写真は時代の鏡なのか? 東京都写真美術館「いま、ここにいる 平成をスクロールする 春期」展を見に行こう。

  • 文:粟生田弓

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写真は時代の鏡であるとよく言われます。東京都写真美術館では、「いま、ここにいる 平成をスクロールする 春期」展が開催中です。佐内正史、ホンマタカシ、高橋恭司、今井智己、松江泰治、安村崇、花代、野村佐紀子、笹岡啓子、9人の写真家を通じて「平成」時代を写真で感じる、そんな展覧会です。彼らは、この時代、いったい何にレンズを向けてきたのでしょうか? 

1989年の途中にはじまる「平成」という時代は、経済成長が低迷し「失われた10年」がやがて「失われた20年」と呼ばれ、経済に限らず社会全体に慢性的な「喪失感」が指摘され続けてきました。決して明るいとは言えないどこか空虚なムードが漂うなかで、写真家の仕事はとてもむずかしいものになっていました。空虚に向けてシャッターを切ったとしても何も写らないのではないだろうか。そのような問いが1990年代以降、写真家たちに降り注ぎます。

さて、今回の展示を見てみると、彼らがカメラを手にして撮り続けていたものは、はたして全員バラバラな光景でした。たとえば、佐内正史はシリーズ〈生きている〉で窓辺の観葉植物を、ホンマタカシは浦安や湘南の風景を捉えました。松江泰治が見せるのは空撮による地表の多様性。笹岡啓子の〈Fishing〉は釣り人のいる海辺の風景。花代はピントを結べないほどに近く目の前の対象に迫り、薬瓶や花を捉えています。すべてをご紹介できませんが、同じひとつの時代に生きながら、こうも違った表現があることは、私たちに別の考えをもたらしてくれます。すなわち「喪失感」とは誰のものであったのか、と。社会の喪失ムードを肌で感じたとしても、それは目の前の日常を否定することとは別のことだと、自由自在に動き回っていた彼らの軌跡に感じずにはいられません。彼らは自分の好きなものを撮り、その存在を証明し、肯定したのです。これは、そう簡単なことではありません。写真家の使命が時代の表象を捉えることだとすれば、大きな社会に対して、小さな個人の解釈をぶつけていることになるからです。

ぜひ、展覧会に足を運んでみてください。ほの暗い展示室に掛けられた作品は、一見静かなようでいて、「いま、ここにいる」という日常への強い肯定が提示されています。

佐内正史 〈生きている〉より 1995年 発色現像方式印画

展示風景より

総合開館20周年記念TOPコレクション

「いま、ここにいる」平成をスクロールする 春期

開催期間:〜7月9日
東京都写真美術館 3階展示室
休館日:毎週月曜日(ただし月曜日が祝日の場合は開館し、翌平日休館)
料金:一般¥ 500