業のシンボルマークや広告ビジュアル、ブランディングなどを幅広く手がける三木さん。赤い鼻の黒い犬をキービジュアルに据えた日本IBMのノートパソコン「ThinkPad I Series」のプロモーションは、多くの人の記憶に残っているのではないだろうか。ノートパソコンそのものを使わずに、真っ黒な筐体の赤い操作デバイス「トラックポイント」を印象付けた名作広告だ。

三木さんのデザインはこのように、デザインをただ視覚化するのではなく、何かが"見えてくる化"をすることで自発的な気づきを促す。そんな三木さんが、大阪芸術大学でデザインを学ぶ学生に向けて「デザインとは何か」を伝えるために始めた授業が「APPLE」だ。

誰もが知るりんごだが、改めてその絵を描くと、ただ赤く丸い形を描いてしまう。ここで私たちは、子供の頃から何度となく味わってきたりんごの記憶が、実は漠然としていることに気がつく。これまで知っていると思っていたりんごに、無数の知らないことがある。

ソクラテスのいう「無知の知」のように、己の知らなかったことを理解してこそ、初めてデザインの基礎である「気づきに気づく」ことができるようになると三木さんは言う。「APPLE」では半年間に15のプログラムを通してりんごを再認識し、デザインの基礎を学んでいく。

その授業はまず、りんごを観察することから始まる。同じりんごでも、立体物であるりんごの皮を剥き、カットすることでカタチは様々に変わる。りんごの外周や皮の面積はどのようにすれば測ることができ、その数値は果たして予想していた通りなのか。赤一色で塗ってしまいがちなりんごだが、実際には単色ではないりんご1つに、どれだけの色があるのか採集する。

束ねたつまようじで点描のりんごを描くことで不自由さと発想力に気がつき、りんごから発想する言葉を連想することでコミュニケーションの広がりに気がつく。こうした多彩なプログラムで、デザインという枠を超えて学生たちは、考え方、作り方、伝え方を学び、立体的に思考することを学ぶ。

デザインされたプロダクトは世界中に溢れ返るが、今やカタチを生み出す前に、その前提にある仕組みづくりそのものがデザインを捉えるようになってきた。造形に留まらず、領域を横断的に捉えながらデザインの本質を見抜く洞察力を磨くことは、学生に限らず、多くの人に新たな世界を開く。

日本での展覧会よりも大きな会場で、デザインの基礎を考えるきっかけを生み出した(写真提供:三木健デザイン事務所)

世界のデザイナーから高評価

世界で高い評価を得て、まず英語で書籍化された

この教育メソッドは、三木さんがAGI(国際グラフィック連盟)で講演を行なったことをきっかけに、世界を代表するデザイナーたちの高い評価を得てスイスのラース・ミュラー・パブリッシャーズより英語の書籍として出版されることになった。「デザインとは何か」を学ぶ基礎実習はやがて日本国内で展覧会となり、これら一連の活動で三木さんはグラフィックデザイン界の優れた功績に与えられる賞、亀倉雄策賞を2016年に受賞している。

この展覧会が先日、『APPLE+展』となって中国で開催されたのだ。上海の中心街にある人民公園内の美術館「Museum of Contemporary Art Shanghai: MOCA Shanghai(上海当代芸術館)」がその舞台だ。上海自然博物館や上海電影博物館などをデザインした上海美術設計公司に招聘されたことにより、これが実現。2017年10月13日~12月4日に開催され、大勢の来場者がその授業を体験した。

上海当代芸術館でのオープニングで来場者に解説する三木さん(写真中央、写真提供:三木健デザイン事務所)

『APPLE+展』の会場風景(写真提供:三木健デザイン事務所)

日本国内で近年行なわれた展覧会をもとに再編集された展示だが、その仕掛けはより大掛かりなものとなっていた。立体的な"デザインの教科書"ともいえる会場には、天井と床に鏡の貼った空間、壁に投影された映像が天地へ延々と繋がっていく仕掛け、スロープに設置された一本線のりんごアニメーションなどを加え、大人から子供までが楽しめる展示へと発展させた。三木さんのこれまでの仕事も共に展示し、「APPLE」がその経験から生まれたことも見せている。

展覧会に合わせ、書籍『APPLE』の中国語版も刊行された。この展覧会を皮切りに、5年を掛けて中国国内を巡回する計画が進行中だ。「先方の希望もあり、当初の案を移設可能な展示案に変更し、別の都市での展示も行えるようにしています。それぞれの会場で異なる空間体験ができるようにしたい」と三木さんは言う。

「主催者である上海美術設計公司は、まだ造形に頼ったデザインが多い中国に、思考を持ったデザインを根付かせたいと言います。デザイン思考の事例は他にもありますが、たった1つのオブジェクトを使って思考全てを展開させるものは稀であると評価されたようです。会場で熱心にメモを取る女子高生が、私に向かってこれを日本で学びたいと言ってくれました。このように非常に反響も大きく、学内に『APPLE』を取り入れたいという相談を中国の大学からも受けているところです。デザイナーだけではなく、デザインされたものを選ぶ側の知識が高まり、それがデザイナーを成長させ、企業も目的をもって開発を行う。デザインの思考は、社会の循環にも大きく寄与するものです」

学びは生涯続くものであり、それは人の生活を豊かにしていく。りんごというたった1つの果実は、無限の気づきを教えてくれる。アダムとイブが手にした禁断の果実も、りんごだと言われる。彼らはこれを口にして無垢を失ったが、それこそ人の知の始まりだとも言える。

この知を学ぶ教科書がついに、英語版、中国語版に続いて日本にも登場する。12月13日に刊行される『APPLE Learning to Design, Designing to Learn――りんご 学び方のデザイン デザインの学び方』(三木 健、CCCメディアハウス)。まずは誌面で学びを得てみてはどうだろう。

APPLE Learning to Design, Designing to Learn りんご 学び方のデザイン デザインの学び方
三木 健 著
三木 健 アートディレクション
CCCメディアハウス