1971年に誕生した名品、「スタンスミス」は古びないのか?

熟練編集者の物欲クロニクル

Vol.01
イラスト:多屋光孫 文:小暮昌弘
さまざまなものを見聞きしてきた熟練編集者の物欲遍歴をたどる新連載がスタート。大のモノ好きとして知られ、ファッションに対してこだわりをもつ元メンズファッション誌編集長の小暮昌弘さんが、思い出たっぷりの私物について語ります。第1回となる今回は、いまも男女ともに人気がある、あのスニーカーについてのお話です。

Vol.01 

スニーカーブームの中、履いている人を見かけない日はないと言えるほど、「アディダス スタンスミス」は人気者になりました。この靴に私が出合ったのは1976年。雑誌『ポパイ』の創刊号です。当時の「アディダス」は、スポーツ専門誌に載っているサッカースパイクなどばかりで、田舎町ではそれもなかなか目にすることができません。ましてやジョギング用やテニス用の「アディダス」なんて雑誌で見るぐらいで、どこで売っているのかもわかりません。当時の「スタンスミス」はフランス製で、びっくりするくらい高価。本当に希少なスニーカーでした。1足目を手に入れたのは、1977年か78年のことだと思います。真っ白な「スタンスミス」を前に、これは自分たちが履いていた「ズック」(昔はこう言っていたのです)とはまったく違う靴だと、ずっと眺めていた覚えがあります。

フランス製が買えなくなる日がくるなんて……。

それから、お金を貯めては1足ずつ買い足していき、6足のフランス製「スタンスミス」を揃え、毎日のように履きました。通気穴をストライプ代わりにしたシンプルなデザインが私好みで、6足でローテーションさせれば靴はもう要らないのでは、と踏んだからです。フランス製にこだわったのは、アジア生産のものとは木型が明らかに違って、少し細身で、シュッと見えたから。ドイツ生まれなのに、なぜかフランスでつくっているということにも、お洒落心を感じました。しかし海外で新しいスニーカーを見つけ、荷物を減らすために泣く泣くホテルに置き去りにしたり、撮影途中の急な雨で泥だらけにし、再生不能で破棄したり、友人のホームパーティで知らない人に間違えて履いていかれたり、気がつくと手元に残る「スタンスミス」は1足。ほどなく「スタンスミス」もフランスでつくるのをやめました。こんなことなら借金してでも、もっと買っておけばよかった……。

2回も“命名”されたスニーカーは珍しい

ご存じの方も多いでしょうが、「スタンスミス」とは米プロテニス選手の名前で、彼がこの靴を履いたことからモデル名に採用されました。それ以前は「ハイレット」と呼ばれ、ロベール・ハイレット(ハイレと呼ぶ人もいます)というフランス人から命名されましたが、彼もテニス選手です。初のオールレザーのテニスシューズとして1965年に発売され、「スタンスミス」と命名されたのは1971年。販売数でギネスブックに掲載されたこともあります。実は前身の「ハイレット」も何度か復刻したことがあります。踵に「stan smith」の文字がないデザインで、さらにシンプル。昔の木型に近い「スタンスミス80s」というモデルも人気でしたね。このモデルが出て少し経った頃、「スタンスミスがなくなる!」という噂を耳にしました。下町のスニーカーショップで尋ねると「それがね、今季のカタログには入っていないんだよ」と。「これは一大事」と、ネットまで駆使して2足キープしましたが、それから間もなく、「スタンスミス」は本当に消えてしまいました。手元に残る数足の「スタンスミス」を前に、もうこの靴は買えないと感傷的になりながらも、もう誰も買えない靴になった……というイヤらしい気持ちもどこかに。

物欲マニアを狙った、完璧な作戦とは?

そして2014年。「スタンスミス」は蘇りました。発売の情報をネットで発見し、台風で豪雨の中、売り出し日に代官山のショップに行くと、しかし「スタンスミス」は跡形もなく、完売。そうなると、逆に是が非でも手に入れたいという気持ちがつのるのが靴好きのサガです。この靴を希少で特別な存在にするという「アディダス」の戦略は見事なものでした。発売から半世紀も経ったスニーカーが、一躍ファッションアイテムへと躍り出たわけですから。いまや、あのイタリア人さえも「スタンスミス」を誇らしげに履きます。でも私は疑っています。またこの靴が手に入らなくなる日がやってくるのではと。それでまた「スタンスミス」を買ってしまうのですが。現在、下駄箱に並ぶ「スタンスミス」は、古いものから新しいものまで、白も黒も緑も入れて、計12足。まだまだ増殖中です。

ブランド名:アディダス 

モデル名:スタンスミス

購入年:1977~78年

購入場所:不明

購入当時の価格:¥10,000程度

1971年に誕生した名品、「スタンスミス」は古びないのか?