「ノン(否)」を叫んだ、異形の象徴。

『太陽の塔』

あべのハルカス美術館

「ノン(否)」を叫んだ、異形の象徴。

赤坂英人 美術評論家

初代『黄金の顔』1970年。

『雷人』未完。

太陽の塔の地下展示『いのり』岡本太郎記念財団蔵。
今回の展覧会ではジオラマで再現。岡本太郎は1911年、神奈川県に生まれる。戦前のパリで前衛美術の影響を受け、第2次世界大戦後、日本で前衛作家として活躍した。96年没。

「芸術は爆発だ」と言った岡本太郎の『太陽の塔』が時を超えて帰ってきた。約半世紀前の1970年、大阪府吹田市の千里丘陵を舞台に、「人類の進歩と調和」をテーマに掲げた日本万国博覧会が開催された(通称:大阪万博、EXPO’70)。歴史家はそれを、高度経済成長を謳う東京オリンピック以来の国家的プロジェクトだったと語る。
万博全体の総合設計は日本を代表する建築家である丹下健三が担った。丹下が設計したテーマ館の屋根を突き破り、その輝かしい姿を見せていたのが、岡本太郎が制作した『太陽の塔』である。高さ70mの巨大な塔は、まさに大阪万博の「異形の象徴」だった。
その「異形」の塔を巡る展覧会『太陽の塔』展が、あべのハルカス美術館で開かれる。万博記念公園に残る「太陽の塔」の修復工事が完了したこの機会に開催される、タイムリーな企画だ。展覧会には塔の初代の「黄金の顔」が登場、岡本が最も重視していた地下空間のジオラマや模型、また失われた「地底の太陽」の原型、岡本の感受性を示す絵画なども展示される。
実は岡本は、万博の「人類の進歩と調和」というテーマには批判的だったと言われている。1930年代のパリで『エロティシズム』などで知られるフランスのジョルジュ・バタイユら過激な思想家たちと親交を結び、帰国後、兵役で戦地に赴き収容所生活も経験した岡本にとって、国家の政治的スローガンに対して「ノン(否)」の気持ちがあったのは想像に難くない。しかし、丹下はそれを承知で岡本に『太陽の塔』を任せた。ふたりがどんな言葉を交わしたのか、いまは知る由もない。
岡本は当時、丹下と監修した本の中で「『太陽の塔』は根源から吹き上げて未来に向かう生命力の象徴」と書いている。「生命力」を内に秘めた『太陽の塔』は、時間を超える生々しい芸術の叫び声を感じさせる。

『太陽の塔』
開催期間:開催中〜11/4 
あべのハルカス美術館 
TEL:06-4399-9050 
開館時間:10時〜20時(月曜、土曜、日曜、祝日は18時まで) ※入館は閉館の30分前まで 
休館日:9/18 
料金:一般¥1,200(税込) 
http://playtaro.com/harukas-taro

「ノン(否)」を叫んだ、異形の象徴。