フーテンの寅にオマージュを捧げた、旅心のうずくアイテム

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    フーテンの寅にオマージュを捧げた、旅心のうずくアイテム

    文:小暮昌弘(LOST & FOUND) 写真:宇田川 淳 スタイリング:井藤成一
    イラスト:Naoki Shoji

    第1回 寅さんの傘

    姓は車、名は寅次郎。人呼んで“フーテンの寅”。映画『男はつらいよ』で渥美清が演じた“寅さん”の一挙手一投足に、日本中、いや世界中の人がどれほど笑い、どれほど泣かされてきたことだろうか。1969年のシリーズ第1作から50年目の2019年12月27日、シリーズ50作目の『男はつらいよ お帰り寅さん』が公開された。49作目の『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別編』以来、22年ぶりに製作された最新作で、96年に亡くなった渥美清をはじめ、倍賞千恵子、前田吟、吉岡秀隆らのお馴染みのメンバーが顔を揃え、加えて歴代のマドンナからは後藤久美子、浅丘ルリ子が登場した。

    最新作の公開に合わせてビームス ジャパンが企画したのは、寅さんのイメージに合わせたコラボレーションアイテムだ。この企画を担当したビームス ジャパンバイヤーの鈴木修司さんは、「どれも寅さんそのままというカタチではなく、ビームス目線というか、現代にアップデートさせたアイテムに仕上げました。いま、寅さんが生きていたら……。寅さん好きにはこんなものを使って欲しいという発想でつくりました」と語る。しかも『男はつらいよ』で日本中を旅した寅さんに合わせ、日本の各産地の名ブランドとコラボレーションし、唯一無二の“寅さん”の世界観を表現している。

    生地はポリエステル100%。傘の骨にはカーボンを使用。中棒はアルミ素材で、持ち手はクラシックに木製だ。山梨県都留市にある傘の老舗「槇田商店」と生地から開発したもので、純日本製。¥9,900/槇田商店×ビームス ジャパン

    「俺はもう二度と帰らねえよ、いつでも帰れる所があると思うからいけねえんだ、うん」

    1971年のシリーズ6作『男はつらいよ 純情編』で、旅先で出会った絹代(宮本信子)を故郷の五島列島に連れ帰った寅さん。絹代の父・千造(森繁久彌)に話したセリフがこれだ。

    日本中を旅する寅さんが必ず着用するのが、ベージュの格子柄のスーツ。この服を手がけた「松竹衣装」の担当者によれば「格子は粋だから」と渥美清からのリクエストでこの柄を選んだという(『メンズプレシャス』誌2015年夏号より)。生地そのものは、女性用につくられた日本製だそうだ。この格子柄は寅さんのアイコニック的な存在で、4作目以降、寅さんはほとんど格子柄のスーツを着用している。

    そのスーツをイメージして製作されたのが、格子柄の折り畳み傘だ。「劇中では寅さんは粋な番傘などをさしていますが、寅さんは旅人なので、本当に使うならばと思い、トランクに入る折り畳み傘にしました」とビームスジャパンバイヤーの鈴木修司さんは話す。製作を担当したのは山梨県都留市で1866年に創業された「槇田商店」。もともとは甲斐絹織物の卸として創業した会社だ。戦後に傘生地の生産をスタート、「先染め洋傘生地」の生産で名を馳せ、現在は生地やデザインから製造まで、洋傘を一貫生産する。今回のモデルでは、寅さんのスーツ生地を借りて、裏表とも格子柄のジャカード生地を再現し、軽くて丈夫で使いやすい折り畳み傘に仕上げている。旅をともにするトランクから、寅さんが取り出しそうなアイテムではないだろうか。同じ生地で傘カバーまで付いている。

    (参考文献/『いま、幸せかい?「寅さん」からの言葉』(滝口悠生選、文春新書) 

    「粋」を意識して渥美清が選んだ格子柄を再現した生地。表も裏も同じ格子柄のジャカード素材なので、傘を差している側からも格子柄がよく見える。

    フレームには「槇田商店」のラベルが縫い付けられている。槇田商店は山梨県都留市で、1866年に絹織物の卸として創業。戦後に傘の生地の生産をスタートし、いまでは製造までを一貫して手がける、老舗中の老舗だ。

    傘のケースも格子柄で、「男はつらいよ ビームス篇」と書かれたコラボレーション企画の織りネームが縫い付けられている。

    問い合わせ先/ビームス ジャパン 渋谷 TEL:03-5422-3974