空前の“K-文学”ブーム! ソウルの街の光と影を映し出す小説4選。

  • 写真:宇田川 淳
  • 文:今泉愛子

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空前の韓国文学ブームが起きている。数年前から複数の出版社が韓国文学シリーズを創刊し、刊行点数が飛躍的に増加。書店でも目立つ場所に並ぶ。2019年には『82年生まれ、キム・ジヨン』の邦訳版が、発売1年で15万部というヒットを記録した。ブームの先陣を切った出版社、クオンを立ち上げた金承福は「韓流ドラマ、K-POPの次に来るのはK-文学だと思っていました」と胸を張る。そこで、ソウルが描かれたお薦めの小説を挙げてもらった。1970年代から現在まで、この街の姿をリアルに伝える4作だ。



1.『こびとが打ち上げた小さなボール』チョ・セヒ 著 斎藤真理子 訳

『こびとが打ち上げた小さなボール』チョ・セヒ 著 斎藤真理子 訳 河出書房新社 2016年(韓国での刊行:1978年) ¥2,090(税込)。70年代のソウルでは再開発のために貧しい人々の無許可住宅が強制撤去され、住人は行き場を失った。「こびと」と呼ばれる身体の小さな男の一家もそうだ。男も妻も3人の子どもたちも懸命に働くが暮らしは困窮をきわめる。同時期ソウルに滞在した比較文学者四方田犬彦の解説も社会の空気をよく伝えると金承福は語る。

チョ・セヒの『こびとが打ち上げた小さなボール』は、78年の出版以来、韓国で130万部を記録するロングセラーで、いまも大学生の必読書とされる。なぜそれほど読まれているのか。

「70年代のソウルでは、朴正煕政権が都市開発のためスラム街の家を強制撤去してマンションを建設しました。その入居権が与えられても貧しい人が払える家賃ではなく、富者が持ち掛ける入居権の転売に応じるほかない。政府が弱者をどう扱ってきたかがよくわかるでしょう。この問題はキム・ヘジンの『中央駅』にもつながっています」と金承福。軍事政権の強権的な実態と格差社会の経緯がよくわかる一冊だ。



2.『中央駅』キム・ヘジン 著 生田美保 訳

『中央駅』キム・ヘジン 著 生田美保 訳 彩流社 2019年(韓国での刊行:2014年) ¥1,650(税込)。改修工事が進行する中央駅周辺で、路上生活者となった若い男とアル中の老いた病いもちの女が出会い、ともに過ごすようになる。互いがかけがえのない存在となっても、ふたりが落ち着ける場所は見つからない。資本主義社会から落ちこぼれた路上生活者の人生と、人を愛することの意味を問いかける衝撃作。

『中央駅』は具体的にそれと書かれていないが、描写からソウル駅と知れる。2000年代に大規模な改築工事が行われ、新駅舎がすぐ隣に完成した。

「当時、ソウル駅周辺には大勢の路上生活者がいました。都市が発展する時、必ず落ちこぼれる人がいます。経済的な豊かさは必ずしも精神的な豊かさにつながりません。これは現在の格差問題にも言えることです」

左がガラス張りのソウル駅新駅舎で、右の茶色の壁が旧駅舎。旧駅舎は改修され文化施設「文化駅ソウル284」に。photo:Shin hyungduk



3.『亡き王女のためのパヴァーヌ』パク・ミンギュ 著 吉原育子 訳

『亡き王女のためのパヴァーヌ』パク・ミンギュ 著 吉原育子 訳 クオン 2015年(韓国での刊行: 2009年) ¥2,750(税込)。小説家志望の「僕」は百貨店でアルバイトを始めた。そこで出会ったのは周囲が凍りつくほど不器量な「彼女」だった。僕は、彼女が気になって仕方がない。少しずつ仲良くなるが、ある日、彼女は姿を消す。1980年代の男女の美醜に対する繊細な意識を描写する。

上の2作は社会問題を描いたが、以下の2作は若者たちの日常を描写する。まずパク・ミンギュの『亡き王女のためのパヴァーヌ』は1980年代のソウルが舞台だ。金承福は主人公と彼女が勤務する百貨店は永登浦のタイムズスクエアがモデルだろうと言う。外見至上主義が幅を利かせるソウルで不器量な彼女の立場は心をえぐられる厳しさだ。人は財産や美貌を評価し、彼女の心の美しさには気付かない。



4.『宣陵散策』チョン・ヨンジュン 著 藤田麗子 訳

『宣陵散策』チョン・ヨンジュン 著 藤田麗子 訳 クオン 2019年(韓国での発表:2015年) ¥1,320(税込)。自閉症の青年ハン・ドゥウンと、アルバイトで彼の世話をすることになった「僕」の一日を描いた短編小説。自傷行為を防ぐためヘッドギアを付けたドゥウンはところ構わず唾を吐き、意思の疎通はままならない。ふたりは宣陵を訪れる。僕は親切心からヘッドギアを外すが……。韓国語原文も収録。

『宣陵散策』の宣陵は、駅名にもあるが存在は意外と知られていない名所。

「著者のチョン・ヨンジュンは、都市で見落とされているものの存在を描こうとしたのでは。登場する自閉症の青年もまた社会から見落とされ、理解されにくい存在です」

いずれも社会状況や人々の心の内を豊かに表現する4作。文章から立ち上がるその時その場所の空気に浸れば、いまのソウルの深部が見えてくる。

地下鉄宣陵駅近く、ビルが立ち並ぶ江南地区にある朝鮮王陵の宣陵。近くの靖陵ともに史跡として公開、宣靖陵と呼ばれる。photo:filmpia studio

こちらの記事は、2020年Pen2/15号「平壌、ソウル」特集からの抜粋です。