4月23日は土用丑の日!蒲焼き、うな丼、うな重……進化の過程を追う。

4月23日は土用丑の日!蒲焼き、うな丼、うな重……進化の過程を追う。

写真:中庭愉生 文:森脇慶子

もうすぐ2021年の土用丑の日。馴染み深いうなぎ料理「蒲焼き」「うな丼」「うな重」は、いったいどのようにして生まれたのだろうか。過去の記述をもとに、変化の流れを追っていこう。

【蒲の穂焼き】始まりは、丸ごと串に刺してシンプルに。

“石麻呂に われ物申す 夏痩せに 良しといふ物ぞ 武奈伎 取りめせ”とは、万葉を代表する歌人大伴家持が詠んだ一句。うなぎの滋養強壮作用が古来広く知られていたことがわかる。
当時、平安貴族はうなぎを白蒸しにして塩で食べていたようだが、庶民はおそらく他の川魚のように丸ごと串に刺し長いまま焼いて食べていたのだろう。いまではこれを「蒲の穂焼き」と呼ぶ店もあるが、当時はそのかたちが蒲の花穂に似ていることから蒲焼きと呼んでいたそう。『大草家料理書』(室町末期)に「宇治丸かばやき事。丸にあぶりて後に切る也。醤油と酒と交て付る也」と記されていることからもうかがえる。

【蒲焼き】割きに焼き、調味料の生産で確立した完成形。

江戸時代初期までは、まだうなぎの丸焼きをぶつ切りにした昔ながらの蒲の穂焼きが、割いて焼くスタイルに変わり始めるのは、元禄時代前後からといわれている。江戸中期の茶人遠藤元閑の『茶湯献立指南』では蒲焼きの調理法について、うなぎを背開きにし串を2本刺して焼く方法が紹介されており、17世紀後半には既に割いたうなぎの蒲焼きが売られていたようだ。
うなぎ屋が増え始めるのもこの頃で、タレで味付けするようになるのは18世紀以降。江戸近郊の野田や銚子で醤油が生産され始めてからで、それまでは酢や山椒味噌などで調味していたようだ。そして、現在と変わらぬ蒲焼きが完成するのは19世紀前半。

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