バスキア展の喧騒を惜しみながら、残された珠玉の語録集を読む。

バスキア展の喧騒を惜しみながら、残された珠玉の語録集を読む。

文:赤坂英人

バスキア展の喧騒を惜しみながら、残された珠玉の語録集を読む。

『バスキアイズムズ Basquiat-isms』 ジャン=ミシェル・バスキア 著 河野晴子 訳 美術出版社 ¥1,980(税込)

2カ月間で約20万人の入場者を記録したといわれる『バスキア展 メイド・イン・ジャパン』(東京・森アーツセンターギャラリー)が11月17日に閉幕した。2019年の東京に、時ならぬ1980年代アート回顧の旋風を巻き起こし、最終日には入場を待つ長蛇の行列ができた。株式会社ZOZOの前社長である前澤友作氏が123億円で落札してニュースとなった絵画を含め、約百数十点の日本初公開作品で構成された展覧会はさまざまな話題を呼び、現代アートの企画展としては過去最大級のものとなった。その展覧会の喧騒が去ったあと、少し冷静になって振り返ってみると、まるでバスキアからの置き手紙にも似た、一冊の珠玉のような本が私たちに残されていることに気がつく。

それは11月下旬に出版された、バスキアのインタビューや記事、会話の録音記録を、アート・コレクターでプロデュ―サーのラリー・ウォルシェが編集した語録集『バスキアイズムズ』(美術出版社)のことだ。バスキアが語った約200のフレーズをまとめたこの本は、元々は今年アメリカのプリンストン大学出版から出版されたもので、この日本語版は河野晴子が翻訳をしている。

内容は「序文」、「プロセス」、「影響を受けたものとヒーローたち」「ニューヨーク」「アート」「出典一覧」「年譜」「謝辞」からなる、約150頁の小さいながらも本格的な構成の本だ。その中から、いくつかバスキアの言葉を抜粋してみる。


「信じてもらえないかもしれないけど、実は僕は絵がうまいんだ。」

「まずは絵を描き、それを完成させる。描いている間は、アートについては考えない。人生について考えるようにしている。」

「僕は原則、アメリカ的な環境で育った。」


「アメリカ的環境」といっても、バスキアの言う環境とは彼が生まれ育った「ニューヨーク」という街にほかならない。グラフィティはサンフランシスコにもロサンゼルスにもあるが、バスキアとアメリカ西海岸という組み合わせは考えにくい。かつて、「バスキアはニューヨークでしか生きえない作家だ」と語ったのは、同じ「ストリート」、「路上」から大きな影響を受けている写真家の森山大道だった。彼はこうも言った。「バスキアにはニューヨークの匂いがプンプンする」と。


「アフリカには行ったことがない。僕はニューヨークという環境に影響されたアーティストさ。でも僕には文化的な記憶が残っている。それは探すようなものじゃなくて、そこにあるものなんだ。」

「僕は自分のヒーローについて考える。チャーリー・パーカー、ジミ・ヘンドリックス。人が有名になっていく過程をロマンティックなものとして考えていたんだ。自分の作品がそれほどよくないと思っていたとしても、信念だけは持っていた。」

「僕のほとんどの絵の主人公は黒人だ。黒人を描いた絵がそれほどないことに気づいたんだ。」


1980年代、バスキアがニューヨークのアートシーンに登場した時、話題となったのは、彼が美術界に登場した初めての「黒人アーティスト」ということだった。バスキア自身、そのことについてかなり意識的だったことが、この語録集の彼の言葉からも伝わってくる。


「(僕の主題は)君主、英雄、そしてストリート。

「世界の至宝、それはアート。アートは永続する。アートは人より永くここにあり続ける。」

「アートについて学校で学んだことはない。」

「友達はみな、僕があげた絵を全部売ってしまったよ。ほとんどすべてを。」

「僕はアートについて語るのが好きじゃない。」


いずれもジャン=ミシェル・バスキアという人間の個のキャラクターを、ストレートに伝えてくる言葉の数々だ。この一冊は、今後、バスキアを考える時、またアートについて考える時に不可欠な資料となるのではないだろうか。

バスキア展の喧騒を惜しみながら、残された珠玉の語録集を読む。