村上春樹の言葉をひも解く、ある翻訳家のドキュメンタリー...
文:細谷美香

Profile : 映画ライター。コメディや青春映画から日々の生きるエネルギーをもらっている。クセが強くて愛嬌がある俳優に惹かれる傾向あり。偏愛する俳優はニコラス・ケイジです。

村上春樹の言葉をひも解く、ある翻訳家のドキュメンタリー『ドリーミング 村上春樹』

主人公は『ノルウェイの森』に出合って以来、村上春樹の作品をデンマーク語に翻訳してきたメッテ・ホルム。©︎Final Cut for Real

ノーベル文学賞発表の時期になると、「ハルキスト」たちのコメントともに毎年メディアに取り上げられる作家、村上春樹。2年分の受賞者が発表された今年も残念ながら受賞を逃したわけですが、彼がいま世界で最も読まれている現代の日本人作家であることに変わりはありません。世界50言語に翻訳されている事実もそのことを表しているでしょう。『ドリーミング 村上春樹』は、デンマークで村上春樹の作品を翻訳している翻訳家、メッテ・ホルムを追いかけた作品。村上春樹本人は登場しませんが、彼の孤独に共鳴する翻訳家のまなざしが、小説への理解をより深めてくれるドキュメンタリーです。

カメラが密着するのは、デビュー小説である『風の歌を聴け』を翻訳するメッテの日々。たとえば「完璧な文章などといったものは存在しない」という冒頭の一文について彼女は、「完璧」は「完全」もしくは「欠落のない」なのか、「文章」は「文」なのか「文学」なのか、ふさわしい言葉をひとつひとつ探し当てていきます。日本人の友人に「バタンバタン」という音が表すものについてアドバイスをもらい、実際のピンボールの仕組みも確認する。ときにはヨーロッパの翻訳家たちとも議論を重ね、日本を訪れた際にはバーのマスターやお客さんとも対話します。

このドキュメンタリーには、『神の子どもたちはみな踊る』で描かれたカエルがCGで登場して、ぺたりぺたりと街を歩いたりするという不思議な仕掛けが。カエルの存在によってメッテのストーリーはより奥行きを増し、さらには異邦人の目を通して見る東京に迷いこんだような奇妙な感覚を、観る者に与えてくれます。

「もしも世界に出掛けられなくなったら、外国の本を読めばいい」と彼女は語ります。自分がいまいるこの場所と行ったことのない世界のどこかを、一冊の本が繋いでくれるという奇跡。その奇跡は言語だけではなく文化を理解しようとするメッテ・ホルムのような翻訳家たちの、きめ細やかで魂の込められた仕事によって成り立っているのです。村上ファンでなくても、彼女の仕事への矜持に胸を打たれる一作です。

監督は『海辺のカフカ』で村上春樹に魅了されたドキュメンタリー作家、ニテーシュ・アンジャーン。©︎Final Cut for Real

織物職人としてフランスで働いていた頃に、川端康成の小説を読んだことが日本文学宿との出合いだそう。©︎Final Cut for Real


『ドリーミング村上春樹』

監督/ニテーシュ・アンジャーン
出演/メッテ・ホルムほか
2017年 デンマーク映画 1時間 
10月19日より新宿武蔵野館ほかにて公開中。
www.sunny-film.com/dreamingmurakami