【インタビュー再掲】ジェンダーの枠を越え自分らしさを発信するRYUCHELLの圧倒的説得力。

  • 写真:筒井義昭
  • 文:吉田けい

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「いまは、僕が発信したメッセージが、誰かが自分らしく生きられるきっかけになればいいなと思っています。10代の頃は面白いことを言って、笑ってもらって、みんなに元気を与えたいって思ってました(笑)。時間とともに少しずつ目標も変わっています」

ピンクの頬にブロンドヘア、ビビッドカラーが眩しいファッション。デビュー当時、90年代のアメリカのドラマから抜け出してきたようなカラフルな個性が注目され、大ブレイクを果たしたRYUCHELLさん。その自己表現力は決して揺らがないように見えるが、実は以前、個性を表現することに葛藤を抱えていた時期があった。

「幼い頃からディズニーとかバービーとか、かわいいものが大好きだったんですが、中学生になって『かわいいものが好きな男の子は〝普通〞じゃないかも』と思うようになったんです。小学生までは、お姉ちゃんたちにワンピースを着せてもらったり、バービーで遊んでいたりしても、親も『まだ子どもだから』って感じだったんですが、『中学生になっても、こんなことしてる男の子なんていないんじゃないか』って心配し始めて。でも、親から言われることは、僕を愛しているからこそだとわかっていたので、反発はしませんでした。先輩とか同級生にからかわれるのが嫌で、学校では自分の個性を隠すようにしていましたね」

個性を出すことで、からかわれたり虐められたりして孤独になるくらいなら、個性を隠そう。ひたすら周りに協調あるいは同調するように努めた。

しかし、自分を偽ることは次第に自分を苦しめていった。心から信頼できる本当の友達ができない。孤独になりたくなくて個性を隠していたはずなのに、気づけば孤独になっていた。

「そんな生活を変えたくて、高校は知り合いのいない学校を選びました。高校の入学式にはバッチリメイクして行って、『りゅうちぇる』って名前でツイッターを始めたんです。登場人物みんなが個性的で輝いていたアメリカのドラマや、ガールズムービーが好きだったので、名前はドラマ『グリー』のレイチェルから。そしたら『すごくかわいい!』って、たくさんの人が褒めてくれて。自信が湧いてきました」

RYUCHELL●1995年、沖縄県生まれ。原宿の古着店で働きながら読者モデルとしての活動を開始。飛び抜けた個性で人気となり、テレビや雑誌、ファッションイベントなどで話題に。2018年2月よりRYUCHELL名義でアーティスト活動もスタート。同年、モデルのぺことの間に第一子誕生。

時折、からかいの言葉をかけてくる同級生もいたが、まったく気にならないどころか、言い返せるほどの強さを身に付けた。なぜなら、性別関係なく本当の友だちを得ることができた上、高校生で既にツイッターフォロワー数が1万人に達していたからだ。

そのツイッターを通じて、憧れていた原宿の古着店から仕事のオファーを受け、2014年に上京。そして職場で出会った、現在の妻であるぺこさんとテレビ番組に出演したことで注目を集め、メイクをしてレディスブランドを着こなす〝ジェンダーレス男子〞という言葉が流行する。

「ジェンダーレス男子……なにそれ?って感じでした(笑)。そう呼ばれている男の子にもいろんな人がいるし、なんで型にはめるの? って。僕は僕で、人は人だから、ジェンダーレス男子代表の僕というより、りゅうちぇるはりゅうちぇるって感じでした」

誰かをなにかの型にはめようとする世の中の圧力は、さまざまな場面で感じられ、結婚した時や子どもができた時には特に強くのしかかってきた。

パパになるんだったらメイクはやめるべき。髪も黒髪にしたほうがいい。そんなコメントがSNSに続々と寄せられた。いずれも、「父親」という型にはめようとする圧力だ。

「そんな時に発信する言葉は、誰も傷付けないように気をつけてます。パパならば黒髪っていうのは、その人の考えだし、否定することは絶対にしません。いろんな人がいて、いろんな考えがある。それが多様性だと思うから」

「男は仕事、女は家事・育児」という固定的なジェンダーロールについても、ひとつの考えとして否定はしないが、強要はすべきではないと語る。

1998年頃 3歳。幼少の頃、3人の姉に着せ替え人形のように女の子の服を着せられていたという。そのことも、「RYUCHELL」のたぐいまれな個性を形作ったひとつのファクターかもしれない。

1999年頃 4歳。物心がつく4歳頃になると、自らの意思でもファッションを楽しむように。男女の服を分け隔てなく自分らしく着こなすスタイルは、この頃から培われてきた。

「パパだからママだから、じゃなくて自分たちの得意なことを手分けしてやるのがいいと思う。ぺこりん(妻)が洗濯、僕が料理って感じで。家事も育児も女の人がやるのが当たり前っていうのはおかしいし、イクメンって言葉にも違和感を感じます。男の人も、自分の子どもを育てるのは当たり前のことなのに。世の中に育児をやらない男の人が多いのはわかるけど、みんながそうだとは思わないでほしい」

そう語るRYUCHELLさんは、子どもが生まれてすぐに勉強を始め、育児セラピスト1級と食育カウンセラーの資格を取得した。子どもを育てていくには、愛情だけでなく育児に関する知識も必要だと考えたからだ。

「子どもの成長過程で、この時期にはこういう脳の働きによって、こういう感情が芽生える……と知っておけば、親としての意識が変わると思います。いま、リンク(息子)はちょうどイヤイヤ期なんですが、知識がないと『なんで言うこと聞いてくれないの!』ってなっちゃうけれど、心の成長に必要な過程なんだって理解すると、余裕をもって接してあげられるはず。あと、食事は心と連動しているので、すごく大事です。食事を通して親と子の間に信頼や愛着が生まれるんですよ」

2011年頃 16歳。中学生の頃は、周囲の目を気にして男の子らしいふるまいを心がけてきたが、高校では自分らしさを全開に。そのために知り合いがいない他学区の高校へ入学したという。

2012年頃 17歳。文化祭などのイベントの際には、フェアリーバービーなどに扮し、一躍学校の人気者に。中学時代に隠してきた個性を解放することで、性別関係なく幅広い友人ができたという。

子育てのモットーは〝自己肯定感を高めてあげること〞。強く、ポジティブに生きていくための土台をつくるのが親の役目だと考えている。

「大人になって思うのは、自分自身を好きじゃない人が多いなぁってこと。自分には無理だと決め付けているから、夢も見つからない。なにかを叶えるチャンスをつかみ取るには自己肯定感が必要だと思うんです。だからこそ、親は全力で子どもの存在を肯定してあげるべき。親が子を愛してるのは当たり前だから、と言葉で伝えるのをサボると、子どもは『自分は存在しなくていいのかな』と思ってしまうかも。僕は、『あなたが生まれてきて、本当にうれしかったんだよ』『生まれてきてくれてありがとう』と毎日一回は必ず伝えて、愛をいっぱい注いでいます」

自己肯定感を高めるとともに、社会の多様性についても伝えたい。パパとママがいる家族もあれば、ママがふたりだったり、親はパパひとりだけだったりすることもあると、絵本などを通して自然に学べるように努めている。

2012年頃 17歳。普段から女生徒の友だちに囲まれて過ごした高校時代は、見た目もすっかり女子。高校入学直前に始めていたツイッターはすぐに注目を集め、多くのフォロワーから支持を得るようになる。

2015年頃 20歳。テレビ番組の『行列のできる法律相談所』に現在の妻であるぺこと出演。ジェンダーを超えたこれまでにないキャラクターが話題を呼ぶ。以降「ぺこ&りゅうちぇる」としてバラエティ番組で活躍。

多様な個性が多様なまま認められる社会で、自分の人生を自分の色で生きていこう。それは、RYUCHELLさんが発信し続けているメッセージだ。昨年発売されたファーストアルバムに収録された曲にも、「普通を変えよう」「誰が決めたの? 男らしさ、女らしさとか」など、ジェンダーをはじめとする固定的概念に疑問を呈する言葉がちりばめられている。

「ジェンダー、年齢、地域、収入……いろんな違いをもった人たちが、自分の色で好きな道を生きていける。これからは、そんな社会をつくっていく活動をしていきたいと思っています」

そんな言葉の向こうには、無数の個性が各々の色で輝いている社会が見える。RYUCHELLさんが愛してやまないガールズムービーのように、キラキラと鮮やかに。

こちらの記事は、2020年Pen 6/15号「いまこそ、『ジェンダー』の話をしよう。」特集からの抜粋です。