短くも濃密な生涯を駆け抜けた、天才棋士の実話を描く『聖の青春』

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    体重を増やして肉体的なアプローチを試み、天才棋士を演じたのは松山ケンイチ。

    かつて専門誌『将棋世界』編集長を務めていた大崎善生の『聖の青春』は、電車の中では読んではいけないノンフィクションで、何度もボタボタ涙がこぼれて大変なことになりました。幼い頃から腎臓の病を抱えながら将棋の世界へと進み、わずか29歳でこの世を去った天才棋士、村山聖(さとし)。この本で存在を知った“怪童”の実話を映画化した作品が公開されます。描かれているのは、最期の4年間。悲しいラストに向かうことは明らかなのですが、涙を搾り取るような演出はなく、体調が悪化するなかでも対局に向かう姿が淡々と描かれています。

    命を削るような無理をせず、細く長く、将棋の世界に携わることを選ぶ道もあったかもしれません。それでもやはりこの青年にはこの生き方しかなかったのだと、大幅に増やしたという体重に魂を込めた松山ケンイチの芝居が、圧倒的な説得力をもって訴えかけてきます。いつ死んでもおかしくない。明日、死ぬかもしれない。そういう切迫感と焦燥感を持つ人にしか見えない風景を、たしかに私たちにも見せてくれるのです。

    髪や爪にも命が宿っているからと、切るのを嫌がり伸び放題。こよなく愛する少女漫画が積まれた足の踏み場もない部屋に暮らし、牛丼は吉野家でなければならず、好きなワインで酔っぱらえば先輩にも物怖じせずに突っかかる――。頑固で風変わりな村山聖青年の、どこか憎めないチャーミングないくつもの横顔も切り取られています。

    競技かるたのアクションをスローモーションで映し出した『ちはやふる』の対戦も見応えがありましたが、本作には派手な演出はなく、ひたすら対局を粘り強く映し出していきます。将棋のルールをほとんど理解していない人間でも吸いこまれるように見入ってしまったのは、まるでこの世には棋士ふたりしか存在していないような、崇高な宇宙のようなものに触れられるからにほかなりません。

    親のような愛情で弟子を見守り続けた師匠、森信雄や個性豊かな仲間たちとの関係も描きながら、ひとつの軸となっているのは、羽生善治との絆です。東出昌大は羽生本人から譲り受けたという眼鏡をかけ、緻密な役づくりで本人に迫っています。ヒロイン不在のこの作品においてその役割を担っているのは、羽生でもあります。対局シーンの緊迫感はもちろんのこと、居酒屋に行ったふたりが将棋のことを語るのではなく、村山がひとりの男の子として胸の内を明かす姿はまるで初々しいラブシーンのように心に響きました。ライバルでありながらこのうえない尊敬と憧れを持てる同世代との出会いの素晴らしさが描かれ、映画の幸福な余韻にもつながっています。(細谷美香)

    盤上の戦いの場面では、実際の棋譜を再現。松山ケンイチ(右)も東出昌大(左)も、棋譜を覚えて撮影に入ったといいます。

    好きなものだけに囲まれた乱雑な部屋からも、村山聖の人物像が伝わってくるかのようです。

    ©2016「聖の青春」製作委員会

    『聖の青春』

    監督/森義隆
    出演/松山ケンイチ、東出昌大、染谷将太、リリー・フランキーほか
    2016年 日本映画 2時間4分
    配給/KADOKAWA
    11月19日より丸の内ピカデリーほかにて公開。
    http://satoshi-movie.jp