映画監督・白石和彌×音楽プロデューサー・松隈ケンタ、貴重なクリエイショ...

映画監督・白石和彌×音楽プロデューサー・松隈ケンタ、貴重なクリエイション談議を初公開!

写真:榊 水麗 文:Pen編集部

Penクリエイター・アワード2019を受賞した映画監督、白石和彌さんのトークショーが2020年1月31日に実現した。「白石監督がいま会いたいクリエイター」として招かれたのは、ガールズグループBiSHなどの楽曲を手がける音楽プロデューサー、松隈ケンタさん。

映画と音楽というフィールドでそれぞれ活躍するふたりによる、異色のクリエイション談議。熱く濃い内容で、初対面とは思えない盛り上がりを見せた、貴重なトークの様子をレポート!

13年前に活動休止した、松隈さんのバンドのファンだった。

白石:映画関係のトークイベントは割とよくやっていて、せっかくの機会なので刺激がほしいなということで、松隈さんとお話をしてみたかったんです。本当に楽しみにしていました。

松隈:僕は映画監督と対談するのはもちろん初めてです。映画について娯楽大作くらいしかチェックしない人間なので、恐れ多いなと思いながら来てしまったんですけれども。でもクリエイターとしての話を一緒にできればなと思って楽しみにして来ました。

白石:どっぷりな清掃員(※BiSHのファンを指す)の方には申し訳ないんですけれども、僕も清掃員で(笑)。僕は監督になったのが2008年くらいで、その以前には長いこと助監督をやっていました。ちょうど30歳を超えた時に監督になるための準備をしますと宣言し、とある映画会社が企画開発をしながら一緒に準備をしようよと声をかけてくださって、2年間くらいデスクワークをしていたんですよ。その会社がavexさんとよく仕事をしていて、当時のプロデューサーから「聴いてもらいたいものがある」といただいたCDが、Buzz72+のものだったんです。「屋上の空」という曲です。

松隈:僕が15~16年前にやっていたバンドですね。デビュー曲です。

白石:やたらとかっこいい曲だなって。その後、『Brand-new idol Society』というBiSのアルバムを聴いたり、ドキュメンタリーを見たりしているうちに、どうやら曲をつくっているのがBuzz72+の松隈さんだということにどこかで気づいて……。たくさん曲をつくっているじゃないですか。そのあたりのイメージってなんなんだろうっていうのを聞いてみたいと思っていました。

松隈:なるほど……もうびっくりして(笑)。BiSHとかBiSとか、最近だとサウンドを少し手伝っている「豆柴の大群」っていうアイドルあたりを聴いている方は結構いらっしゃるんですけれど、白石監督が13年前に活動休止した僕のバンドを聴いてくださっていたというのは、楽屋で聞いてびっくりしました。「なんで僕が呼ばれたんやろ」っていう次元からの「そんな前から知っていただいてたんだ」っていう驚きが、すごくうれしかったですね。


白石和彌●1974年、北海道生まれ。若松孝二に師事し、助監督を務める。2010年に初長編『ロストパラダイス・イン・トーキョー』を発表。代表作に、国内の映画賞を総なめにした『凶悪』(13年)、『彼女がその名を知らない鳥たち』(17年)、『孤狼の血』(18年)など。19年は『麻雀放浪記2020』『凪待ち』『ひとよ』と3作品を公開。

300曲をつくったら、「でかい案件が決まるかもしれない」と言われていた。

白石:2007年にバンドが活動休止して、作曲家になったのはその後ですか?

松隈:僕はインディーズの頃から自分で作曲を行っていたんですけれど、SMAPさんの「夜空ノムコウ」とかKinki Kidsさんの楽曲の編曲をいっぱいやっているCHOKKAKUさんという方に拾われてバンドがデビューしたので、編曲、サウンドプロデュースを勉強したというか、教えられたんですね。自分がバンドとしてプロデュースされていたので、バンドが解散した後は自然とそういう仕事に就きたいなというのはあって。当時、CHOKKAKUさんから言われていたのが、「曲を提出しても、そう簡単に決まるものじゃないから、まずは100曲は1年でつくりなさい」と。牛丼屋とスタジオのバイトを24時間かけもちしながら曲をつくってました。

白石:100曲……!

松隈:はい、「提出しなさい」と。で、落とされる。「でも100曲超えるあたりからポツポツ決まってくるから、300曲まで頑張りなさい。300を超えたらでかい案件が決まるかもしれない。それくらいやらないと食っていけないよ」と最初に言われていたので。なので1年で300曲、ガーっとつくって。

白石:苦にはならなかったんですか?

松隈:300曲までは苦にならなかったですね。実際に売れてる人が「300つくればいい」と、数字で提示してくれたので(笑)。作曲家と音楽プロデューサーって、僕みたいに兼任する人もいるけれど、まったく別の職業なんですよね。映画にたとえると、作曲家っていうのは原作者とか脚本家にちょっと近い。音楽プロデューサーとか編曲家というのは映画監督。作曲家というのは印税だけの仕事なので、曲を出してもプレゼンが決まらない限り収入はゼロ円なんですよ。100曲全部がゼロ円。僕も途中までやってたんですけど、それよりは自分たちで新しいアーティストをつくったりだとか、そういうのも並行でやっていったらいいんじゃないかなと思って、BiSというアイドルを自分たちでつくりました。作曲プラス音楽プロデュースという部分まで手がけたら、仕事になるんじゃない?って思ったんですね。

松隈ケンタ●1979年、福岡県生まれ。音楽制作集団SCRAMBLES代表。ロックバンド、Buzz72+を率いて上京後、2005年にメジャーデビュー。バンド活動休止後に作詞・作曲家としてアーティストへの楽曲提供を始め、柴咲コウ、中川翔子、BiS、BiSHなど数多くのアーティストを手がける。今年1月に、Buzz72+の約13年ぶりの再結成を発表。

映画も音楽も、ひとりの力じゃつくれない。

白石: BiSのきっかけは、渡辺淳之介さん(※BiS、BiSHなどが所属するWACKの代表取締役、プロデューサー)との出会いでよね。それは曲をつくっている過程で出会ったんですか?

松隈:僕、仕事がない時に音楽スタジオでバイトしてたんですよ。そこの社員として入ってきたのが渡辺君で、ふたりでサボってたっていうのが出会いですね(笑)。僕はサボりながらスタジオで曲をつくっていたんですよ。渡辺君も、スタジオの社員というよりはアーティストを育てて、送り出したいっていう夢があったので、じゃあ彼がなにかアーティストを手がける時に僕が曲をつくりましょうっていうコンビが生まれました。

白石:なかなかそんな出会いないですよね。SCRAMBLESっていう音楽制作チームをつくったのは、ひとりより仲間がいたほうが豊かなものがつくれると思ったんですか?

松隈:そうなんですよ。映画ってひとりでつくれないじゃないですか。カメラマンがいて、脚本家がいて、照明がいて、といっぱいいてチームで制作されてて、なのになんで音楽家だけひとりでやらなきゃいけないのっていうのがすごく疑問だったんです。バンドをやっていたからもありますよね。僕はギターだったんですけど、ドラムはドラマーが考えるし、ベースはベーシストが考える。逆にひとりでつくった曲が、知らないミックスエンジニアさんとか知らない編曲家さんとかに渡っていって……。

白石:いつの間にか違うことになっちゃうんですね。

松隈:はい。作曲で僕に決まっても、レコーディング現場に呼ばれないので。別の方がプロデュースする場合はもうデモをつくってお任せになっちゃうので、出来上がっても、僕がやりたいことはできないなと思ったんです。

白石:そのへんが僕の琴線にすごく触れるんです。松隈さんがおっしゃったように、映画っていろんな人の力の集合体なので、最終的に「俺、なにやったんだろう?」ってくらいになるのが理想。僕は昔の映画人たちを愛していて、その人たちの力を使って映画をつくることが好きなんですね。松隈さんはギターを弾かれてますけれども、他の楽器のアーティストを呼んでくるとか、それがただの打ち込みじゃなくて生音にこだわったりだとか、そういうことがやっぱり曲の力、作品の力になっているんじゃないかってすごく感じるんですよね。

松隈:まさにその通りで。正直、やっぱり音楽業界ってCDが売れなくなったので、予算がどんどん下がっています。ドラムはパソコンで打ち込みでつくったりして、生で叩くなんてなかなかできなくなってきているんですね。簡易的な音楽になりつつある。でも自分たちでやれば、しかも仲間も僕の音楽をわかってくれる人を集めてチームにすれば、古き良きロックサウンドだったり、逆に言うと他と違う新しいものができるなと思って。音楽が安いものになっていくのが嫌で、なにかできないかなっていうところですね。

白石:それが松隈さんがつくられているサウンドの厚みが突出している理由なんじゃないかなって思うんですね。そういう1個1個のこだわりとか、「お金ないけどなんとかしようぜ」っていうインディーズ魂とか、やっぱり作品に力を与えるんだなと感じますね。

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