「幸せの秘訣は、何も起こらないことだ。」―いまこそ静かな情熱とことばに触れたい。『写真家 ソール・ライター』展。

  • 文:坂本 裕子

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雪の中を歩くひとりの女性を上から撮った作品は、斜めに切り取られた白い道に足跡がグレーのグラデーションを作ります。色彩は傘の赤のみ。まさに一幅の浮世絵ようです。 ソール・ライター 《足跡》 1950年頃 発色現像方式印画 ソール・ライター財団蔵 ⒸSaul Leiter Estate

2006年、ドイツのシュタイデル社が出版した1冊の写真作品集が、世界に大きな反響を呼びました。写真家はソール・ライター。83歳にして「世界デビュー」を飾り、2013年に没した彼のことは、2015年に日本でも公開されたドキュメンタリー映画でご記憶の方もいるでしょう。彼の日本初の回顧展が、渋谷・Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中です。

1923年、ピッツバーグでユダヤ教ラビの父の元に生まれたソール・ライターは、父を継ぐべく神学校に進みますが、画家になることをあきらめられず、両親の反対を押し切り大学を中退、ニューヨークへ向かいます。1946年、ニューヨークでは抽象表現主義の芸術運動が台頭し、ヨーロッパに代わりアメリカがアートの中心地となっていく頃。知り合った画家から写真術を学んだ彼は、画家を目指しながらも写真の才能を開花させていきます。ロバート・フランクやダイアン・アーバスなど「ニューヨーク・スタイル」と呼ばれる写真家たちも多く生み出していたニューヨークで、生活のために撮った彼の作品は、その色彩感覚やエレガントな雰囲気、独特のユーモアが人気を博し、『ハーパーズ・バザー』や『エル』『ヴォーグ』などのファッション誌を飾りました。しかし81年、五番街のスタジオを閉鎖し、商業写真から退いたライターは、時代の中に姿を消していきます。彼がふたたび脚光を浴びたのが写真集『Early color』の刊行でした。自分のためだけに撮り続けられたそれらの作品は、写真界にショックを与え、世界での個展開催に結びついたのです。

今回の展覧会では、約200点の写真と、新たに発見された絵画作品で、ライターの全制作の軌跡をたどります。ファッション写真もステキですが、再評価のきっかけとなった“プライベート写真”と和紙に描かれた水彩画が必見です。絵画的センスが生み出すみごとな構図とやわらかい空気をたたえた色彩、そしてさりげなく、小さくて、ささやかな一瞬をとらえる視線。クールなのに抒情的で、やさしさとさみしさが同居し、皮肉めいていて温かい作品たち――。自身をアピールすることを極度に嫌い、日本の琳派や浮世絵とボナールらナビ派の作品をこよなく愛したというライターのすべてが、独特の人生哲学を感じさせる本人の言葉とともに綴られています。

「カラー写真のパイオニア」と称されたソール・ライターの魂(ソウル)に触れて、肩の力を抜いて、ホッと息を吐いて、大事なものを見つめ直してみてください。今回、期間限定で映画も再上映されています。詳細は公式ホームページで。併せてぜひ!

写真を始めた1930年代、ブレッソンに憧れていたライターは、彼の写真に似た作品も撮っていました。その面影が残る一枚は、朝の光に少女の一瞬の表情をとらえ、その清廉な美しさをスカーフが印象づけます。 ソール・ライター 《スカーフ》 1948年頃 ゼラチン・シルバー・プリント ソール・ライター財団蔵 ⒸSaul Leiter Estate

ライターの視線はN.Y.の街に生きる何気ない人々に注がれます。「私が敬意を払うのは、何もしていない人たちだ。」との言葉どおり、雪の向こうに、ガラスを通して、ユーモアある画面は、温かさとしっとりした空気を湛えています。 左:ソール・ライター 《郵便配達》 1952年 発色現像方式印画 / 右:ソール・ライター 《雪》 1960年 発色現像方式印画 ともにソール・ライター財団蔵 ⒸSaul Leiter Estate

「写真はしばしば重要な瞬間を切り取るものとして扱われたりするが、本当は終わることのない世界の小さな断片と思い出なのだ」と言う彼は、さまざなな“すき間”から街を写しました。茶目っ気ある画面は抽象絵画にも見えてきます。 左:ソール・ライター 《天蓋》 1958年 発色現像方式印画 / 右:ソール・ライター 《板のあいだ》 1957年 発色現像方式印画 ともにソール・ライター財団蔵 ⒸSaul Leiter Estate

自身は画家だと考えていた彼が遺した和紙に描かれた貴重な水彩画も日本初公開。繊細で美しいカラー写真を生み出した、その秘密の一部が明かされます。 左:ソール・ライター 《ジェイ》 写真1950年代 ・ 描画1990年頃 印画紙にガッシュ、カゼインカラー、水彩絵具 / 右:ソール・ライター 《無題》 制作年不詳 紙にガッシュ、カゼインカラー、水彩絵具 ともにソール・ライター財団蔵 ⒸSaul Leiter Estate

アトリエを閉じたのち、朝は絵を描き、カメラを携えなじみの書店まで散歩、帰宅後は愛猫の世話という彼の毎日は再評価後も変わらず、生涯手に届く世界のささやかな断片を拾い続けたのでした。 《東57丁目41番地で撮影するソール・ライター、2010年》 (撮影:マーギット・アーブ) ⒸSaul Leiter Estate

「ニューヨークが生んだ伝説 写真家 ソール・ライター展」

開催期間:~6月25日(日)
開催場所:Bunkamura ザ・ミュージアム
東京都渋⾕区道⽞坂2-24-1
開館時間:10時〜18時(毎週⾦・⼟曜⽇は21時まで/最終⼊場は閉館の30分前まで)
TEL:03-5777-8600(ハローダイヤル)
⼊館料:⼀般¥1,400

http://www.bunkamura.co.jp