吹き替えを生業とする夫婦から映画の素晴らしさが伝わる、『声優夫婦の甘くない生活』

  • 文:新谷里映(映画コラムニスト)

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物語の舞台は1990年。鉄のカーテンが降ろされたソ連からイスラエルへ移住した、ユダヤ人夫婦の物語が描かれる。自身もベラルーシからの移民であるエフゲニー・ルーマン監督が、構想から7年をかけて映画化。各国の映画祭で上映される。

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先入観にとらわれないことは映画を楽しむ上でとても重要だ。『声優夫婦の甘くない生活』は、なかなか出合うことのないイスラエル映画で、出ている俳優もおそらくみんな「初めまして」。物語もソ連で洋画の声優として活躍していたユダヤ人の夫婦が、イスラエルへ移住して第二の人生を送るという、多くの人にとっての日常とは違う世界、知らない世界だろう。


主人公のヴィクトルとラヤは、ソ連に輸入される他国の映画の吹き替え声優として輝かしい人生を送ってきたスター夫婦だが、念願の聖地イスラエルで彼らを待っていたのは厳しい現実だった。声優として働く場がない! そんななかで声優の仕事だと思って面接に行った妻のラヤが手にしたのは、テレフォンセックスの仕事。戸惑いながらも映画の台詞ではなく自分自身の言葉を紡ぐその仕事に、ラヤは面白さを見出していく。一方、夫のヴィクトルはレンタルビデオ店で声優の職を見つけるが、そこは違法な海賊版を扱う店だった。新しい挑戦を楽しむ妻と、違法でも声優としてのキャリアとプロフェッショナルな人生を貫きたい夫。仲睦まじく見えていた夫婦の間に溝が生まれていく……。


入り口は新鮮なイスラエル映画であったのに、気付くと誰もが共感する男と女のすれ違いが描かれている、その展開にも引き込まれる。また、声優という職業を通して、フェデリコ・フェリーニの『ボイス・オブ・ムーン』をはじめ往年の名作映画がいくつも登場する。それらが伝えるのは、他国の映画が的確に翻訳された字幕版や吹き替え版を観るという、いまでは当たり前のことが、時代や場所によってはとても貴重であったこと。映画鑑賞がどれだけ素晴らしいものなのかを再確認できる映画でもあるのだ。しかもロマンスとコメディを織り交ぜたストーリーだなんて、面白いじゃないか。

『声優夫婦の甘くない生活』
監督/エフゲニー・ルーマン
出演/ウラジミール・フリードマン、マリア・ベルキンほか 2019年 イスラエル映画 
1時間28分 12月18日よりヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開。
https://longride.jp/seiyu-fufu/