思い悩む時、小説にそれをどう書くかと考える。

  • 文:今泉愛子

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思い悩む時、小説にそれをどう書くかと考える。

文:今泉愛子
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金原ひとみ

作家

●1983年、東京都生まれ。2003年に『蛇にピアス』で第27回すばる文学賞を受賞、翌年同作で第130回芥川賞を受賞。12年パリへ移住。同年『マザーズ』で第22回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。18年帰国。今回の撮影は、Bunkamuraドゥ マゴ パリで行った。

20歳で小説家としてデビューした金原ひとみは、翌年に芥川賞を受賞し、一躍、時の人となった。その後、結婚や出産、パリへの移住、そして帰国と、人生や環境が大きく変化する中で、15年以上ずっと小説を書き続けてきた。

最新長編の『アタラクシア』は、6人の男女の語りがリレー形式で進む。パリで知り合った料理人の瑛人(えいと)と、不倫中の由依(ゆい)。由依の夫で作家の桂(けい)。自身も不倫をしているが、不倫に罪悪感をもたない由依に厳しい目を向ける友人の真奈美……。それぞれが矛盾を抱え、人に言えない過去をもつ。

「いまは欲望が簡単に叶う時代だから、瞬間の欲望を満たしやすいんです。だけど長期的な関係を維持するためには、瞬間の欲望を我慢しなくてはいけないこともあります。どの時点でどの欲望を満たすべきかがわからない。小さな分裂を繰り返して、人はどんどん多層的になっていくんです」

タイトルの「アタラクシア」とは古代ギリシャの哲学者エピクロスの思想で、欲望を断ち心が平穏な状態を指す。

「本当は誰もが穏やかな日常を求めているのに全然うまく回らなくて、いつの間にか嵐の中をさまよっている。そんな皮肉な面も含めています」

瑛人が働くレストランのパティシエの英美(えみ)は、夫がいる由依が瑛人と仲良くしていることに猛然と異を唱える。

「英美は理想と現実が乖離しているのに状況を変える力はなく、なんでも手当たり次第に罵倒する。私が嫌悪するタイプの人であると同時に、とても表現したい人物だったんです。不幸の権化のような彼女には、限界を迎えた人に宿るある種の美意識が見えます」

夫婦やカップル、友人同士など6人の視点で、本人が語る自分と他人がそれをどう見ているかを明らかにし、人物の輪郭を見事に際立たせる。以前は金原本人を連想させる女性を主人公に多く書いていた彼女が、多彩な人物を書き分けるようになったのには、6年間のパリでの暮らしも関係している。

「私はこういう人間は嫌い、とはっきりしたタイプでしたが、パリでは理解のおよばない人が多く、けれど距離感さえ調整すれば、それなりに共生できることを知りました。人と緩い距離感で付き合えるようになったんです」

この15年、金原にとって小説を書く姿勢に変化はあったのだろうか。

「昔は、自暴自棄な生活をして作家は不幸であるべき、とばかりに小説を書く人もいましたが、私は幸せになる! と思っていました。ただ最近、すごく思い悩んだり不幸に思うようなことが起きた時、これを小説に書くとしたらどうなるんだろう、と考えている自分に気付くんです」

現実に対する乖離が強くなっていると、自身を分析する。

「作家に限らずツイッターやブログを書いて自分を客観的に捉えることは、外圧から身を守ることになります。現実に埋没して生きていくのは、いまの時代に合わないのかもしれません」

『アタラクシア』発表後も、アルコール依存や整形手術がやめられない、金原いわく「やばい女」シリーズやエッセイ連載を、意欲的に書き続けている。執筆は深夜に酒を飲みながら。集中力と酒量の限界がだいたい同じタイミングで訪れて「お開き」になる。スケジュールが崩れることを覚悟で、帰国後は好きな音楽フェスやライブにもよく足を運んでいるそうだ。

「安定した執筆スタイルを完成させたいと思っているのに、なぜか常に生活がめちゃくちゃです」と笑う金原も、アタラクシアを求めて格闘するひとりなのかもしれない。


※Pen 2020年1月1日・15日号 No.488(12月16日発売)より転載


『アタラクシア』

感覚で生きる由依、DVの夫を養う真奈美、パリでオーナーシェフの愛人だった瑛人、盗作問題を起こした由依の夫で作家の桂。求めれば求めるほど遠ざかっていく心の平穏を、6人の視点で描く。

金原ひとみ 著
集英社 ¥1,760