近未来感を堪能できるVRの最前線を、 ITジャーナリスト林信行が語る。

  • 談:林 信行
  • 構成:高野智宏

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さまざまな美術館がオンライン展覧会を開く中、リアルの展覧会を早めに打ち切りMatterport技術による先進事例を切り開いた森美術館『未来と芸術展』。写真はウォークスルー画面。

6月19日から前回のテーマであった接触確認アプリの配布が始まり、飲食店への自粛要請が解除されるなど、経済活動再開の取り組みが続いている。しかし飲食やレジャー、アミューズメントに文化施設など、あらゆる業態においてコロナ禍以前の状況に戻るには、まだまだ相当の時間が必要となりそうだ。

これまで世界の美術館が次々と展覧会の動画ツアーなどをオンラインで展開したが、その中でも森美術館の展開はひとつのハイライトとなった。同美術館の休館により会期途中でやむなく終了となった『未来と芸術展』を、3Dウォークスルー公開したのだ。

Matterportで撮影した『未来と芸術展』。立体的な位置関係も含め、すべての展示室が正確にアーカイブ保存されている。

『未来と芸術展 3Dウォークスルー』では展示の要所要所にYouTubeの動画解説が埋め込まれており、南條史生特別顧問の解説を見聞きすることができる。

このVR版『未来と芸術展』ではグーグルマップのストリートビューよろしく、360度好きな方向を見渡したり、他の部屋に移動したりできる。しかも、各セクション、そして各展示のポイントを指し示せば、ポップアップ画面が展開。本展を企画した同美術館特別顧問の南條史生氏の解説動画が再生されるなど、そのクォリティは世界でも屈指のものではないだろうか。

Matterport社の標準カメラ、Matterport Pro2。撮影と同時にLiDAR技術で部屋の立体的形状を認識する。Matterportのサービスでは他にも何種類かのカメラをサポートしており、最近、iPhoneで撮影するためのアプリも登場した。

3Dで美術館を再現した、Matterportの撮影技術。

『未来と芸術展』の3D画像を撮影した3DキャプチャーのMatterport(日本正規代理店では日本語名を「マーターポート」と表記)は、3Dかつ高精細な4K画像で空間全体を撮影できるカメラで、上下に各3つ、計6つのレンズを備え、おもに物件の事前内覧を目的として開発された技術だ。

このMatterportが撮影した映像の汎用性の高さと画質の良さに、以前からこの技術をVR美術館に使おうという動きはあったが、コロナ禍を契機に森美術館が先進的な事例をつくったのである。

Matterportでは撮影することを3Dスキャン、あるいは空間スキャンという。撮影方法を見るとその理由がよくわかる。Matterportを三脚にセットしてボタンを押すと自動で回転。360度方向での4K撮影と同時に、最新のiPad Proにも搭載されている、赤外線で対象物との距離を計測する「LiDAR」により空間全体のスキャンを実行する。すると、撮影された範囲の3D画像が円で表示され、次いでカメラを移動し更に撮影することで撮影済みの範囲を継ぎ足していき、最終的には空間のすべてのスキャンが完成。360度にわたる空間全体の3D画像が制作されるという仕組みだ。

ちなみに、森美術館の『未来と芸術展』をMatterportで撮影しVR美術館化したのは、アートで社会をイノベートする“アーツテック・カンパニー”のアートローグ(大阪府)。実は東京国立近代美術館の『ピーター・ドイグ展』の3Dウォークスルーもここがつくっており、他にも多くのギャラリーなどを3Dスキャンしているようだ。

VRをつくりだす、最新鋭の3Dカメラ

元祖美術館3Dウォークスルーサービスの「Google Arts & Culture」。世界の有名美術館をGoogleがデータ化。ただし、美術館単位での情報の更新はいまのところないので、コレクションの紹介が中心だ。

もっとも、森美術館の3Dウォークスルーの前にも多くの人が美術館のウォークスルーを体験しているはずだ。美術館をVR化した先駆的なサービスといえばGoogle Arts & Cultureがある。これはオルセー美術館や大英博物館など、世界の名だたる美術館や博物館の中をGoogle Street Viewのようにツアーできるというものだ。

このアプリの大きな魅力は、それぞれの美術館が所蔵するコレクションを鑑賞できることはもちろん、10億〜数千億の画素数をもつギガピクセルで撮影された作品を、繊細なタッチがわかるほど拡大できることだ。また、美術館をまたいで作者別に鑑賞することも可能と、鑑賞スタイルもVRならではだ。

Google Arts & Cultureの制作は、Street ViewとGoogle Earthの混合チームによるものとあって、楽しめるのは美術作品だけではない。世界遺産から世界の名所や旧跡、また名称に“&  Culture”とあるように、ファッションや食文化、歴史上の人物や事柄と、閲覧できる分野は無限大。“世界中の文化遺産をオンラインで紹介する”という謳い文句に偽りはない。

先に紹介したMatterportと、Google Arts & Culture。見る側としてはどちらも似たような体験ができるが、いちばんの大きな違いは、後者は世界中にある膨大な美術館をGoogleが同社の都合で少しずつ撮影を行っていること。このため個々の美術館の有名コレクション展などを見るのには向いているが、期間限定で行われている企画展までは3D化できない。これに対して、Matterportでは美術館が美術館の都合に合わせて業者に発注してつくるので、期間限定の企画展でも3D化できる。

たとえば5月の間、1カ月だけ東京・九段のkudan houseで行われた展覧会『つくらない都市計画』もMatterportで記録された。Matterportの撮影業社は増え続けており、今後、こうしたさまざまな期間限定イベントで活用されそうなのだ。

YouTubeで人気を博す「180度VR」とは?

VR(バーチャルリアリティ:仮想現実)の醍醐味といえば、専用ゴーグルを着用することで体験できる立体映像だ。いまYouTubeで「180度VR」と冠を着けた作品が多くアップされていることをご存じだろうか。

これはGoogleとYouTubeが共同開発した「VR180」というコンテンツフォーマットで、専用ゴーグルを着用して立体映像を楽しむものであるが、その対象は360度ではなく、前方180度方向のみ。ひとつのカメラで360度全方向を撮影する代わりに、人間の目の距離で配置されたふたつのカメラで正面180度を撮ることで、立体映像がつくられたVRコンテンツだ。目の前でのダンス映像やクローズアップマジック、ファッションショーなど立体映像の臨場感は一眼の360度とは比べものにならず、その画質の良さは肉眼で見ているのかと錯覚するほどだ。

「VR 180」コンテンツの増加を後押しするのが、高性能かつ入手しやすい価格のカメラが登場したことだ。

VR180と360度の全方向VRの両方の撮影に対応した「Vuze XR」。360度撮影をするときは、ふたつのカメラを折りたたんでグリップの左右に収納する。

同じくVR180とVR360に対応した「Insta 360 EVO」。こちらも折りたたむと360度撮影、開くと二眼を使ってVR180の立体撮影ができる。

たとえば、「Vuze XR」は180度なら3D映像を、360度なら2D映像が撮影できる5.7Kの超高画質VRカメラで、棒状のボディから180度の3D映像撮影時にはレンズが両サイドに開くユニークなモデルだ。また「Insta360 EVO」も、同じく180度で3D、360度で2D撮影が可能なモデル。加えて手ブレ補正も強力と、よりアクティブなVR撮影を実現する。こちらも5.7K動画の撮影が可能で、静止画なら1800万画素の画像を撮影できる。

いずれも6万円以下と入手がしやすく、誰もが簡単に3D映像を撮影できる時代となった。しかも自身が撮影した映像を、YouTubeなどの動画配信サイトやSNSで全世界へと発信することも容易だ。近い将来、日本から世界的人気を誇る、3D映像専門のYouTuberが誕生するかもしれない。

VRゴーグルは、没入感への進化を続ける。

ダンボールを組み立ててスマートフォンをセットすると立体VRが楽しめるハコスコ。

3D映像を語る上で、視聴に必要なVRゴーグルについても触れるべきだろう。単にVRゴーグルといっても、タイプはさまざまだ。価格も2000円台のものから、ハイスペックな上位機種では50万円以上のモデルもある。

もっともリーズナブルなのは、スマートフォンをセットするタイプ。なかでもダンボールでゴーグルを自作する「ハコスコ」は手軽にVR体験が出来る入門モデルで、なんと80万台ものヒットを記録している。

高級なモデルは、高解像度だったりする代わりにパソコンと接続しなければならないなどセットアップが大変だ。狙い目はゴーグルの中に、バッテリーやコンピューターが内蔵されたスタンドアローンタイプのもの。最近では10万円を切るものが増えてきた。

VRゴーグルはどんな体験ができるかで3DoFと6DoFという2つのタイプに分類される。DoFはDegree of Freedomの略で、動きの自由度を表している。

先に紹介したスマートフォンをセットするゴーグルや最近になって生産終了が発表された人気ゴーグルのOculus Go(私も愛用中)は3DoF。ユーザーは決まった位置に立っている前提で、景色は顔の向きだけに連動して動くタイプだ。頭を左右に振る、上下に傾ける、左右に倒すという3方向の動きに対応して景色が動く。

これに対して6DoFでは、ゴーグルをつけて背伸びをしたりしゃがんだりといった上下の動きや、前後に歩いたり、左右に移動するといった立っている位置の変化にも合わせて景色が変化する。少し前までは部屋の隅にセンサーを置いて、こうした歩きによる移動を検出していたが、最新のスタンドアローンゴーグルはモーションセンサーに加え、ゴーグルについたカメラが捉えた景色の変化で移動を検出している。

6DoFでは、たとえばゴーグルの中に映し出された部屋の中を自由に歩き回って、室内に置かれたものに目を近づけて見たりすることができるのが3DoFとの違いだ。

ちなみにカメラ内蔵のゴーグルには、周囲の景色を映し出して、そこにコンピューター映像を合成するAugmented Reality(AR=拡張現実)やMixed Reality(MR=複合現実)が楽しめるものもある。

VRが高めてくれる、臨場感や創造性。

VRはこの先、どんな発展をするのだろう。VRコンテンツの制作といえば、もともとはパソコン上で動く3DCGの制作ソフトでつくるのが主流だった。しかし、既に紹介した小型で高画質なVRカメラがでてきたことで、カメラで撮影した実写を編集したコンテンツも急速に増えつつある。

さらに最近ではVRゴーグルそのものが進化してきたので、実際にVRゴーグルを被った状態で、手に持ったコントローラをブラシ代わりに、バーチャル空間の中で立体的な絵を描く、ということも可能になってきている。

もっとも有名なのはGoogleが開発した「Tilt Brush」という3DペイントのVRソフトだろう。

VR空間の中で立体的な絵を描くことができるGoogle社のTilt Bursh。多くの6DoF型VRゴーグルに対応。

普通、ブラシで絵を描くというと平面のキャンバスの上でブラシを上下左右に滑らせて絵を描くが、立体ブラシでは、これにさらに前後の動きが加わり、平面的な絵にはないスキルが要求されるが、既にかなり凄い立体絵画を描くアーティストも増えつつある。

一方で実写3Dともコンピューターグラフィックとも言い難い新次元の表現を可能にしているのがインテルの「True View」という技術だ。

ラグビーやアメリカンフットボール、バスケットボールなどのスポーツ中継の映像を、たとえば選手にはゴールがどう見えていたかなど好きな位置、好きな角度から楽しむことができる。既にスポーツ番組でよく使われ始めているので見たことがある人も多いだろう。


インテルのTrue View技術を使うとスポーツの試合を選手の目線、審判の目線、観客の目線など好きなアングルで楽しめる。いずれはVRゴーグルを通してスタジアムの中に入ることも可能なはずだ。

True Viewの応用例でももっとも人気が高いアメリカンフットボール用のfreeDというシステムでは、スタジアムを取り囲むように5K解像度のカメラ38台を設置して試合を撮影。38の高解像度映像に写っている選手ひとり一人やボールの位置を画像認識して3Dデータ化している。つまり、どんな位置、どんなアングルの映像でもつくりだせるのだ。現在はテレビ放送用に、テレビ局が解説に便利なアングルの平面映像に編集して見せているが、いずれはVRゴーグルを通して選手目線でスポーツの試合を楽しむことも可能になってくるはずだ。

ちなみにインテルでは同技術を使って映画やドラマを撮影するスタジオもつくっている。今後は視聴者がドラマの世界に入っていき、好みの場所からドラマを楽しむといったことも可能になるだろう。

スタートレックの「ホロデッキ」を楽しめる時代が迫っている。

より臨場感を増し没入感を高めたVR機器とコンテンツが、この先どう進化していくのか。私は、VRに関わるクリエーターが目指しているのは、アメリカの人気SFドラマ「スタートレック」に登場する「ホロデッキ」ではないかと考える。

ホロデッキとは、わずか数メートルの空間にホログラム映像でジャングルや荒野を描き出し、植物などの物体にも触れることが出来る、現実と変わらない仮想現実世界を創出した完璧なVRシステムのことだ。

現在のVRシステムは既に視覚と聴覚、そして振動などの触覚で仮装体験を提供し始めており、映像も音もかなり現実と区別が付かなくなり始めている。

子どもの頃にテレビで観て胸を躍らせたホロデッキを実際に体験できるのはいつになるのか。昨今のVR技術とプロダクトの向上に、そんな時代が間近に迫っているのではないかと期待で胸が高まっているのは、私だけではないはずだ。