丸川知雄 中国経済事情―オーダーメイドのスーツを手頃な価格で 「マス・カスタマイゼーション」で伸びる中国のアパレルメーカー

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    丸川知雄 中国経済事情―オーダーメイドのスーツを手頃な価格で 「マス・カスタマイゼーション」で伸びる中国のアパレルメーカー

    新産業革命の1つの事例「採寸は受注生産、生産は大量生産」? shironosov-iStock.

    ドイツが提唱する産業革命「インダストリー4.0」。どちらかというと冷めている日本企業と違い、貪欲に学ぼうとしてきた中国企業の成功例の1つを見た。日本ももっとやってみればいいのに。

    2016年4月にドイツの工業見本市ハノーファー・メッセに行って痛感したのは、中国の企業や地方政府がドイツ発の新産業革命「インダストリー4.0」をなんとかビジネスチャンスにつなげようと貪欲なのに対し、日本企業は数社の例外を除いて冷淡だということでした。

    2015年には、日本は官民挙げてドイツへ「インダストリー4.0」の視察団を繰り出したものの、16年になると日本企業の間で「どうやら大したことなさそうだ」という空気が広がりました。「インダストリー4.0」が目指す工場の将来像なんて「日本の工場ではずっと前から実行しています」という中沢孝夫氏の発言(中沢孝夫・藤本隆宏・新宅純二郎『ものづくりの反撃』ちくま新書)がそうした空気を象徴しています。

    たしかに、「インダストリー4.0」のキーワードの一つである「マス・カスタマイゼーション」は、日本の自動車メーカーではとうに実践しています。日本で乗用車を買った経験がある人ならわかるように、買う際に車種だけでなく、ボディーの色、カーナビの種類、シート・カバーの種類など細かいスペックを自分で選ぶことができ、3週間ぐらいしたらその通りに作られた車が届きます。自動車の工場を視察すればわかるように、生産ラインのなかで、1台1台スペックの異なる車が効率的に組み立てられています。つまり、日本の自動車工場では大量生産(マス・プロダクション)と個々の買い手が指定したスペックに基づくカスタマイゼーションが両立しているのです。

    もっと広がるマス・カスタマイゼーション

    しかし、自動車以外の消費財でマス・カスタマイゼーションというアイディアに触発される日本企業がもっと出てきてもいいのではないか。中国の意外なところで「マス・カスタマイゼーション」を実践している企業に出会って、そう思いました。それは報喜鳥集団という紳士服メーカーです。

    紳士服は、大昔には仕立て屋さん(テーラー)で体の寸法を測ってもらって作るものだったようですが、今では既製服が主流になりました。つまり、カスタム生産から大量生産に移行しました。私自身もこれまで既製服以外には買ったことがなく、仕立て屋さんで服を作ってもらったらきっと高価なのだろうなと思って敬遠してきました。

    採寸→自動裁断→知能ハンガー

    報喜鳥集団は、消費者が体の寸法を測ってもらって生地やスタイルなどを選ぶというカスタム生産の側面と、工場での流れ作業によって効率的に生産する大量生産とを結合したマス・カスタマイゼーションを実践しています。

    報喜鳥集団には中国全土に1300余りの加盟店があり、そこにはお客さんの体のサイズを採寸する店員が配置されています。店には生地のサンプルとともに、iPad端末あるいは大型スクリーンがおいてあり、消費者が端末上で生地やスタイルを選ぶと、画面上にできあがった服のイメージが表示されます。

    お客さんが加盟店でおこなった注文が工場に入ってくると、工場ではお客さんのサイズや注文に合わせて自動裁断機を使って生地を一着分ずつ裁断します。裁断された生地は「知能ハンガー・システム」と称されるハンガーにぶら下げられ、ハンガーが工場内を動き回り、流れ作業によって服が作られていきます。報喜鳥集団の上海の子会社、上海宝鳥ではスウェーデンのイートン・システムズの知能ハンガー・システムが導入され、報喜鳥集団の温州工場ではINAという中国メーカーのシステムが使われていました。

    仕様は無線でタグから端末へ

    この知能ハンガー・システムこそマス・カスタマイゼーションの心髄ともいうべき装置です。なぜなら各ハンガーにはICチップ(無線タグ)が埋め込まれており、そのチップに一着ごとの服の仕様が読み込まれているからです。ラインの作業者はそのチップに読み込まれた情報を手元にある端末に表示させ、それを見ながら一着ごとに異なる作業をします。


    報喜鳥集団の工場現況ボード Tomoo Marukawa

    工場内の電光掲示板(写真)では、注文された一着ごとに現在どの工程にあるかが表示されており、発注した人も自分の注文した服がどの段階にあるかを店で確認することができます。

    既製服を買うのに比べて、報喜鳥集団で実践しているマス・カスタマイゼーションの方法で服を作ってもらうメリットは、自分の体と好みにより適合した服を手に入れられることです。一方、作るメーカー側にとっても、既製服を見込み生産することによる作りすぎの無駄を減らすことができます。消費者にとってのデメリットは既製服より高価になる可能性があることですが、報喜鳥集団の場合、受注生産のスーツの最低価格は日本円換算で3万円程度なので、大量生産の低コストのメリットを余り犠牲にしていないことがわかります。マス・カスタマイゼーションのもう一つのデメリットは、服を買ったらすぐに持ち帰ることのできる既製服と違って一定の待ち時間があることです。報喜鳥集団ではリードタイムの短縮に努力してきたものの、注文を受けてから服が完成するまで7日間必要だとのことでした。

    工場の海外移転に対する選択肢

    中国では賃金が年々上がっており、報喜鳥集団の工場でも一般ワーカーの手取り賃金が月5~6万円ぐらいになっています。アパレル縫製業は労働集約的な産業の代表格ですから、中国で賃金が上昇すればより低賃金の国に衣服工場が移転する流れになるのは当然のことです。報喜鳥集団でも工場の労働者集めに苦労しており、工場の海外移転の可能性を検討したこともあるそうです。しかし、店で注文を受けてから生産する受注生産で迅速に品物を消費者に届けるには中国国内に工場があったほうが有利です。工場を海外に移転し、低賃金を利用した大量生産を続けるか、自動裁断機など省力化設備を導入し、マス・カスタマイゼーションによって作りすぎの無駄を減らすとともに付加価値を高めるかという選択を前にして、報喜鳥集団は後者を選択したわけです。

    労賃の急上昇によって中国の産業では、従来の労働集約的な技術を転換し、ロボットや自動裁断機などの資本・技術集約的な技術の導入が進んでいます。中国の産業がそうした転換期にあるからこそ、「インダストリー4.0」のさまざまなアイディアに対して積極的に反応する企業が多いのでしょう。

    紳士服ばかりでなく、婦人服や靴などでも、もしマス・カスタマイゼーションが実現したら大きな市場が開けるように思います。仮に既製服や既製の靴より1~2割値段が高いとしても、自分の体形、足型、好みにピッタリ合った服や靴が手に入るとしたらそちらに流れる消費者も少なくないのではないでしょうか。

    日本ではとうにやっている、という勘違い

    実は、日本でもマス・カスタマイゼーションを実践している紳士服メーカーがあることに最近気づきました。発注から納品までのリードタイムは国内の工場で作ってもらう場合でも2週間以上で、報喜鳥集団より長いですが、服のお値段は既製服に比べてそれほど高くありません。しかし、日本ではやはり既製服の方が圧倒的に主流で、マス・カスタマイゼーションが大きな流れになっているとはいえません。報喜鳥集団の場合も、売上は会社の地元の温州市と上海市にかなり偏っており、中国全土で人気が高まっているとまでは言えないようです。

    それでも「インダストリー4.0」のアイディアと無線タグなどの最新技術を顧客満足の向上につなげようという報喜鳥集団の進取の姿勢には感心しました。「インダストリー4.0」はドイツ政府・産業界のプロパガンダだという見方は一面の真実を突いてはいるものの、「そんなことは日本ではずっと前からやっている」と見下すばかりでは何も学ぶことができないでしょう。



    丸川知雄

    1964年生まれ。1987年東京大学経済学部経済学科卒業。2001年までアジア経済研究所で研究員。この間、1991~93年には中国社会学院工業経済研究所客員研究員として中国に駐在。2001年東京大学社会科学研究所助教授、2007年から教授。『現代中国経済』『チャイニーズ・ドリーム: 大衆資本主義が世界を変える』『現代中国の産業』など著書多数。