“自粛明け”の思考と感性を、都現美の『ドローイングの可能性』展で刺激する。

  • 写真・文:中島良平

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盛圭太『Bug report』2020年 壁面にグルーガンで糸を貼る/張る方法によるドローイング・インスタレーションとでもいうべき作品。コンピューター用語でプログラムの不具合を意味する作品名は、切断された糸で紡がれた構造物の「意図的な欠落」「不完全な構造」を意味する。

新型コロナウイルス感染症の拡大防止のために臨時休館していた東京都現代美術館で、『ドローイングの可能性』展が幕を開けた。この企画は「線を核とする表現を現代におけるドローイングと捉え、その可能性をいくつかの文脈から再考する試み」として構想されたもの。

展示は3つのテーマで構成されている。最初が「言葉とイメージ」。1960年代から書の制作と批評を続けてきた石川九楊による現代社会をテーマとする作品から、切り絵で彩られたマティスの挿絵本へと展開する。第2のテーマは「空間へのまなざし」。戸谷成雄と盛圭太という彫刻を背景にもつふたりの作家が、立体的な思考で“線”にアプローチするほか、草間彌生が太平洋を上空から捉えた作品も展示。第3のテーマ「水をめぐるヴィジョン」では、変容を続ける水の様子をどのように線で描写するか、山部泰司、磯辺行久の表現が続く。

順路を追って作品を鑑賞していると、離れた展示室にあった作品がふいに思い出されるような構成の仕掛けがある。糸を切って壁面に線を引く盛圭太と、切り紙で面をつくり、「切断」の手法を駆使したマティスによるドローイング。空間で交錯する視線を固体に表現した戸谷成雄と、詩の意味と線を解体し、再構成して構造物を取り巻く情景を創造する石川九楊。このように複数のリンクが浮かび上がってくるのだ。企画したキュレーターの関直子さんは「ドローイングをテーマにすることで、ジャンルを横断して多様な表現のつながりが見えてきます」と語る。

「アートというのは視覚だけで捉えるものではありません。自分のペースで空間を歩き、目線の高さや作品との距離も変えながら作品を感じられる美術館では、自宅でアートを見るのとは全く異なる体験ができます。自分の日常とは尺度の異なる美術館で色々と感じ、その体験を持ち帰ることで、日常を相対化できるのではないでしょうか。美術館にはそういう役割があるということを、自粛明けにこの企画展を体験したことで再認識することができました」

驚くほどに素材も手法も幅広い「線を核とする表現」が集まった。その展示を追いかけながら思考を働かせることは、日常を活性化させ、美術館やアートの意義、文化の役割を改めて考える大事な機会にもなるはずだ。

同館では、6月9日に『オラファー・エリアソン ときに川は橋となる』とカディスト・アート・ファウンデーションとの共同企画展『もつれるものたち』も開幕する。

石川九楊『二○○一年九月十一日晴-垂直線と水平線の物語I(上)』2002年 ワールドトレードセンターのツインタワーの垂直線を目がけて、テロリストが飛行する水平線が突っ込んでくる。そこから生まれる悲劇と狂気。作品を手がけた石川九楊は、2011年のアメリカ同時多発テロ以降、現代社会をモチーフに詩を綴り、その詩文を解体してイメージとして再構築する。

戸谷成雄『視線体-散』2019年 1970年代に彫刻のあり方を再考することから制作を開始した戸谷。彫刻と空間、さらには彫刻を捉える視線にも問題意識を持った。空間を行き交ういくつもの視線の交錯が「視線体」となり、中央の木の表面に刻まれた。

山部泰司『横断流水図』2014年 山部は既存のイメージの操作、絵画技法や素材の再解釈などを通して絵画の可能性を追求してきた。近年、レオナルド・ダ・ヴィンチが手がけた洪水のドローイングを研究し、大画面のキャンバスを支持体とする単色の流水図を進化させている。

1950年代の抽象絵画から60年代のポップアートの時期に作家活動をスタートし、環境計画の仕事に従事した経歴も持つ磯部行久。近年は「越後妻有アートトリエンナーレ」や「いちはらアート×ミックス」などで大規模なランドスケープ作品を手がけるなど、ドローイングから広がる発想の展開を資料も交えて展示する。

ドローイングの可能性
開催期間:2020年6月2日(火)〜6月21日(日)
開催場所:東京都現代美術館 企画展示室3F
東京都江東区三好4-1-1(木場公園内)
TEL:03-5245-4111(代表)、03-5777-8600(ハローダイヤル)
開館時間:10時〜18時
※展示室入場は閉館の30分前まで
休館日:月
入館料:一般¥1,200
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/the-potentiality-of-drawing/