【小山薫堂の湯道百選】第五八回 
“湯は、人の情けを育む。”

  • 写真:アレックス・ムートン 
  • 文:小山薫堂

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話は昭和30年代(1955〜65年)に遡る。福岡に暮らす農家がある事件に巻き込まれ、金銭的に困っていた。捜査を担当していた警察官は、困り果てた顔を見てこう言った。

「私がこの土地を買って家を建てるから、それで支払いなさい」

妻の大反対を押し切って警察官はその土地を買い、田畑しかないような場所に家を建てた。そして井戸をつくろうと、昔から村を守ってきた地蔵の下を掘ったところ温泉が出た……。これが「博多元湯」の始まりである。風呂はすべて手づくり。それを手伝った長男の安部隆宏さんは、当時小学4年生だった。現在は妻の恵美さんとともにこの湯を守っている。

男湯、女湯ともにこぢんまりとした浴槽がひとつずつ。49℃の源泉が時折、浴槽に勢いよく噴き出す。思わず声をあげてしまうほどワイルドな仕組みだ。加水は行われていないので、当然ながら熱い。3分で身体は真っ赤になるのだが、体内の毒素が抜けたような心地よさを覚える。実際、湯治目当てで訪れる客も多く、二階は休憩所になっている。とはいえ、一日の来客数は10人程度。商売としては成り立たない。それでも続けているのは、ここに集う人が喜んでくれるから。

2年前に引き継ぐまで、安部さんは薬品メーカーに勤務し、医者と癌の話をしていた。それがいまでは、癌を患っている老人から感謝される……。安部さんはここで新しい生き甲斐を見つけた。警察官ひとりの情けから始まった幸せの連鎖は、60年を経たいまも続いている。


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父から湯を引き継いだ安部隆宏さん。そして妻の恵美さん。博多駅からクルマで約15分。湯は塩化物泉。県内有数の湯量と熱さだ。何度でも入浴可能なので早い時間ほど入浴料が高く、遅い時間は低く設定される。

2階の休憩所には常連さんの枕やマットが置かれ、ここが地元の人たちの憩いの場であることが伝わる。

※こちらはPen 2021年8月号「デザイン&エンタメ界の仕掛け人35名が明かす、ヒットの秘密」特集よりPen編集部が再編集した記事です。

〈福岡県福岡市〉
博多温泉 元祖元湯
HAKATAONSEN GANSOMOTOYU

●福岡県福岡市南区横手3-6-18
TEL:092-591-6713 
営業時間:13時~18時
定休日:木曜
料金:一般¥400~