人気建築家、谷尻誠が考えるコロナ時代に適した柔軟な働き方とは?

  • 写真:竹野内裕幸
  • 編集&文:山田泰巨

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谷尻誠●1974年、広島県生まれ。2000年、建築設計事務所SUPPOSE DESIGN OFFICE設立。インテリアから住宅、複合施設まで国内外のプロジェクトを手がける一方、多分野での開業など活動の幅も広がっている。

新型コロナウイルスの流行は世界の動きを一気に止めた。消費、雇用、投資など、すべての経済活動が足踏み状態にあり、観光業、飲食業を中心に深刻な問題を抱える企業は多い。「人が動かなければ、仕事にならないのは僕たち建築家も同じ。依頼されていないのに、勝手に建物を建てるわけにはいきませんからね」

設計事務所「SUPPOSE DESIGN OFFICE」の共同主宰者として、住宅、商業施設、ホテル、飲食、オフィスなど、幅広いジャンルの設計を手がける谷尻誠さん。一方で、「社食堂」「絶景不動産」「21世紀工務店」「toha」「tecture」と、飲食、不動産、映像制作、メディアなど、現在は多岐にわたる会社を経営する起業家としての顔ももつ。

「複数の会社を経営していると話すと自信に満ちあふれたやり手というイメージをもつかもしれませんが、僕はまったく逆のパターン。仕事を始めた頃から、ずっと『この次に依頼が来なかったらどうしよう』という不安に苛まれています。なんとかして仕事がくるような仕組みを自分なりに考えた結果、建築に付随するビジネスを次々に起こしてしまっただけなんです」

自信がないから起業するという予想外の答えに思わず首を傾げてしまう人もいるだろうが、谷尻さんの発想はいたって明快だ。

「肩書に固執して母体を大きくすることに専念するよりも、状況に応じてフレキシブルにふるまい、調整を重ねたほうが身の丈に合った仕事になる。建築家という専門性に偏るのではなく、さまざまな方向から人と絡み合い、コミュニケーションを重ねたほうが仕事のクオリティも確実に上がります。この先にあるかもしれない可能性を早々に諦めたくはないんです」

自粛ムードを受け、従来通りのふるまいができなくなったいま、誰もが戸惑い、不安を抱いている。その事実を認めつつも谷尻さんは、また違う角度から現実を見つめる。

「時代がフリーズしたことで、世界中の人が一律に同じスタートラインに立たされているとも考えられる。ならばこの際、これまで信じていた固定観念をかなぐり捨て、さまざまなことをゼロから考え直す絶好の機会です」

一方で谷尻さんはキャリア初期から広島と東京の2拠点に事務所を構え、各地を移動しながら活動を続けてきた多拠点生活の先駆者でもある。現在は自身も自宅で打ち合わせに参加し、アイデアを練ることも。

「移動するには時間だけでなく、お金だってかかりますから正直大変です。でも移動するほどに体験は増え、やるべきことがはっきりと見えてくる」

居場所に応じて、いつでもどこでもできること、ここでいまやるべきことが振り分けられ、一人きりになる移動中は集中してアイデアを深めていくのに有効だとも話す。

「対面のやりとりも、会わなくても深められることと、会ったときにしかできないことを明確に分けて考えます。遠距離恋愛にも近い感覚ですかね」

このように、そもそもテレワーク中心だった谷尻さん自身の仕事にコロナの影響はそれほどないというが、社内には新しい風が起こり始めている。

「コロナ以前から海外に移住し、テレワークで働きたいと、社員から申し出がありました。彼が社外に出ることで、会社にどんな新しい文化、出会いがもたらされ、チャンスが訪れるのか。互いのメリットとデメリットがあるのかをきちんと精査した上で、結論を出そうと思っています」

こうした情勢だからこそ被用者は会社に帰属する意味を問い、雇用者は育成すべき人材を吟味する。それぞれの正直な気持ちを対等な立場で話し合いを重ねることができれば、これまでとは違う働き方、職場環境になったとしても、互いに高みを目指すことができるはずだと谷尻さんは提言する。

「子どもの頃、祖母にいつも『始末しなさい(質素に生きるという意味の広島の方言)』と言われて育ったせいでしょうか。基本的に無理をせず、分相応に生きる姿勢を貫いています。だからビジネスを拡張するばかりでなく、必要に応じて縮小する覚悟ももちろんある。不安をマネジメントすることは、新しいことを起こす原動力になると同時に、変化に柔軟に対応し自身を防御する力にもなると思うんです」

面倒なことや不確かなことにも一度は正面から向き合い、そこから自分なりの答えを導き出す。困難にも柔靱に対応する谷尻さんの姿勢は、特別な時代を生きる私たちにひとつの指標を指し示しているようだ。