【李小牧/元・中国人、現・日本人】中国の旅行会社が「新シルクロード」に日本メディアを招待した理由

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    【李小牧/元・中国人、現・日本人】中国の旅行会社が「新シルクロード」に日本メディアを招待した理由

    日本の歴史の教科書にも出てくる「兵馬俑」をこの目で(写真:土居悦子)

    3月下旬、陝西省、新疆ウイグル自治区、甘粛省を回るツアーに、日本のメディア関係者と参加してきた。中国の観光地が洗練されつつあることを強く感じたが、旅行を通して抱いた感想はそれだけではない。

    こんにちは。歌舞伎町案内人の李小牧です。

    3月22日から29日にかけて、中国西部を訪問した。陝西省、新疆ウイグル自治区、甘粛省の3省・区を8日間で回るツアーだ。メンバーはテレビ局、雑誌、映画など日本のメディア関係者、そして私と大学を卒業したばかりの私の息子だ。

    「新長安・新シルクロード・新夢路視察団」というびっくりするほど大層な名前がつけられたこのツアーは、現地の旅行会社の招待によって実現した。10人を超えるツアーの招待費用は数百万円に上るだろう。なぜこれほどの資金を費やして私たちを招いたのだろうか。その理由は私、李小牧が中国の人気テレビ番組にたびたび出演する人気言論人だからというだけではない。

    1977年の文化大革命終了後、中国は改革開放政策を推進し、外資と技術の受け入れによる経済成長をはかった。その中で日本が果たした役割は大きい。

    特に中国西部は日本人が大好きな中国の歴史世界で重要な役割を果たしていることもあって、日本人に人気の旅行先だった。唐の都・長安(現在の陝西省西安市)に行ってみたい、シルクロードのオアシス都市・敦煌(甘粛省)で歴史を感じてみたい。そう考えた日本人旅行者が数多くやってきたのだ。

    日本人旅行者は中国西部に貴重な観光収入をもたらした。それだけではない。敦煌の世界遺産、莫高窟(ばっこうくつ)で目にした光景には胸が熱くなるものがあった。

    世界遺産となっている仏教遺跡の莫高窟(写真:土居悦子)

    莫高窟は700以上の洞窟から構成されているが、入り口に日本人のネームプレートが設置されている洞窟が多々あった。ガイドに聞くと、修復費用を出した寄付者の名前なのだという。莫高窟は英国、フランス、日本などの国に略奪された負の歴史があるが、修復になると日本の独壇場だ。負の歴史だけではない、日中のつながりを感じることができた。

    ところが今では日本人旅行者の数は激減している。反日デモや新疆ウイグル自治区の騒乱の影響が大きいという。2016年から少しずつ戻ってきたというが、もっと日本人に来てもらいたいというのが彼らの切なる願いだ。

    だから、日本のメディアに現地を見てもらい取り上げてもらいたい、また日本人の目から見て改善点を指摘してほしいと、大金を支払ってまでツアーを組んだのだ。メディア関係者だけではなく、一般人の目から見た指摘も欲しいということで、私の息子もツアーに加わった。

    日本人の中国旅行を増やす――。これはなにも中国を儲けさせるだけの話ではない。日本人は今、内向きになっているが、これでは国の活力は生まれない。より多くの人々、とりわけ若者たちに海外を見てほしいと私は考えている。

    我が息子にしても、元・中国人の血をひいているというのに今回が3回目の中国旅行だ。大学では中国文学を専攻したのだが、どうも中国にあまりいいイメージがないようで旅行しようとしない。内向き日本の典型のような息子を、この旅で少しでも変えることができたらいい。これがもう1つの目的となった。

    いざ最初の訪問地、西安へ

    西安は今やおしゃれな国際的観光都市に

    我が「新長安・新シルクロード・新夢路視察団」の最初の訪問地は西安であった。日本人が最も愛する中華王朝である唐の都、シルクロードの起点である。

    10年以上前に西安を旅行したという知人の日本人ライター・K氏は「西安は古い建築ばかりですが、遅れた田舎町ですよ」と言っていた。どうしてどうして。急成長する中国の勢いはすさまじい。この10年間ですっかりおしゃれな国際的観光都市へと変貌していた。

    1380年に建てられたという有名な西安鼓楼の近くにはイスラム街があり、K氏が訪れた時は回族(ムスリム)が住んでいるだけの、おんぼろの住宅街だったという。ところが今では復元された建築物が煌々とライトアップされ、楽しげな屋台が建ち並ぶ一大観光地へと変貌していた。

    ライトアップされた西安鐘楼(写真:土居悦子)

    街をぶらぶらするだけでにぎわいが楽しめる。私はどちらかというと、碁盤の目のような町並みに目を奪われた。私が大好きな街、京都との関係性が気になったのだ。皆さんが歴史の授業で習ったとおり、京都は長安を模して作られた街である。現在も残る古建築、そして復元された町並みを見ると、長きにわたる日本と中国のつながりがはっきりと感じられる。

    兵馬俑(秦の始皇帝の墓所に近い巨大な地下室に兵士や軍馬などの人形が多数収められている)や、碑林(宋の時代の孔子廟を利用してつくられた博物館で、石碑などを数多く収集・展示している)などの昔からある観光地も素晴らしかった。

    兵馬俑を見学する筆者(写真:西安天馬国際旅行社)

    昭和や平成などの日本の年号は中国の古典から取られるが、その石碑が碑林に残されているという。無数に立ち並ぶ石碑のどこに昭和や平成という言葉があるのか、ゲーム感覚で捜してみても楽しいだろう。

    石碑や墓誌銘、石彫刻などを多数所蔵する碑林(写真:西安天馬国際旅行社)

    日本の年号「昭和」の「昭」と「和」が見えるだろうか。「百姓昭明、協和萬邦」が由来(写真:西安天馬国際旅行社)

    こちらは「平成」で「地平天成」から取られている。日本の次の年号は何になるだろうか(写真:西安天馬国際旅行社)

    その地方特有の料理を堪能

    食事も印象的だった。日本ではなぜか西安イコール刀削麺というイメージがあるようだが、刀削麺は山西省の料理である。西安というと、中国風ハンバーガーとでもいうべき羊肉泡饃がよく知られている。これは小麦粉で作られたパンをちぎって、羊肉のスープにつけて、すいとんのようにして食べるという料理だ。中国では有名だが、日本で食べられるところはそう多くはない。

    この料理の醍醐味はパンを自分でちぎるところにある。細かくちぎればちぎるだけおいしくなるのだとか。だが、正直酒の入った宴席でそんなに細かくちぎるのは面倒くさい。というわけでついつい大きくしてしまうのだが、「そんなことでいけません」と怒られてしまうこともある。まるで頑固親父のラーメン屋のようだ(笑)。

    このように細かくちぎっていき...(写真:土居悦子)

    すいとんのようにして食べる(写真:土居悦子)

    他にも西安のハラル・レストラン(イスラム教の戒律に則ったレストラン)では、馬の尻尾の煮込みなど、珍しい料理に舌鼓を打った。餃子専門店では西太后が食べたという餃子宴席を堪能した。なんと16種類もの餃子が出てくるのだ。さまざまな味の餃子はいくら食べても飽きることがない。

    日本人は中華料理と大まとめに言うが、中国はともかく広大だ。その地方地方に根ざした特有の料理が存在する。そうした地方料理を楽しむのも旅行の楽しみだ。日本の国内旅行がそうであるように、中国に旅行する時もその地方特有の料理を楽しんでもらいたい。

    中国では旅行がブーム、国内旅行も増えている

    とまあ、このように無邪気に旅行者気分で楽しんできた。もちろんジャーナリストとしての観察も忘れなかった(この「観察」については別の機会に記したい)が、なにせ招待してくれた中国側の要求が日本人旅行者の目線から改善点を指摘してほしいということなのだから、無邪気に遊ぶのも仕事である。

    個人的には、中国の観光地が洗練されつつあると強く感じた。考えてみれば、ここ数年は中国では旅行ブームとなっている。中国人による訪日旅行や爆買いが話題となったが、それ以上の人々が中国国内を旅行しているのだ。彼らを楽しませるための投資や工夫が行われているのも当たり前の話だ。

    その結果として、中国の観光地は驚くべきレベルアップを果たしている。「西安は一度行ったことがあるからもう十分だ」と思っている人は考え直したほうがいい。中国の急成長は経済だけではない。観光地もまた驚くべき変化を遂げているのだ。

    残念ながら、この情報はまだ日本にはあまり伝わっていないようで、ツアー中は日本人に会う機会はほとんどなかった。日本から数時間の距離にこれほどの観光地があることを、日本文化のルーツがあることをぜひ知ってほしい。

    中国のイメージが変わった

    日本の若者たちに海外を見てもらいたい

    このツアーは参加者に大きな衝撃を与えていた。なかでも最大の衝撃を受けていたのが私の息子だ。実は彼が大学に進学する時、中国の大学を受験したらどうだと勧めたことがある。世界的な経済大国へと成長した中国に住むことは、彼の人生にとって大きなプラスになると考えたからだ。

    ところが我が息子は「汚いからいやだ」といった軟弱な理由で断った。子供の頃に連れて行った時にあまりいい思い出がなかったのだろう。大学では中国文学を専攻し『西遊記』で卒論を書いたというのに、在学中は中国を訪問することはなかった。小説の中の中国と現実の中国とは別物だとの思いのようだ。

    だが、今回の旅で中国のイメージががらりと変わったらしい。新疆ウイグル自治区トルファン市に近い火焔山は『西遊記』の名場面として知られる。今では観光地としてあちらこちらに孫悟空の像などのモニュメントが建てられている。この地を訪ねたことで、息子の中でも中国文学と現実の中国とが一致したようで、驚きのあまり目を丸くしていた。

    「もし将来大学院に進むことがあるなら、中国に行ってもいいかもしれない」。旅の最後にはそんなことを言うようになっていた。

    孫悟空の像と私の息子(写真:筆者)

    火焔山ではラクダに乗る体験もできる(写真:筆者)

    たった8日間の体験であっても、人間の考えはがらりと変わる。最近の若者は海外旅行を好まないという。お金がない、ネットを見れば海外の情報はだいたい入ってくるなどさまざまな理屈があるようだが、私に言わせればばからしい。現地を見ること、稲妻のような衝撃的体験をすること。これは金では買えないもの、ネットでは得られないものなのだ。

    日本の若者たちよ、金銭的に無理をしてでも海外を見てほしい。それが君たちにとっての財産となるはずだ。

    「新長安・新シルクロード・新夢路視察団」の団長である私・李小牧も、故郷からはるばる離れた日本での体験と生活によって今の地位を築いたのだということを言い添えておこう。