一家を引き裂こうとするものに、立ち向かう家族の強さ。

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    『家族を想うとき』

    ケン・ローチ

    一家を引き裂こうとするものに、立ち向かう家族の強さ。

    渡辺 亨音楽評論家

    2016年にカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した『わたしは、ダニエル・ブレイク』が最後の作品になると、引退宣言をしていたケン・ローチ監督。労働者に寄り添ってきたイギリスの名匠が再び語るべきことを見出して立ち上がり本作を完成させた。 photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019 ⒸSixteen SWMY Limited, Why Not Productions, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinéma and The British Film Institute 2019

    物語の舞台はイングランド北部のニューカッスル。かつて建設作業員だったリッキーは、夢のマイホームを購入するために貯蓄をしていたが、銀行と住宅金融組合の破綻によって、ローンを組めなくなり、同時に職も失った。そこで彼は、長年の夢を実現するために個人事業主の宅配ドライバーとして働くことを決意する。ただし、個人事業主とはいえ、民間の宅配業者から“ゼロ時間契約”で仕事を請け負う立場だ。よって一日14時間、週6日の重労働を自分に課さざるを得ない。介護福祉士の妻アビーも、同様である。そのため夫婦には、16歳の息子と12歳の娘に向き合う時間がなくなり、家族関係に徐々に亀裂が生じていく。
    本作を観て、バート・バカラック&ハル・デヴィッドがつくった名曲のひとつ「A House Is Not A Home」を思い出した。一緒に暮らしていた愛する人が出て行った後の我が家は、ただの家(house)であり、家庭(home)ではないという内容の曲である。本来仕事とは家ではなく、家庭を得るためのもの、大切な家族を守るためのものであるはずだ。が、現代における過酷な労働環境や雇用形態は、家族を引き裂き、家庭を壊していってしまう。
    映画の原題は、『Sorry We Missed You』。宅配の不在通知書に記されているメッセージだ。この原題は、夢を求める代償として、家族との時間を犠牲にしてしまった夫婦の心情を表わしている。もちろんケン・ローチ監督は、常に社会的弱者に対して温かい眼差しを注いできたので、本作でも批判は社会のシステムに向けられている。普段は優しいアビーが電話越しに怒りをぶちまけるシーンは、英国政府に対する批判にほかならない。物語の終盤、家族をひとつにまとめようとしてきた聡明な娘が、ある秘密を打ち明ける。この告白には胸が詰まる。本作は真の意味で“家族の映画”だ。

    『家族を想うとき』
    監督/ケン・ローチ
    出演/クリス・ヒッチェン、デビー・ハニーウッドほか 
    2019年 イギリス・フランス・ベルギー合作映画 
    1時間40分 12月13日よりヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開。
    https://longride.jp/kazoku/