生成し続ける「美術館」。『ダヤニータ・シン』が魅せる、アートと空間の新しい関係。

  • 文:坂本 裕子

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展示室には「インドの大きな家の美術館」と名づけられた、チーク材の屏風のような、箪笥のような移動式「美術館」が置かれています。これまでに10作以上制作された作品は、常に固定されず、多様なテーマや印象をもたらします。 「ダヤニータ・シン」展 展示風景

東京都写真美術館は総合開館20周年記念展として、インドのアーティスト、ダヤニータ・シンの展覧会を開催しています。

1961年にニューデリーの富裕層に生まれたダヤニータ・シンは、デザイン大学を卒業後、ニューヨークの国際写真センターでドキュメンタリー写真を学びます。88年から8年間、ボンベイのセックスワーカーや児童労働、貧困といったインドの社会問題を追い、多くの写真が欧米の雑誌に掲載されました。しかし、取材で知り合ったユーナック(去勢された男性)・モナとの交流や、「西欧が認識するインド」を撮ることへの疑問から、90年代後半にフォトジャーナリストを辞め、アーティストとして活動をはじめます。出自であるミドル・クラスの身近な人々や風景を撮り続けて多くの写真集を発表、世界中で個展も開催されています。
日本の美術館での個展は初めて。生涯の友モナを撮った〈マイセルフ・モナ・アハメド〉、ジェンダーを見つめた〈第3の性〉、アーティスト宣言といえる〈私としての私〉の初期代表作から、転機となった〈セント・ア・レター〉を経て、最新作を含む「美術館」の本邦初公開まで、その足跡をたどります。

展示室では〈インドの大きな家の美術館〉という折りたたみ式の構造物が空間を造り、〈ファイル・ミュージアム〉、〈ミュージアム・オブ・チャンス〉などのテーマで写真が段組みにされます。これらはいつでも彼女が差し替え、棚自体も変形できるもの。収蔵庫であり、ダヤニータというキュレーターが展示替えできる作品は、まさに「ポータブルな美術館」です。それらは、建築や壁に固定される「展覧会」という在り方や「写真集」という形の制約を軽々と超えて新しい可能性を提示します。アーカイヴから、時に繰り返し使用される写真は、時間や歴史をつなぎ、記録と記憶というその特性を拡げます。そして1点1点から組み合わされた全体が紡ぎだす物語は、私的と同時に社会的な視点を浮かび上がらせ、観る者が個々に想像するストーリーも巻き込んで、不断の変化・生成を続けるのです。
最新作〈タイム・メジャーズ〉では、色褪せた赤い風呂敷包みが壁に並びます。中身が不明な包みは、意味/無意味、秘匿/公開、保存/廃棄の問題や、膨大なエネルギーと時間をかけて積み上げた人間の知的活動への彼女の想いを感じさせます。

2階ロビーでは映像作品も公開。私から公へ、個人から世界へ、過去から現在へ、面から空間へ、固定から流動へ、多様な層で往還し、変転する意味と表現。あらゆるものに啓いていく重奏世界は、訪れるたびに新しい貌を魅せてくれるはずです。

オールド・デリーの墓地に暮らすモナは、「第3の性」と呼ばれ社会の周縁に追いやられた存在でした。魂の片割れとして彼女の人生と制作に大きな影響を与えます。養子アイーシャを抱くモナはダヤニータが、ダヤニータを膝に抱くモナは彼女の母が撮ったもの。 左:〈マイセルフ・モナ・アハメド〉より 1989-2000年 / 右:〈リトル・レディース・ミュージアム-1961年から現在まで〉より 2013年 撮影:ノニー・シン

ヒンドゥー教の修業のためのアーシュラマ(僧院)に暮らす少女たちの生活を追った写真集から。自分で道を選択する時まで世俗を離れて清貧に暮らす少女たちの姿は、こどもと大人の狭間で目覚め始める自我が現れていて、ダヤニータのアーティストへの決意と重なります。 〈私としての私〉より 1999年 京都国立近代美術館蔵

両手に収まる小さな写真集は、友人のために作ったのがきっかけ。ドイツ・シュタイデル社の社主の目にとまり、7冊を布張りの箱に入れた「本」として出版されました。誰にとっても「手紙」のように懐かしく親密な関係を結びます。 〈セント・ア・レター〉 2007年 (左:展示風景 / 右:手製のボックスに入った7冊のソフトカバーの本)

2012年から制作されている“ポータブル美術館”のひとつ。「美術館」にはこれまで彼女が撮った写真が繰り返し現れることもあり、それらは常に入れ替えられ、追加される可能性を持っています。時が重層的に響き合い、観る者にさまざまな物語を紡がせます。 〈ミュージアム・オブ・チャンス〉 2013年

革製のスーツケースの「美術館」が“展示”するのは額装された彼女の写真集『ミュージアム・オブ・チャンス』44冊。「本」という在り方、「物語」という世界への想いが形になった作品は、同時に現在の「美術館」の概念を軽やかに超えていきます。鞄を抱えて世界を廻る彼女を想像するのも楽しい。 〈スーツケース・ミュージアム〉 2015年

「ダヤニータ・シン インドの大きな家の美術館」展

~7月17日(月・祝)
開催場所:東京都写真美術館 2階展示室
東京都目黒区三田1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内
開館時間:10時~18時(木・金曜日は20時まで) (入館は閉館30分前まで)
休館日:月曜日(ただし7/17は開館)
TEL:03-3280-0099
観覧料:一般800円ほか

http://topmuseum.jp