美術館で出合えた“奇跡”に思いを馳せる、絵画をテーマにした映画4選。

  • 選・文:池上英洋(東京造形大学)

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2021年2月26日から公開される、『レンブラントは誰の手に』より。巨匠の作品をめぐって、画商や美術館などアートに惚れ込んだ人々の思惑が交錯する。©2019DiscoursFilm

名画誕生の過程をひも解くドラマから真贋をめぐるスリリングなエンターテインメント、美術館の舞台裏に迫るドキュメンタリーまで、絵画をテーマにした映画は多い。絵画がもつ多彩な物語性を存分に楽しめる新旧作品を、美術史家の池上英洋教授が紹介する。


美術館には多くの絵画が展示されている。私たちはそれらを鑑賞し、その隣に添えられたキャプションを見て、へぇ、作者は今から400年前の人か、と頷くなどして通り過ぎる。そしてその絵はまた新しい鑑賞者を迎える。ごくあたりまえの光景なのだが、実際には、私たちの目の前にあるそれら一点一点が、一種の奇跡と呼んでよいほどの幸運に恵まれたからこそ可能なのだ。


火災、戦争、盗難、廃棄、加筆……さまざまな理由によって、無数の作品が姿を消してきたはずだ。現在世界中のコレクションに入っている作品は、そうした危機をくぐり抜けてきたごく一部の生き残りと言ってよい。


本稿では、すべての美術品がそれぞれ奇跡の物語をもっていることを私たちに気付かせてくれる映画を4本取り上げよう。美術品をめぐるそれら4種のミステリーを味わうことは、きっと美術品の見方を一層豊かなものに変えてくれるはずだ。


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映画『ルーブル美術館の夜 ダ・ヴィンチ没後500年展』と尽きせぬ魅力をもつレオナルドを巡る、ふたりの美術史家の対話。

幻の名画を盗んだ男の数奇な運命と、美とは何かを描く:『ゴールドフィンチ』

ドナ・タートによるベストセラー小説を映画化した『ゴールドフィンチ』。タートは本作で、ピュリツァー賞小説部門を受賞した。主人公のテオ(写真)を演じるのは、アンセル・エルゴート。©Capital Pictures/amanaimages

美術の歴史のなかには、大勢の「悲劇の画家」がいる。17世紀オランダの画家カレル・ファブリティウスもそのひとりだ。


彼はレンブラントの弟子のなかでも最も将来を嘱望されていたが、1654年10月12日、デルフトにある彼の工房のそばにあった火薬庫が大爆発を起こす。同市の約四分の一を吹き飛ばしたこの事故は、彼の命と作品のほとんどをこの世から消し去ってしまった。


《ゴールドフィンチ》は、彼の数少ない現存作の名である。オランダのデン・ハーグにあるマウリッツハイス美術館所蔵のその小さな板絵には、ゴシキヒワ(ゴールドフィンチ)が一羽描かれているきりだ。


映画『ゴールドフィンチ』は、この作品を中心に据えたフィクションである。ニューヨークのメトロポリタン美術館に移された舞台で、400年前の爆発事故を思わせるようなテロ爆破が起きる。そして鑑賞中だったひとりの少年が、瓦礫のなかから板絵を持ち帰ってしまったことからドラマが始まる。『ベイビー・ドライバー』の演技でブレイクしたアンセル・エルゴートがここでもナイーブな主人公を好演している。彼にとってその絵は亡き母の化身であり、唯一の拠りどころであり、そして鎖でつながれたゴールドフィンチは、虐待や犯罪、叶わぬ愛といったさまざまな状況に捕らわれてもがき続ける彼自身の姿でもあるのだ。


劇中で重要な役割を果たす骨董屋の主人が、私たちに教えてくれる。私たちの人生は短いが、いまそこにある芸術作品は、何世紀も生き残ったひとつの奇跡であり、そして後世へと永遠に手渡されていくべき価値をもっているのだと。


『ゴールドフィンチ』予告編(オリジナル)。

『ゴールドフィンチ』
監督/ジョン・クロウリー
出演/アンセル・エルゴート、ニコール・キッドマン、アナイリン・バーナードほか
原題/The Goldfinch
2019年 アメリカ映画 2時間29分

世界の宝をナチスから守った特殊部隊の活躍:『ミケランジェロ・プロジェクト』

舞台は第二次世界大戦末期のヨーロッパ。『ミケランジェロ・プロジェクト』は、ナチスが奪った美術品を奪還するという使命を受けた専門家チームの活躍を描く。ジョージ・クルーニーが監督・主演を務めた。©Everett Collection/amanaimages

映画の原題でもあるモニュメンツ・メンのことをご存知だろうか。第二次世界大戦中、ナチスによって占領地から運び出された美術品を、奪還するために組まれた連合軍の特別チームのことだ。美術館長をリーダーに、美術史家や歴史家、建築家などで構成された特別チームは、ノルマンディーから戦地へと乗り込んだ。この映画は、彼らによる活動の史実にほぼ基づいている。


彼らが携えていた「重要度リスト」の一番上にはヤン・ファン・エイクの《ヘントの祭壇画》が、そのすぐ下にはミケランジェロの《ブリュージュの聖母》があった。彼らの任務はしかし戦地ではなかなか理解されない。兵士が死んでいる横で美術品探しかよ!と露骨に協力を嫌がる部隊もあった。実際にチームからも2名の死者を出し、大統領からも美術品にその価値はあるのかと疑問を呈されてもいる。


しかし驚くなかれ、ナチスによって岩塩鉱や高射砲塔などに隠された美術品のうち、彼らによって救出された作品の数は数十万点にのぼる。もちろん消失した作品も少なくないが、上述した2点を含め、いまに残る作品の多くが彼らの命を賭した捜索のおかげなのだ。


にもかかわらず、彼らの活動は戦後ほとんど知られることがなかった。多分に政治的問題が絡むためだろう。その功績に光が当たるには、映画の原作となった本が出版される2009年まで待たなければならなかった。


モニュメンツ・メンは実は日本の「爆撃を避けるべき施設」地図も作っている。残念ながら必ずしもその指示通りにはならなかったが、この機会に、国籍や人種を超えて人類全体の遺産を守ろうとした無名のヒーローたちがいたことを知ってほしい。


『ミケランジェロ・プロジェクト』予告編(オリジナル)。

『ミケランジェロ・プロジェクト』
監督/ジョージ・クルーニー
出演/ジョージ・クルーニー、マット・デイモン、ジョン・グッドマン、ビル・マーレイ、ケイト・ブランシェットほか
原題/The Monuments Men
2014年 アメリカ映画 1時間58分

絵画にまつわる根本的な問いを投げかける、スリリングなドキュメンタリー:『レンブラントは誰の手に』

代々引き継がれたレンブラントの名画に惚れ込み、どこに飾るか思い悩むバクルー公爵(左)。『みんなのアムステルダム国立美術館へ』を手がけたウケ・ホーヘンダイク監督の最新作。©2019DiscoursFilm

先に挙げたファブリティウスもそのひとりだが、人類初の真の市民社会を実現した17世紀のオランダは、絵画の黄金世紀と呼ばれるにふさわしく多くの偉大な画家を輩出した。フェルメールしかり、ロイスダールしかり。そしてその代表格がレンブラントである。


この映画には、3点のレンブラント絵画が登場する。ダ・ヴィンチの《糸巻きの聖母》の所有者としても知られるバクルー公爵(映画ではバックルー公爵)は、読書する老女を描いた作品を城のどこに掛けるべきか悩み続ける。一方、大富豪ロスチャイルド家が売り出した一対の夫婦肖像画は、オランダとフランスの国家間で激しい綱引きが繰り広げられる。


そして3点目が、ひとりの若手美術商がレンブラントの真筆ではないかと新たに提起した、ある貴紳の肖像画である。自身の鑑識眼を頼りにした彼の野心的な主張は、レンブラント研究の第一人者や修復家を巻き込んだ一大騒動へと発展していく。

 

3つの物語を織り交ぜながら展開されるストーリーは刺激的だ。しかしこの映画は、単に面白い/素晴らしいという感想で終わらせることのできない多くの問題を提起している。そのひとつは「作品は誰のものか」という問いである。それは画家なのか、注文主なのか、所有者なのか、あるいはそこに美を見出す受容者なのか――。


そしてまたひとつは「絵の価値とは何か」という根本的な問いである。市場価格なのか、美的価値なのか。後者であればそれは物理的実体なのか、精神的内容なのか、それともその作品がたどってきた歴史的要件も含まれるのか。さらには、それらを決めるのはいったい誰なのか――。皆さんも、この映画をきっかけに自分なりの定義を見つけてみてはいかがだろう。

若き美術商が見出した、本物であれば44年ぶりに発見されたことになるレンブラントの作品。その真贋が大いに議論される。©2019DiscoursFilm

『レンブラントは誰の手に』
監督/ウケ・ホーヘンダイク
出演/ヤン・シックス、エリック・ド・ロスチャイルド男爵、ターコ・ディビッツほか
原題/My Rembrandt
2019年 オランダ映画 1時間41分
2021年2月26日(金)よりBunkamuraル・シネマほか全国順次公開。
http://rembrandt-movie.com/

肖像画を観る目が変わるかもしれない物語:『燃ゆる女の肖像』

2019年のカンヌ国際映画祭で高い評価を受けた、セリーヌ・シアマ監督の『燃ゆる女の肖像』。画家のマリアンヌを演じるのはノエミ・メルラン。本作でセザール賞主演女優賞にノミネートされた。

風景画、静物画、抽象画。絵画にはさまざまなジャンルがあるが、ひとつだけ他とは異なる味わい方を可能にするのが肖像画である。というのも、聖人などが描かれた人物画と違い、肖像画では、モデルと画家が実際に向かい合わせにいたことが明らかだ。そのため肖像画は、その人物の生涯やひととなりに思いを馳せる楽しみがある一方、それ抜きでは退屈なものとして目に映ることもまた多い。


『燃ゆる女の肖像』は、18世紀のフランス北西部の島を舞台に、架空の女性画家と、彼女が秘密裏に肖像画を描くことになった女性を主人公とするフィクションである。上流階級の結婚は親が相手を決めるものであり、恋愛の先に来るわけではない。当時は見合い写真の役割を肖像画が担うことが多く、結婚を望まぬ女性が描かれることに積極的でない理由もそこにある。


美術が長く男性に独占されていたせいで、ヴィジェ=ルブランらの例外を除き、今日までその名を残す女性画家は少ない。劇中の画家もそのように消えていったひとりとして描かれるが、女性同士だからこそふたりは徐々に心を開き、友情はやがて愛情に変わっていく。劇の途中で肖像画もがらりと変わるが、その理由について、画家がモデルを「よく知ったから」と語るくだりは、すべての肖像画が画家とモデルの共同作業にほかならないと気付かせてくれる。さらにそれは、優れた肖像画が誕生するプロセスでもあるのだろう。


映画にも、作り手と鑑賞者がいる。画面に映る「28」という数字に思わず熱いものが込み上げてきたような人と、互いに心を通じ合わせたいものだ。

画家とモデルという関係から、やがて惹かれ合うエロイーズ(アデル・エネル、左)とマリアンヌ。

『燃ゆる女の肖像』
監督/セリーヌ・シアマ 
出演/ノエミ・メルラン、アデル・エネルほか 
2019年 フランス映画 2時間2分
2020年12月4日より全国順次公開中。
https://gaga.ne.jp/portrait/

池上英洋(いけがみ ひでひろ)●美術史家・東京造形大学教授。1967年広島生まれ。東京藝術大学卒業、同大学院修士課程修了。専門はイタリアを中心とする西洋美術史・文化史。日本文藝家協会会員。著書に『レオナルド・ダ・ヴィンチ 生涯と芸術のすべて』(筑摩書房、第四回フォスコ・マライーニ賞)ほか多数。レオナルドの絵画全作品をヴァーチャル復元した『レオナルド・ダ・ヴィンチ没後500年 夢の実現展』(制作:東京造形大学)の監修者。