ロシアのドーピング疑惑を暴く、ネットフリックス配信ドキュメンタリー

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    ロシアのドーピング疑惑を暴く、ネットフリックス配信ドキュメンタリー

    骨太ドキュメンタリー映画『イカロス』は、ロシアの国を挙げてのドーピング疑惑に肉薄する


    こういう映画になる予定じゃなかったんだ――。ネットフリックスで配信中のドキュメンタリー映画『イカロス』のブライアン・フォーゲル監督は言う。当初は『スーパーサイズ・ミー』(04年)のドーピング版のようなものを考えていたという。

    モーガン・スパーロック監督がマクドナルドのファストフードを食べ続け、自分の体に起きる変化を記録した映画『スーパーサイズ・ミー』は、大きな話題となった。一方のフォーゲルが目を付けたのは食べ物ではなく、スポーツ選手が薬物を使って運動能力を高める「ドーピング」だった。

    きっかけは、一時は史上最高の自転車競技選手とも言われたランス・アームストロングのドーピング問題だ。アームストロングは、世界最高峰のロードレース「ツール・ド・フランス」を7連覇した偉業の持ち主だったが、現役引退後の13年にドーピングを告白。過去の栄冠のほとんどを剝奪された。

    フォーゲルが気になったのは、アームストロングが長年、「ドーピング検査で失格になったことは一度もない」と強調していたことだ。長年疑惑の噂はあったが、本人は検査結果を理由に断固疑惑を否定していた。ようやく不正を認めたのも、ドーピングが発覚した元チームメイトが、アームストロングもやっていたことを暴露したからだ。

    アームストロングが「なぜそんなことをしたのかではなく、検査体制の欠陥が気になった」と、フォーゲルは言う。そこで自ら薬物を摂取し、ドーピング検査をパスして自転車レースに出場することで、「現在の検査体制はクズであることを証明する」ことにした。

    舞台として選んだのは、フランス・アルプスを7日間走り抜けるアマチュア(といっても過酷な)自転車ロードレース「オートルート」だ。フォーゲルは専門家の細かなアドバイスを受けながら、薬物を正確に摂取して、レースに向けたトレーニングを開始した。

    ところが専門家の1人、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)オリンピックラボのドナルド・カトリンが、この実験は自分のキャリアを傷つけかねないと不安を抱くようになった。そこで代わりに旧友を紹介すると言ってきた。モスクワ・ドーピング検査所のグリゴリー・ロドチェンコフ所長だ。「それが全ての始まりだった」と、フォーゲルは振り返る。

    こうして2人は14年5月以降、ビデオチャットや電話で話をし、データを検討。ロドチェンコフはフォーゲルに、薬物の種類や尿の保存方法について助言した。モスクワとロサンゼルスを訪問し合うことも何度かあり、友達にもなった。

    事態は急展開

    ロドチェンコフは、いつも冗談ばかり言っている陽気なロシア人科学者だ。ビデオチャットのときは、なぜか上半身裸のことが多い。気さくで、ユーモアたっぷりで、専門家としての知識と経験は確かな型破りな人物。ロドチェンコフを「好きにならないなんて不可能だ」と、フォーゲルは言う。

    ところが半年後の14年12月、ドイツの公共放送が、ロシアの陸上選手にドーピングが蔓延していることを暴くドキュメンタリー番組を放送。ロドチェンコフが疑惑の中心人物として紹介された。これを受けて世界アンチ・ドーピング機構(WADA)は調査を開始し、翌15年11月に、ロシアが国家ぐるみでドーピング(とその隠蔽工作)を行っていたことを結論付ける335ページの報告書をまとめた。

    WADAの報告書は「ショックだった」と、フォーゲルは振り返る。「仲のいい友達が国を挙げてのドーピング計画の中心人物だっていうんだから」

    ロシア版のスノーデン

    ロシアのウラジーミル・プーチン大統領も、スポーツ相のビタリー・ムトコも「国を挙げての不正」を完全に否定し、ドーピングをした選手はきちんと責任を取るべきだと言い張った。だがロドチェンコフは検査所所長の辞任に追い込まれ、検査所も閉鎖された。

    その週のフォーゲルとのビデオチャットで、ロドチェンコフはいつになくピリピリした様子で、口調も荒かった。そしておもむろに、ロシアから逃げ出さなくてはいけないと言い出した。さもなければ早晩、自分は自殺したことにされるというのだ。

    そこでフォーゲルは、ロドチェンコフにロサンゼルスまでの往復航空券を買ってやった。2人とも、帰りのチケットは使わずに終わると知っていたけれど。ロドチェンコフは自宅を取り巻く監視の目をかいくぐり、どうにか飛行機に乗り込んで、ロサンゼルスにやって来た。

    ロドチェンコフと落ち合ったフォーゲルは、「彼がロシア版のスノーデンであることに気が付いた」と言う。米政府の極秘情報を暴露して、ロシアに保護されている元CIA職員エドワード・スノーデンのように、ロドチェンコフは「核兵器級の情報」を持ち出してきた。

    そのハードディスクの中には、ロシアがソチ冬季五輪とそれ以降のスポーツ競技大会で、不正を働いてきたことを示す文書が数千件も収められていた。ロドチェンコフはそれを破棄するつもりだったが、いつ自分が罪を着せられるか分からなかったため、保険として持ち出してきたのだ。

    とはいえ、アメリカに来ても、ロドチェンコフの身の安全が保証されたわけではない。ロシア反ドーピング機関のトップだった旧友ニキータ・カマエフが「急性心不全」により死去したというニュースが伝わると、ロドチェンコフは恐怖に震えた。カマエフは、不正を告白するつもりだと言っていたのだ。

    ロシア人科学者は証人保護下に

    そこでロドチェンコフは、ニューヨーク・タイムズ紙のインタビューを受ける決意をする。この中で、ソチ五輪のとき、陽性の尿を陰性の尿とすり替えた手法も具体的に明かした。ユーリ・ナゴルニフ副スポーツ相やムトコ、プーチンが計画に関与していたことも明言した。

    「ロドチェンコフは自責の念に駆られていた」と、フォーゲルは振り返る。ロシアはソチで、どの国よりも多い33個のメダルを獲得した。これによりプーチンの支持が急上昇したことと、その後のロシアのウクライナ侵攻に、ロドチェンコフは直線的なつながりを感じていた。

    ほろ苦いエンディング

    16年5月にニューヨーク・タイムズの記事が出ると、WADAは新たな独立調査を開始した。2カ月後に、ロシア選手のドーピングはスポーツ省が中心となり、ロシア連邦保安局(FSB)や、モスクワとソチの検査所が積極的に関与していたとの調査結果を発表。数週間後に迫っていたリオ夏季五輪からロシア選手の締め出しを勧告した。

    それでもロシアは疑惑を否定する姿勢を貫き、IOC(国際オリンピック委員会)も、ロシア選手の全面的な出場禁止処分は見送ることを決めた。

    「十分な証拠に基づき不正が100%立証されたのに、変化は起きなかった」とフォーゲルは肩を落とす。「ロシアは絶対に不正を認めなかった。IOCも、オリンピックの理念を散々主張してきたのに、責任ある行動を取らなかった。一番損をしたのは真実を語ったグリゴリーだ」

    『イカロス』のエンディングは、ほろ苦い。ロドチェンコフは16年7月に米政府の証人保護プログラム下に置かれることになった。現在どこでどんな名前で生活しているかは、フォーゲルにも、ロシアに残された妻と2人の子供たちにも分からない。

    映画は政治の世界に踏み込まないよう注意しているが、『イカロス』を見ていると、16年米大統領選へのロシアの介入問題を思い起こさずにいられない。ロシアが介入した事実は、アメリカの情報機関によってほぼ確実とみられているが、プーチンはそれを絶対に認めない。

    その断固たる否定ぶりに、フォーゲルは嫌悪感を示す。「アウシュビッツ・ビルケナウ収容所を見学した後に、相手の目を真っすぐ見て、ホロコースト(ユダヤ人虐殺)はなかったと言うようなものだ」

    文:スタブ・ジブ