Vol.28 身体の美しさや繊細さを讃えた、マッツ・グスタフソンのヌード

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    写真・文:錦多希子

    定期的に海外のひとつの出版社に焦点を当て、その出版社の本だけを取り扱うショップ「POST」のスタッフが、いま気になる一冊をピックアップ。今回、POSTの錦多希子さんが紹介してくれるのは、2017年に恵比寿で開催されたマッツ・グスタフソンの絵画展『Nude』の作品集。以前からグスタフソンのファンだった錦さんが、会場で本人と対面した記憶とともに、彼がヌードを作品の主題とすることへの意図をひも解きます。

    Vol.28 身体の美しさや繊細さを讃えた、マッツ・グスタフソンのヌード

    Nude / Mats Gustafson / AUGUST EDITIONS
    ヌード / マッツ・グスタフソン / オーガスト・エディションズ

    実を言うと、自分の手元にあるアートブックはそれほど多くありません。普段店頭でたくさんの本にめぐり逢える役得に甘んじているわけではなく、きっと、優れた本の数々と出逢うこと、そしてそれをお客さまへご紹介することに楽しさを見出しているからなのでしょう。
    そんな数少ない私物のなかでも、ひと際大切にしている宝物があります。それは、スウェーデン出身で現在はニューヨークを拠点に活動する世界的なイラストレーター、マッツ・グスタフソンの作品集『SWAN』。本書を通じて初めて彼の作品と出逢った瞬間、全身を衝撃が駆け抜けました。モノクロームで描かれた白鳥の群像は、まるで白昼夢の世界かと思うほど。ページをめくるごとに繰り広げられる優美さが忘れられず、頼み込んでなんとか見つけ出してもらいました。

    POSTと同じく恵比寿にあるMA2 Galleryで、グスタフソンの絵画展『Nude』が開催されるとの朗報が舞い込んできたのは、2017年の秋のこと。多くの彼のファンと同じように、この機会をいまかいまかと待ち望んでいました。いざ展覧会の初日、早速会場に足を運び、帰りがけにPOSTにも立ち寄ってくださったお客さまがいました。お土産話を聞くところによると、とにかく素晴らしい作品群だったとのこと。「早く観にいったほうがいい!」と念押しされてしまったら、居ても立ってもいられず、休憩時間をつかって駆けつけました。

    彼自身の人柄とも重なる、緊張感を秘めた穏やかなタッチ

    ギャラリーの静謐な空間に、朧げな筆跡でありながらも確かな存在感を携えた作品が現れます。思わず息を呑み、作品の世界に没頭してしまいました。図らずも会場には、レセプションパーティを控えたご本人が在廊されていました。敬愛するアーティストを目の前にして、感激が収まりません。こんなチャンスは滅多にないことだと意を決して、勇気を振り絞ってお話をさせていただきました。鋭い視線とは裏腹な、穏やかな心もちと大きな手のひらが温かかったことを憶えています。ほんのわずかなひとときでしたが、とても印象深い出来事でした。

    本展に際して出版された作品集は、実物の作品を観た時に感じ得ることをぎゅっと凝縮した、濃密な一冊です。
    まずは、肌色を彷彿とさせる暖色のほのかなグラデーションで彩られたミニマルな表紙。親しみやすい彩りは、同時に真摯に向き合うことを求める緊張感を秘めています。こんな険しさを突きつけられても、かすかに穏やかな温もりが伝わってくる。両極端の空気がともに内在しているのは、彼の人物像とも重なってきます。

    1989年以降、グスタフソンはヌードの作品群を制作し始めました。インクでの線描や、水墨画のようにぼかして描く水彩画の手法によって表現されるしなやかな肢体や胴部は、あたかも呼吸をしているかのごとく感じられます。本人は「水彩を用いることは意図的ではなかった」と語りますが、結果として人肌のもつやわらかさや透明感に満ちています。写実的とはおよそかけ離れた表現でありながらも、これらが一糸まとわぬ裸体を描いているのだというのはよくわかります。ひょっとしたら、なにかを形取ることではなく、そこにある気配に輪郭を与えているのかもしれません。

    言うまでもないことですが、彼がイラストレーターとして身を置くファッション業界にとって洋服は切っても切れないものです。それではなぜ、ヌードを主題にすることになったのか? それには深い理由がありました。

    もとは生まれ故郷のスウェーデンで劇場設計を勉強していたグスタフソンは、時を同じくしてファッション・ドローイングを学び始めたといいます。20代後半にはすでにファッション・イラストレーションの世界で目覚ましいキャリアを築いていましたが、商業的な成功を手中にした彼の目にも、1980年代のニューヨークはとても魅力的な街に映っていたようです。特にファッションやアートの世界において、限界を設けず自由奔放に生きる人々の活躍ぶりにすっかり感化され、ついに拠点を移すことに至りました。
    80年代末から90年代初頭は、エイズが猛威を振るった時代でもありました。この悲惨な状況を目の当たりにした彼は、洋服ではない別のなにかを描くことで、自分なりに傷つきやすさや感じやすさを表現しようと思い立ちます。そのために、身にまとっていた洋服を払いのけ、素肌を描いた。衣を剥ぐというのは決して誘惑的で官能的なことばかりではなく、身体というものを賞賛し、美しさや繊細さに目を向けること。はたまた、他方では陽気さやコミカルな側面ともつながり得るものなのです。

    作品の純然たる美しさは、すなわち彼の研ぎ澄まされた美的感覚の表れ。作品を通じて作者の内面に触れられるというのは、本当に興味深く、得がたい体験をもたらしてくれます。

    Nude / Mats Gustafson / AUGUST EDITIONS
    ヌード / マッツ・グスタフソン / オーガスト・エディションズ
    ページ数:103ページ
    装丁: ハードカバー
    サイズ:24.0 x 30.0 cm
    商品コード:ISBN 978-1-947359-01-7
    出版年:2017年
    価格:¥7,776