名優トム・ハンクスが紡ぎ出す、精巧な物語に引き込まれる。

  • 文:今泉愛子

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『変わったタイプ』

トム・ハンクス著 小川高義訳

名優トム・ハンクスが紡ぎ出す、精巧な物語に引き込まれる。

今泉愛子ライター

作家の名前に注目してほしい。アカデミー賞主演男優賞を2回受賞した俳優のトム・ハンクスと、同名の小説家なんていただろうか?
いや、いない。著者は正真正銘、俳優のトム・ハンクスだ。ファンにとっては、彼が小説を書くことにさほど違和感はないのかもしれない。俳優業を極めるだけでなく脚本を手がけたこともあるし、彼が書いた短編小説がニューヨーク・タイムス紙に掲載されたこともある。2014年のことだ。
本書には、トム・ハンクスがこれまでに書いた短編小説12篇と、コラムや脚本のようなスタイルの作品5篇が収録されている。
読み始めると一瞬にして、これらの物語の作者が有名俳優であることを忘れるだろう。それくらい文体はなめらかで、気負いがない。
『へとへとの三週間』は、主人公が高校時代の同級生アンナと男女の付き合いを開始し、終わるまでを描いたもの。彼女は、仕事もプライベートも充実させることを自らに課している。エクササイズを欠かさないベジタリアンで、常に目標がある。ふたりの結末はタイトルに表れているが、描写が巧みであちこちで吹き出してしまう。かと思えば、『ようこそ、マーズへ』のように父親と19歳の息子の一日を淡々と描いた作品もある。
どの作品にも共通しているのは、ある状況を設定し、それをとても精巧に描写していることだ。小説家の息遣いなど一切感じさせず、笑いや驚きを誘い、親しみや切なさを抱かせるのは、見事としか言いようがない。
俳優トム・ハンクスは、もはや小さな役は望んでも得られないのかもしれない。居場所は常にスクリーンの中央だ。しかし小説家の彼は違う。自らの気配を消し、のびのびと表現をして、読者を物語に引き込む。その才能は、演技に勝るとも劣らない。

『変わったタイプ』
トム・ハンクス著 小川高義訳 
新潮社 
¥2,592(税込)