過ぎゆく時のせつなさを痛感させる、大人向けの絵本8冊

  • 写真:青野 豊
  • 文:Pen編集部

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時の流れに胸がずきんとするのは、年を重ねた人だけの事象らしい。過去が増えるほど、悲しみも降り積もるからだろうか。そんな大人だけにわかる、“時の痛み”を感じさせる本を集めてみた。

『モミの木』

「早く大きくなりたいな」──子どもはそう願う。それがどんなにもったいないことかも知らずに。いまを生きることの尊さを謳う名作は、その普遍さ故に描き手を変えて何度も刊行されてきた。マリメッコのデザイナーであるアンヌッカは、幾何学模様の組み合わせでモダンな森や炎を表現。バーナデット・ワッツは、ふんわり優しいタッチで。幻想的な挿画で人気のバーカートの絵は、モミの葉の1本1本の質感までも感じる緻密さ。オットーは綿密な時代考証を下地に、古典童話にふさわしい端正さを醸し出す。多彩なイメージを味わいたい。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン 作 サンナ・アンヌッカ 絵 小宮 由 訳 アノニマ・スタジオ 2013年

『たくさんのドア』

振り返るから、感じることがある。違う道もあったかも──後悔。諦めないでよかった──自信。でも、そう思うのは大人だけ。子どもは振り返らない。その瞬間を、常に全力で前へ進む。目の前に、数え切れないドアがあると知ってか知らずか……。子どもをもつ人が読めば、本書は親の目線で書かれたと思うだろう。シングルの人や成長途上の人には、自分に贈るエール? 人生を折り返した人なら、次の世代に伝えたい言葉? 時は巻き戻せない。だから人生は輝く。そんなメッセージが聞こえる本。

アリスン・マギー 文 ユ・テウン 絵 なかがわちひろ 訳 主婦の友社 2018年

『アライバル』

造本は凝りまくっている。文字はない。絵コンテのようにコマ割りされたページと、一枚絵がどんと広がるページとで構成される本書を「グラフィック・ノベル」と呼ぶ人もいる。異形の棲む世界。主人公は家族と別れてひとり、どこかに“到着”する。本書の帯にある通り、移民とは「過去の自分を捨てなければならない辛さと、新しい人生を手にした幸せとの両面」を味わう者。ひとりの記憶が出会った人の記憶を呼び覚まし、物語は続く。現実と夢のあわいをたゆたいながら。

ショーン・タン 著 河出書房新社 2011年

『なつのいちにち』

え、なんでこれが泣けるの?という人もいるかもしれない。夏休み、田舎で虫取り。走る、走る、カエルを蹴散らす、木に登る。泥だらけ。でっかいクワガタを捕まえた時の、あの誇らしさ。セミしぐれが、石段を駆け上る時の心臓の音が、ザーザー降る夕立がもう、うるさいくらい本から鳴り響く。いまの自分はどうだろう。あんなうるさくてまぶしい夏に、出合えているか。あの草いきれと川のせせらぎは、まだ存在するのか。それを失う怖さに、胸が潰れそうだ。

はた こうしろう 作 偕成社 2004年

『おばあちゃんのはこぶね』

親しい人との別れが続いても、記憶が薄れていっても、思い出はなくならない。自分は忘れても、自分の大切にしていたモノたちが覚えていてくれるから。主人公の女性が大切にしているのは、父親がつくったはこぶね。旧約聖書で神がノアにつくるよう命じたのは、単に種の保存のためだけでない、思い出を詰めるための容れ物だったのかも。静謐な文章と、余白の多い絵の余韻も心に残る本だが、巻末に収録された作者の「最期の言葉」がまた深い。

M. B. ゴフスタイン 作・絵 谷川俊太郎 訳 現代企画室 2018年

『きょうというひ』

読むタイミングや季節により、印象の異なる絵本がある。もしクリスマスに読んだなら、本書は素敵なギフトと感じるかもしれない。もし震災の起きた日に読んだなら、当時の真っ暗な闇を思い出すかもしれない。誕生日にはお祝いの、お盆には慰めの気持ちを呼び覚まし、疲れた夜には癒やしとなり、仲間が集まる夜には分かち合いの象徴と見えるかもしれない。人はなぜ、なんのためにロウソクをともすのか。次にともした夜、もう一度、本書を開いてみたい。

荒井良二 作 BL出版 2005年

『最初の質問』

生きていく上で、詩なんてなんの役に立つ? そう問われたら、本書を差し出そう。書かれている質問に、まずは答えていってほしい。そして10年後、いや1年後でもいい、もう一度、本書を開いて答えてみよう。答えの変わった質問はあるか。答えられなくなってはいないか。それはなぜなのか──。詩人が問う、言葉の重み。そこに寄り添う、名作『ルリユールおじさん』の著者いせひでこの淡い、優しい絵。SNS全盛のいま、最後の2行がずしんと響く。

長田 弘 詩 いせひでこ 絵 講談社 2013年

『おおきな木』

村上春樹の新訳を得て、再び多くの人に読み継がれている名作中の名作。物語の中でも時間が重要な役割を果たすが、邦訳が版を重ねる経緯もまた、時の妙味を感じさせるものだ。なかには、幼い頃に読み、大人になって再読した人もいるだろう。そうして初めて、気づいたことがあるのでは? たとえば、自分自身も、主人公が木に発したのと同じ言葉を、誰かに対して口にした記憶があるとか……。時が与える気づきとは、しばしば残酷なものだ。 

村上春樹 訳 あすなろ書房 2010年