北海道で生きる作家が描く、自然の中で覚醒する生存本能。

  • 文:今泉愛子

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『肉弾』

河﨑秋子 著

北海道で生きる作家が描く、自然の中で覚醒する生存本能。

今泉愛子ライター

主人公の沢キミヤは、大学を中退し、家に引きこもっていた。家族は、建築会社を経営する父親がひとり。これまで母親と呼べる人は3人いたが、生みの母も、その後に来た母たちも家を出てしまった。 

キミヤとはまるで性格が違う父は狩猟を趣味とし、キミヤにも狩猟免許を取得させた。当然、狩猟にも付き合わされたが、キミヤはまだ獲物を仕留めたことがない。どうしても引き金を引くのが一瞬、遅れてしまうのだ。 

晩秋のある日、父はキミヤを半ば無理やり北海道へ鹿狩りに連れて行く。宿泊場所は、釧路空港からクルマを2時間ほど走らせたところにある温泉宿だ。狭い部屋で枕を並べても、猟銃を手にふたりで山へ入っても、父子の距離はなかなか縮まらない。 

3日目、父は猟場を変えた。クルマで摩周湖へ向かい、そこから山へ入る。狙いは、鹿ではなく熊だ。ここから事態は急展開する。 

父が熊に襲われ、命を落としたのだ。ひとり山に取り残されたキミヤは、後悔と不安に押しつぶされそうになりながらも、少しずつ覚悟を決める。 

熊よりも先にキミヤを襲いに来たのは犬だった。首輪をしている犬もいるから捨て犬か。キミヤは猛然と戦う。犬に殺されるわけにはいかない。 

熊、鹿、かつて棲息していた狼、後から入植した人間、人間に連れてこられた犬たち。北海道で生まれ育ち、作家という肩書に並んで羊飼いという職業をもつ著者は、この地の歴史と、ここで生きる動物の姿を縦横に織り込みながら、キミヤの戦う姿を描写する。 

厳しい自然の中で、命は等価値だ。誰もが自分の命を最優先し、生き抜こうとする。その強靭さを伝える筆致は、デビュー2作目とは思えないほど熟練している。

『肉弾』

河﨑秋子 著 
KADOKAWA 
¥1,728