穏やかな心を手に入れて、表現の幅が広がった。

  • 文:高橋一史

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穏やかな心を手に入れて、表現の幅が広がった。

文:高橋一史
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木下実凡

モデル

●1993年、福井県生まれ。2016年にパリコレデビュー。バレンシアガなどのメゾンブランドのショーや、ギャップのワールドワイドキャンペーンなどに出演する。ロンドンに住んだ後、 17年より活動拠点をニューヨークに。日本で所属するモデルエージェンシーはズッカ。Instagram: @kinoshitamanami

2016年の某日。東京で暮らす無名のファッションモデルだった木下実凡(きのした・まなみ)のインスタグラムに、海外から英語のメッセージが届いた。「あなたを撮影したい。パリに来てほしい」

とある写真家からの、ファッション誌でのモデル撮影の依頼。フリーで活動し、後ろ髪だけが長いパンキッシュな坊主頭の木下は、このオファーに飛びついた。英語は「イエス」「ノー」が言える程度だった彼女が、人生で初めて飛行機に乗って海外へ渡った。

この撮影で服をスタイリングしたのが、革新的なアプローチでモードの主役に躍り出たブランド「ヴェトモン」のパリコレクションのショーを手がけ、一躍脚光を浴びたスタイリストのロッタ・ヴォルコヴァだ。撮影を終え帰国した木下は、ヴォルコヴァに再びパリに招かれる。それが 2度目の撮影、およびヴェトモンのショーへの出演依頼だった。17年春夏のこのショーは世界中のモード関係者から注視され、ランウェイを歩いた木下実凡=Мanamiも時の人になった。キャラクター性が強い彼女に、広告や雑誌出演のオファーが次々に舞い込んだ。世界で活躍する日本人モデル、Мanamiの誕生である。

20年現在、Мanamiは二ューヨ ークに住み仕事の拠点にしている。毎年、年末年始は福井の実家に帰省してのんびりと過ごす。今回のPenの撮影も、帰国したタイミングで行ったものだ。この日はすべて私服で、スタイリングもメイクもセルフ。ファンデーションを軽く塗っただけの、ほぼすっぴんだ。にこやかに澄んだ声で話すこの女性に会うと、誰もがチャーミングと感じるだろう。仕事で見せてきたストロングな表情が不思議に思えるほど、素直な印象を抱くはずだ。

「つっぱり系でしたよ、以前は。たぶん私は弱さのある人なんです。だから坊主にしたりタトゥーを入れたり、イキがって心を守っていた。でも世界の人にたくさん会い、褒めてもらったことで自信がついてきたんだと思います」

彼女の自信につながった、ひとつのエピソードがある。さまざまな人種のモデルが集った撮影現場で、そのモデルたちからこう言われたのだ。

「『この現場は、あなたがいちばんだよ。あなたが着るとなんでもカッコいいから、私たちのリーダーだ』って。現場でモデルがモデルを褒めるのは珍しいし、その時は“クール”と“笑顔”の両方をこなす難しい仕事で、認められてすごく嬉しかったんです」

撮影の時は瞑想状態のようになり、モデルの意識も忘れてカメラの前に立つという。そんな自然体の彼女が、穏やかな心を手に入れたことでさらに表現の幅を広げた。最近は「ユニクロ」「ギャップ」といった、グローバルブランドの広告モデルも務める。「英語で『チン・ダウン(顎を下げて)』と要求される、優しい笑顔の撮影が増えましたね」

Мanamiが人気者になった背景には、ファッション界で「ダイバーシティ」が叫ばれ、アジア人モデルの存在感が増した時代性もある。その流れに乗りつつ彼女はいま、持ち前の個性と表現力で世界に挑んでいる。「自分に興味をもってくれた人が導いてくれる感覚」と言うが、成功の秘訣は人と関わり、期待に応えてきた自らの身のこなしにある。15歳の時に一流のモデルになりたいと憧れた夢を、自身で見事に実現しているのだ。


Pen 2020年2月1日号 No.489(1月15日発売)より転載


『Garage Magazine』 Issue 17 September 2019

ファッションとアートにフォーカスする、年2回刊行のニューヨークの雑誌『ガレージ』でモデルを務めた Manami。撮影は多様な人種を撮り続けるナディーン・イジェウェレ。