女の恋は上書き保存? 結婚45周年を迎えた老夫婦の危機を、静かに描き出す『さざなみ』。

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    主演は『愛の嵐』をはじめ数々の名作に出演し、『まぼろし』などフランソワ・オゾン監督作で再び脚光を浴びたシャーロット・ランプリング。 © Agatha A. Nitecka

    忙しい毎日のなかで色々と小さな衝突があったとしても、夫婦で何とか添い遂げていれば、お互いいい具合に枯れてきて、縁側でお茶をすする的な穏やかな老後が待っているはず。と、期待しながら生きている夫婦は少なくないと思いますが、『さざなみ』を観たら、そんな未来はとんだ甘い幻想なのではないか? と感じさせられました。いまの自分が、思春期の頃に思い描いた立派な大人からはかけ離れているように、この映画の登場人物たちのように老人になっても無我の境地はなかなか遠く、嫉妬もするし、怒りもわく。ひと組の夫婦の物語を観ていると、いつまで現役でいなきゃいけないの!? と思いながらも、60、70代になっても人はこうして揺れ動くのだから、40代の自分が惑いまくっているのは仕方のないことなんだ、と妙な安心感すら覚えます。

    『長距離ランナーの孤独』などで知られるトム・コートネイが、過去の恋人に思いをはせる夫を演じています。© Agatha A. Nitecka 

    ジェフとケイトは結婚45周年の記念パーティを目前に控えている老夫婦。パーティの準備をしているなか、雪山で命を失ったジェフの元恋人の遺体が見つかったという手紙が届きます。凍結していた若き日の記憶を溶かしていく夫と、もういない元恋人の存在に浸食されていく妻。ふたりの凪いだ日常を揺るがすように、小さな“さざ波”が立ちはじめるのです。昨今、熟年離婚の危機を迎える夫婦はめずらしくはありません。この映画が静かに恐ろしいのは、夫婦の衝突を劇的に描き出すのではなく、妻側の心のなかで起こったわずかだけれど取り返しがつかない変化を、これでもかとじーっと観察しているからだと思います。

    ふたりの愛の記憶として、プラターズの「煙が目にしみる」、タートルズの「ハッピー・トゥゲザー」など60年代の楽曲がちりばめられています。© Agatha A. Nitecka

    『あの頃エッフェル塔の下で』を観たときにも思いましたが、よく言われる“男の恋は名前を付けて保存。女の恋は上書き保存”はやはり、ひとつの真実なのかもしれません。「もしも元恋人が死んでいなければ?」とケイトに問われ、「彼女と結婚したと思う」とジェフが無邪気に答えるシーンを見ながら、正直さを誠実さと勘違いしてない!? 奥さんに甘え過ぎ! もうちょっと空気読もうか!? とイラッとしてしまいました。それと同時に、たしかに屋根裏部屋で見つけた元恋人の写真にはある衝撃的な事実が写っていたとはいえ、すっかりおじいさんになった夫にここまでジェラシーを抱けるって、しんどいけどすごい……、という気持ちにもなります。

    そして迎えたパーティ当日。夫の愛あふれるスピーチを聞く妻の何とも言えぬ表情に、胸を突かれました。ケイトを演じるのは、この作品でオスカー候補にもなった名女優、シャーロット・ランプリング。ボトックスは絶対にしていないでしょうし、もはや0.1ミリ単位で表情管理ができているとしか思えません。45年もふたりで積み重ねてきた時間が、たった6日間であっけなく壊れていくことへの虚しさか。危ういバランスで成り立っている日常と、人生への諦念か。いくつもの感情を一気に伝える名女優のあの表情から何を感じるかで、自分の人生観が浮き彫りになってくる恐ろしい作品です。(細谷美香)

    『さざなみ』

    原題:45YEARS
    監督:アンドリュー・ヘイ 
    出演:シャーロット・ランプリング、トム・コートネイ
    2015年 イギリス映画 1時間35分 
    配給:彩プロ
    4月9日より シネスイッチ銀座ほかにて公開。