映画『マ・レイニーのブラックボトム』は、ブルースの母の胆力と黒人ミュージシャンの心意気を衣装でも表現した傑作

  • 文:小暮昌弘

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Photo by David Lee/NETFLIX

新型コロナウイルスの影響で、世界中で映画の公開スケジュールが混乱状態となっている昨今。4月26日に発表された第93回アカデミー賞は作品賞、監督賞等を劇場公開作品の『ノマドランド』が受賞したものの、配信ファーストの作品も数多くノミネートされたことで話題となった。

Netflixからは『マンク』『シカゴ7裁判』など16作品・38部門にノミネートされ、『マンク』が美術賞と撮影賞を、『オクトパスの神秘:海の賢者は語る』が長編ドキュメンタリー映画賞を受賞している。今回は、衣装デザイン賞とメイクアップ&ヘアスタイリング賞を獲得した『マ・レイニーのブラックボトム』について、ファッションの観点から解説する。

本作は劇作家として知られるオーガスト・ウィルソンが1982年に発表した戯曲を映画化したもので、主な舞台は1927年のシカゴの録音スタジオでの1日。タイトルは“ブルースの母”と呼ばれたマ・レイニーの同名の曲から来ている。そのマ・レイニーを演じるのは同じオーガスト・ウィルソン原作の映画『フェンス』(16年)でアカデミー助演女優賞を獲得したヴィオラ・デイヴィス。彼女のバンドメンバーのひとりで野心的なトランペッターのレヴィーを、昨年43歳の若さで他界したチャドウィック・ボーズマンが演じる。

マ・レイニーが歌う“ブルース”はアメリカ南部のアフリカ系アメリカ人によって生み出され、奴隷としてアメリカに連れてこられた黒人労働者たちが自分たちの苦難を歌ったものがルーツ。その黒人に対する奴隷制は1865年に終わりを告げるが、20世紀に入ってもまだまだ平等に扱われることは少なく、ブルースを代表する歌手になったマ・レイニーであっても不当な契約を強いられたり、低い待遇を受けることも多かった。そんな時代背景を念頭にして、オスカーを獲得した衣装と登場人物の身なりを見ていくと映画も違って見える。


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映画冒頭のテントショーのシーン。ヴィオラ・デイビスは衣装に詰め物をして堂々とした体格のマ・レイニーを演じた。ちなみにタイトルにある「ブラックボトム」は、1920年後半に流行したお尻をふるダンスと地域の名前で、そのダンスが冒頭のショーで披露されている。Photo by David Lee/NETFLIX

作品の冒頭で、南部でのマ・レイニーのテントショーの場面が出てくる。このシーンでのマ・レイニーの衣装とメイクにまず圧倒される。シフォンの生地に刺しゅうを施したブルーのドレスの胸もとには、コインを何枚も連ねたネックレスが揺れる。唸るように歌うマ・レイニーの口には金歯が並び、馬毛を使ったウィッグをかぶり、化粧を重ねて脂ぎったメイクは迫力を超えて毒々しささえ感じる。“ブルースの母”の圧倒的存在感を衣装とメイクで表現しているのだ。

テントショーのシーンが終わると、一転して舞台は北部のシカゴにある録音スタジオへ移る。自分の車でスタジオにやってくるマ・レイニーは、相変わらず高価そうなドレスを着ていて、傍若無人な態度で周囲を振り回す。一方、バンドの面々はレヴィー以外、3人ともスーツ姿だが、3人に遅れてスタジオにやって来たレヴィーだけはストライプのジャケットスタイル。途中の靴屋のウインドウで、彼の1週間分のギャラに相当するイエローのウイングチップを見つけ、それを履きながら意気揚々とスタジオ入りしてくるが、これがピアノ担当のトレド(グリン・ターマン)が履く“ドタ靴”に踏まれたことで争いが始まり、やがて悲劇が起こる……。

チャドウィック・ボーズマン演じるレヴィーは、グレンチェックのベストとパンツに、上着だけ幅広のストライプが入ったジャケットを着用。このブルーグレーの素材も1920年代に流行したもので、いわば英国調。20年代前半に訪米したイギリス皇太子の影響が感じられる。Photo by David Lee/NETFLIX

スタジオに来る途中でレヴィーが見つけて購入したイエローのウィングチップ。これも英国調ファッションを象徴するものだが、イエローというところがミュージシャンらしいセレクトだ。Photo by David Lee/NETFLIX

レヴィーだけジャケットスタイルの理由とは

バンドメンバーのほとんどはネクタイをして、英国紳士のように、サスペンダーでスラックスを吊る着こなしをしている。スーツやジャケットのシルエットや素材などにも英国らしさが漂っている。Photo by David Lee/NETFLIX

じつは本作の舞台となっている1927年は、2年後に起こる世界恐慌を前にして、アメリカ全体が好景気に沸いていた時代だ。ファッション的には1923年にアメリカを訪れたイギリスの皇太子、後のウィンザー公爵の影響で30年代初頭まで彼を見倣った英国調のスタイルがメンズファッションを席巻した時代。バンドメンバーが着用するやや細身のスーツや、サスペンダーなどの小物づかいにもその影響が見られる。

レヴィーはほかのメンバーと違ってジャケットスタイルだったが、『エスカイア版 20世紀メンズ・ファッション百科事典』(スタイル社)によれば、「スラックスと呼ばれる新しい替ズボンも、この時代に一般化した」とある。だから、レヴィーを際立たせる意味で彼だけジャケットスタイルだったのかもしれない。彼がジャケットを脱ぐシーンが何度も出てくるが、中にはベストを着用し、それがスラックスの生地と一緒と見える。たぶんレヴィーはスリーピースのスーツに、その日はちょっと洒落たジャケットだけを合わせてスタジオやって来て、いつも豪奢なドレスを纏うマ・レイニーに対抗しようとした。本作品でオスカーを獲得した衣装デザイナーのアン・ロスはそんなふうに想定したのではないだろうか。

ある意味、バンドメンバーのスーツやジャケットはこの時代に成功を勝ち得た黒人の証であり、すでに黒人同士でも格差があったことを表現していると感じる。

サウスカロライナ州で1976年に生まれたチャドウィック・ボーズマン。大学を卒業後、いくつかの舞台やテレビドラマに出演し、『エクスプレス/負けざる男たち』(08年)で映画初出演。『42〜世界を変えた男』(13年)、『ブラックパンサー』(18年)などに出演し、絶賛を浴びた。本作でゴールデングローブ賞主演男優賞(ドラマ部門)、全米映画俳優組合賞主演男優賞を受賞している。Photo by David Lee/NETFLIX

ちなみにアン・ロスはアメリカ出身の衣裳デザイナーで、『イングリッシュ・ペイシェント』(96年)でアカデミー賞衣装デザイン賞を獲得、『真夜中のカーボーイ』(69年)、『ワーキング・ガール』(88年)、『マンボ・キングス/わが心のマリア』(92年)、『めぐりあう時間たち』(02年)、『マンマ・ミーア!』(08年)など、本当に数多くの作品をかかわってきた人。Netflixでは本作の裏話を語る『マ・レイニーのブラックボトムが映画になるまで』も配信中だが、冒頭のテントショーのシーンでは「エキストラ100人に対して、着用する服がどこから来たのか、それぞれ説明した」と話す。登場する人物それぞれの衣装にそれぞれのストーリーを持たせていたことは間違いない。

そう思って作品を観るとまた違った物語にも見えてくるが、劇場に行かなくても容易に、何度も楽しめるのも配信映画のいいところだろう。しかしマ・レイニーの迫力の歌唱シーン、あるいはレヴィーの壮絶な叫びはどれも素晴らしい。劇場の大きな画面で観られたら、チャドウィック・ボーズマンはオスカーを手にしていたのではないだろうか。


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『マ・レイニーのブラックボトム』
監督/ジョージ・C・ウルフ 
出演/ヴィオラ・デイビス、チャドウィック・ボーズマン 
2020年 アメリカ映画 1時間34分 Netflixで配信中。