ユダヤ人のアイデンティティに迫る、ある家族の迷いと決断の物語。

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    『ヒア・アイ・アム』

    ジョナサン・サフラン・フォア 著 近藤隆文 訳

    ユダヤ人のアイデンティティに迫る、ある家族の迷いと決断の物語。

    今泉愛子ライター

    およそ持ち運びには向かない、1冊1kg以上もする大作だ。著者のジョナサン・サフラン・フォアは、処女作に続き、2作目も映画化された現代アメリカ文学の人気作家。11年ぶりに上梓した3作目の小説は、アメリカの首都ワシントンDC在住のユダヤ人一家の物語である。
    テレビ脚本家のジェイコブと妻と3人の息子、さらにジェイコブの父と母、祖父が登場する。彼らがユダヤ人としてのアイデンティティを大切にしていることは、長男サムの「バル・ミツヴァー」への関心の高さからわかる。これはユダヤ教徒の男子が13歳の時に行う重要な儀式で、祖父はそれさえ見届ければこの世に思い残すことはないと心待ちにしているほどだ。
    ジェイコブのもとへ、イスラエルで暮らす、いとこのタミルが息子を連れてやって来た。ここで、アメリカ在住のユダヤ人とイスラエルで暮らすユダヤ人との民族に対する感覚の違いが明らかになるのが面白い。ジェイコブの父アーヴは、親イスラエル、嫌アラブの記事を書くブロガーで、彼はイスラエルを故国だと考えるが、タミルはユダヤ人の国家だと言う。タミルはイスラエルで空襲警報が鳴る日常を過ごし、息子のひとりは軍に所属しているからだ。一方、ジェイコブは、自分はユダヤ人ではなくアメリカ人だと言う。
    そんな折、イスラエルで大地震が起き、戦争が勃発する。イスラエルの大統領は、世界中のユダヤ人に向けて故国へ帰れと訴える。胸を打つ演説だったのに、イスラエル行きの飛行機に搭乗したユダヤ人は予想よりもはるかに少なかった。もちろんジェイコブもアーヴも旅立たない……。
    祖国に危機が訪れても決断には慎重を期すからこそ、ユダヤ人は生き延びてきたのかもしれない。誇りと劣等感の入り混じる民族意識が、絶妙に描かれた長編小説だ。

    『ヒア・アイ・アム』 ジョナサン・サフラン・フォア 著 近藤隆文 訳 NHK出版 ¥5,280(税込)