54歳差のふたりの珍道中が、観客を優しい気持ちにさせる。

  • 文:渡辺 亨

Share:

『顔たち、ところどころ』

アニエス・ヴァルダ、JR

54歳差のふたりの珍道中が、観客を優しい気持ちにさせる。

渡辺 亨音楽評論家

『落穂拾い』などのドキュメンタリー映画も撮り続けている女性監督、アニエス・ヴァルダ。本作のプロデュースも手がけている娘のロザリー・ヴァルダの紹介でJRと出会い、エンディングまで思いがけない驚きに満ちた作品が完成した。©Agnès Varda - JR - Ciné-Tamaris - Social Animals 2016.

ヌーヴェル・ヴァーグの嚆矢とも言える、鮮烈な1955年の長編映画『ラ・ポワント・クールト』でデビューした女性監督のアニエス・ヴァルダ。世界各地で撮影した人々の巨大ポートレートを、グラフィティのように壁に貼り付けて展示してきた自称「photograffeur」のJR。このふたりの年齢差は、実に54歳。ところが、ふたりは出会ってすぐに意気投合し、一緒にフランスの田舎を旅しながら映画をつくることになった。ただし、旅の条件は、「計画しないこと」。『顔たち、ところどころ』は、こんなでこぼこコンビの珍道中が描かれたドキュメンタリー映画である。
彼らは、写真撮影ブース付きのJRのトラックに乗って、フランスの田舎を訪れ、そこでたまたま出会った工場労働者や郵便配達員、港湾労働者の妻たち……いわゆる市井の人々を撮影し、それぞれの人生をアートのかたちにしていく。ふたりは、JRの100歳の祖母にも会いに行く。ここでJRがおばあちゃん子だったことが明かされるが、彼は視力と脚力が衰えてきた当時87歳のヴァルダにも、すごく優しい。だが、“匿名性”を重んじているJRは、常に黒眼鏡を着用し、ヴァルダに瞳(素顔)を見せることはない。そのことをなじるヴァルダが、なんとも意地らしく、かつ可愛らしい。
本作には、ヴァルダの旧友ジャン=リュック・ゴダール監督の作品がしばしば引用されており、最後に彼の家を訪れる。その結末はさておき、ヴァルダとJRが並んで湖を見つめながら会話をするシーンの美しさは、ゴダールの『気狂いピエロ』を思い起こさせる。カメラが地中海を映し、「見つかった。何がって、永遠が。」というランボーの詩の一節が朗読されるあの最後のシーンを。これは観た人すべてが“ヒューマニズム”を信じ、優しい気持ちになれる映画だ。

『顔たち、ところどころ』
監督:アニエス・ヴァルダ、JR
出演:アニエス・ヴァルダ、JR 
2017年 フランス映画 1時間29分 シネスイッチ銀座ほかにて公開中。
http://www.uplink.co.jp/kaotachi