日本の自然の強さと儚さを、プラチナプリントと繊細な装丁で表現した写真集『SHIZEN』。

  • 写真:宇田川 淳
  • 文:馬庭あい

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写真集『SHIZEN』のコレクターズ版。巻き物状の写真集が筒型のケースに収まるユニークなつくりだ。横軸に流れるような装丁がパノラマ写真を引き立たせる。

2020年に日本へ帰国するまで長年バルセロナを拠点とし、世界を舞台に報道写真分野で活躍してきた写真家・森本徹をご存じだろうか。彼の名を知る人は少ないかもしれない。しかしその写真は、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ニューズウィークなど多くの新聞・雑誌に掲載され、賞賛を浴びてきた。

その森本が、約10年ぶりとなる写真集をリリースした。タイトルは『SHIZEN』。日本の自然風景を切り取った写真集である。これまで世界に目を向けてきた森本が、なぜ日本と向き合うことになったのか。報道写真の分野で長年キャリアを築いてきた彼が、なぜいま自然と対峙するのか。森本本人にインタビューを行い、写真集制作の経緯とそこに秘められたメッセージを聞いた。

日本の自然風景とそこに暮らす我々とのつながりは、唯一無二のものである。「NATURE」ではなく「SHIZEN」としたタイトルにはそのようなメッセージが感じられる。

写真集『SHIZEN』は、森本が日本各地を巡りながら出合った自然風景の写真をまとめたものである。

きっかけは2011年の東日本大震災だった。別の写真集制作のために前年から妻と日本へ一時帰国していた森本。震災が発生し、写真家として撮りに行くべきか、少し時間を置くべきか葛藤した。

「震災から1ヶ月後、撮りに行くことに決めました。報道的に取材するのではなく、自然を撮りたかったのです。日本人と自然のつながりを見つめ直したかった。海外に長くいたことで気づいたのですが、日本人と自然の結びつきは特殊で、極めて強い。自然に対する敬意や畏れがあり、共生してきた。そして、そういう強いつながりがありながらも、自然災害などでは裏表に変わるような関係性がある。写真を通して深く見つめたいと思いました」

縦位置で表現されることが多い滝を下からあおるようにして、パノラマでダイナミックに切り取った1枚。プラチナプリントらしい黒の強さも魅力だ。

撮影はそこから8年にも及び、日本へ帰国するたびに各地の風景を撮り続けた。

それまで自然風景を撮ろうと思ったことは一度もなかったという森本。職人の世界である報道写真の最前線で活動してきた彼にとって、風景写真はどこか趣味的でハイアマチュアのものという印象もあったのだという。

「でも今回、初めて日本の自然風景に興味が湧いて撮ってみたら、面白かった。写真の“一期一会”の部分は、被写体が変化しても変わらないのだと思いました。報道写真のように、現場で起きていること・動いているものがなかったとしても、風景写真だって二つと同じものは撮れない。後でまた撮りに来ようと思っても、光も波もすべて変わっているから出会ったその瞬間にしか撮れないんです」

北海道の広大な大地に並ぶ杭を捉えた作品。自然風景の中に写り込む人工物に惹かれると森本は言う。

自身の作品制作ではもっぱらフィルムカメラを使うという。世界をともに眺めてきた長年の相棒はライカM6だが、今回撮影に用いたのはパノラマフォーマットカメラ、ハッセルブラッド「XPAN」だ。当初はスクエアフォーマットのカメラも併用していたが、写真の上がりを見たときにパノラマの方が断然しっくりきたという。

「例えば屏風絵だったり、掛け軸の場合は縦だけれど、日本では昔から自然風景を長いフォーマットで切り取ってきた。そういう日本人がいままで自然を描いてきたものに近いフォーマットで撮りたいなと思いました」

『SHIZEN』の撮影風景。作品はすべてパノラマカメラ、ハッセルブラッド「XPAN」(日本での製品名は富士フイルム「TX-1」)で撮影した。もともと自身の作風は“正統派”だと言うが、その中でも被写体に応じて機材や手法に工夫を凝らしてきた。ちなみに、パノラマ写真の名手にはジョセフ・クーデルカがいるが、報道写真家とパノラマ写真の関係性も興味深い。

数百年残るプラチナプリントで、永遠に続く自然の生命力と強さを表現

すべてプラチナプリントで焼かれた作品は、黒の締まり具合と、暗部のトーンもつぶれない豊かな階調が魅力だ。

写真のアウトプットもまたユニークである。『SHIZEN』収録作品は、「プラチナ(プラチナパラジウム)プリント」で自ら焼いた。モノクロプリントでは「銀塩(ゼラチンシルバー)プリント」と呼ばれるものが一般的で、プラチナプリントはその名を見てもわかる通り、感光に利用する金属成分が異なる。金属として安定性の高いプラチナやパラジウムを用いることで耐久性の高いプリントを作れるアドバンテージがあるが、一方で材料調達などのハードルも高い。なぜ敢えて選んだのか。

「まさに耐久性に惹かれました。プラチナプリントはきちんと焼けばプリントが数百年残ると言われています。自然の寿命は人間よりも遥かに長く、悠久の歴史がある。その永遠に続くような自然の強さを表現するために、プラチナプリントを用いたいと思ったのです」

写真集中面の紙は極めて繊細。作品ページの用紙は、トレーシングペーパーのような透ける薄紙を使用。その上に和紙が挟み込まれている。

『SHIZEN』は、装丁も独創的だ。コレクターズ版と普及版の2タイプがあり、今回記事に掲載している写真はコレクターズ版。なんと巻き物である。版元であるイタリアの出版社・オリジーニ・エディッシオーニのアイデアだという。

鑑賞者は、筒型のケースから巻き物状の写真集を取り出し、1ページずつ慎重にめくって見ていく。作品ページの用紙も、その上に挟み込まれた和紙も極めて薄く繊細である。なぜこのようなデリケートなつくりにしたのだろう。

「装丁やデザインは出版社の意向ですが、薄い紙は僕のこだわりです。作品原版も薄い和紙にプラチナプリントしています。プラチナプリントの力強さと、薄く繊細な和紙は矛盾しているように思えるかもしれませんが、自然の『強さ』と他方での『儚さ』を表現したかった。自然は永遠に続くと先ほど述べましたが、一方で、一瞬で崩れてしまう脆さもある。その儚さを伝えるために、写真集でも透けるほど薄い用紙を使用しました」

和紙の部分にはページごとに異なる書が印刷されている。書を嗜むという、出版社オリジーニ・エディッシオーニのオーナーによるアイデア。

敢えて綴じ糸を見せ、和綴じのような印象に仕上げている。巻き物状のコレクターズ版と異なり、普及版は一般的な平置きの装丁だ。

収録作品はどれも幻想的であり、プラチナプリントならではの黒の濃さや階調も相まって水墨画のような世界観だ。ただ、杭や防波堤などの人工物を敢えて排せずアクセントとして配置した構図には、単に美しいだけの風景写真にはしたくないという森本の意志と遊び心が感じられる。

ちなみに通常のプリント作業では暗室の中で露光装置を用いて焼き付けていくのだが、紫外線域の光で感光するプラチナプリントでは、光源が安定していれば太陽光でプリントできる。森本は当時の作業場の屋上で、バルセロナの太陽を浴びせながらこれらの作品を焼いたという。

それはまるで、写真集『SHIZEN』そのものを象徴するようだ。被写体である日本の自然風景に、世界を撮り続けてきた森本ならではの広く達観した視点が注がれ、ユニークかつ客観的に切り取られている。

森本のグローバルなキャリアとバルセロナの太陽は、日本の自然風景の魅力を再発見させ、写真集の中で作品を輝かせ続けている。

写真集『SHIZEN』コレクターズ版(20ページ)¥34,600(税込)。筒状のケースに収められる。

写真集『SHIZEN』
コレクターズ版(20ページ)¥34,600(税込)、普及版(36ページ)¥15,400(税込)
※記事の写真はコレクターズ版

コレクターズ版は森本氏より直接購入可能(限定2部。https://www.torumorimoto.com/contact/より要問い合わせ)。普及版は大阪市の書店「スタンダードブックストア」にて購入可能。

写真集はMIYAMA PHOTO STUDIOのギャラリースペースでも閲覧できます。