Vol.32 半世紀を経て一冊の写真集となった、トット・パパジョージが撮った60年代のアメリカ

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    写真・文:錦 多希子(POST/limArt)

    Vol.32 半世紀を経て一冊の写真集となった、トット・パパジョージが撮った60年代のアメリカ

    “Dr. Blankman’s New York” / Tod Papageorge / Steidl
    『ドクター・ブランクマンズ・ニューヨーク』/ トッド・パパジョージ写真 / シュタイデル刊

     写真フィルムの現像方式を指す「ダイ・トランスファー・プリント」という言葉に馴染みのある方は、そう多くはないかもしれません。けれど、実は戦後の写真史を語る上で重要な現像方式です。特長は、染料を転写し定着させることによる濃密でクリアな発色のよさ、そして耐久性の高さが挙げられます。これまでウィリアム・エグルストンやアーヴィング・ペンといった、鮮やかな色彩表現で知られる写真家たちが軒並み採用してきましたが、複雑な工程、コスト面の懸念、公害問題などからキットが生産終了。いまは行われていませんが、撮影当時のプリントの風合いや時代感といった言葉では伝えきれない部分を保持しています。
     写真家、トッド・パパジョージ。彼もまた、このダイ・トランスファー・プリントでプリントしていたひとりです。このたび、1960年代後半頃に撮影された彼の初期の作品群が50年余の時を超えて、ようやく一冊の本となって出版されるに至りました。この時期といえば、ベトナム戦争が激化し、一方でポップアートが隆盛した頃。彼は、めまぐるしい時勢の緊張感に影響を受けたのではなく、あくまでもち前の観察眼と勘の鋭さをもって、この時代の兆候をファインダー越しに捉えました。
     あまりにも精彩ですっかり目も心も奪われてしまいますが、よくよく目を凝らしてみると、作品によってはさりげなく文字が写り込んでいることに気付きます。たとえば、ある男性が羽織るレザージャケットの背面には、ベトナム戦争時に米軍基地が置かれた「チュライ・ベトナム」の地名。着用者の思想こそ定かではないですが、この時代の情勢を踏まえてみると、煌びやかで自由な大都市・ニューヨークの遥か遠くで、戦争という現実が確かに存在していることを暗に示しているようにも思えます。控えめだが強い、写真家なりの魂の叫びがいまにも聞こえてきそうです。

    標題にもなったブランクマン医師の眼科クリニックの看板にある「目の検査」というサイン。写真の中にある文言から、ついメッセージ性を見出そうとしてしまいます。

    レザージャケットの背中に書かれた「チュライ・ベトナム」の言葉のように、被写体のところどころに散らばるディテールを「時代感覚を捉える要素」として拾い集めてみると、写真家の視点や意図をより深く読み解くヒントを得られるかもしれません。

    街中に大量生産品が陳列される様子から、ポップアートの時代だということが現実味を伴って伝わってきます。間接的な伝聞よりもずっと、ストレートに訴えてくるのは写真表現だからこそ。

    “Dr. Blankman’s New York” / Tod Papageorge / Steidl
    『ドクター・ブランクマンズ・ニューヨーク』/ トッド・パパジョージ写真 / シュタイデル刊
    タイトル:『ドクター・ブランクマンズ・ニューヨーク』
    写真:トッド・パパジョージ
    出版社:シュタイデル
    ページ数:136ページ
    サイズ:30.0 x 27.5 cm
    ISBN-13:978-3-95829-108-9
    出版年:2018年
    価格:¥6,912(税込)