作家が父をモデルに人生を問う、壮大な大河小説の最終章。

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    『野の春 ─流転の海 第九部─』

    宮本 輝 著

    作家が父をモデルに人生を問う、壮大な大河小説の最終章。

    小長谷奈都子ライター

    34歳から71歳までの37年間、宮本輝が作家人生の大半をかけて描き続けてきた長編大作『流転の海』シリーズが第九部でついに完結を迎えた。
    物語は、戦後間もない昭和22年の大阪駅から始まる。戦前に大財を成し、闇市で再起を図る実業家の松坂熊吾は、50歳にして初の子どもを授かり、息子が20歳になるまでは絶対死なないと心に誓う。破天荒で情に厚い熊吾、不幸な生い立ちながらまっすぐに生きる妻の房江、両親の愛情を一身に受けて育つ息子の伸仁。大阪、愛媛、富山、兵庫と舞台を変えながら、家族とその周りを取り囲む人々の生老病死が、戦後復興から高度経済成長に向かう激動の時代とともに描かれている。根底に流れるのは、「自尊心よりも大切なものを持って生きにゃあいけん」「なにがどうなろうと、たいしたことはありゃあせん」という熊吾の人生哲学だ。
    熊吾のモデルは著者の父、すなわち伸仁は著者自身である。3分の1が事実で残りは創作だというが、全作を改めて読了して感じたこと。それは、父親の波乱に満ちた人生に翻弄されながら、複雑な人間模様の中で成長していく伸仁の姿は、人間の幸福や宿命をテーマに人生の機微を描ききる作家・宮本輝の源流だということだ。
    最終章となる本書では熊吾の晩年が描かれている。誓いを果たし、伸仁の20歳の誕生日を迎えた熊吾。ある時、伸仁に「お前にはなんにもなかった。秀でたものなんか、どこを探してもない男じゃった」と痛烈な言葉を投げかける。最愛の息子になぜ? その疑問が心に鈍く刺さりながらも、情景が目に鮮やかに浮かんで暖かな春の光さえ感じるようなエンディングには、涙があふれた。これは父と子の物語というだけでなく、母と子、父と母の物語であり、家族、そして人生の壮大なる物語だ。きっと読む人それぞれの胸に響くものがあるだろう。

    『野の春 ─流転の海 第九部─』
    宮本 輝 著
    新潮社 
    ¥2,268(税込)