【グランドセイコー、「夢」を追いかける9の物語。】Vol.9 セイコースタイルを支える、「ザラツ研磨」という仕事。

  • 写真:宇田川淳
  • 文:迫田哲也

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日本の叡智と匠の技が生み出した、高精度で独創的な駆動方式「スプリングドライブ」。独自の道を切り拓いた技術者たちの声を聞き、そのイノベーションを紐解く。

日本国内のみならず、いまや世界規模でファンを魅了している腕時計ブランド「グランドセイコー」。その歴史には、精度を最高峰まで高めた技術者の挑戦と同時に、デザインや完成度を高めようとするデザイナーや職人たちの努力があった。「セイコースタイル」と呼ばれるそのデザインは、超高度な職人技術を必要とする「ザラツ研磨」という工程によって支えられているという。

なぜ、ザラツ研磨が必要なのか。

セイコーエプソン「信州 時の匠工房」に所属するザラツのスペシャリスト、黒木友志(左)と筋目つけのスペシャリスト牛山貴博(右)。

1960年代後半に当時グランドセイコーを手がけていたデザイナーによって、「セイコースタイル」というデザイン文法が生まれた。当時、スイスの天文台が行う精度コンクールで上位を占めるようになっていた日本の腕時計を、精度だけでなく、意匠と完成度においても、燦然と輝くものにするためである。その美学を最初に体現したのは、67年に発売された44GSと、その翌年に発売された61GSというふたつのグランドセイコーだった。それぞれ当時の第二精工舎(現セイコーインスツル)と諏訪精工舎(現セイコーエプソン)でつくられた機械式のグランドセイコーの歴史的名品として知られている。

平面を主体としたデザインで、その面を歪みなく、超鏡面に磨き上げる。インデックスや針も平面部の面積を多く取り、わずかな光でも時刻を読み取りやすくする。デザイナーは製造現場に足繁く通い、そこで何が可能なのか、当時の職人たちとともに模索した。何度も試作を繰り返した結果生まれたセイコースタイルは、グランドセイコーを担当するデザイナーに受け継がれてきた。といってもそれは、デザインを縛る枠ではなく、デザインの目的と方向を指し示す方位計である。ひとりひとりのデザイナーは自分の方法論と美学でセイコースタイルを解釈して、新しいグランドセイコーをつくる。

セイコースタイルのグランドセイコーである以上、仕上げに共通の高度な職人技を必要とするが、そのひとつが「ザラツ」である。鏡面仕上げや筋目つけの下地となる「超平滑な面」をつくる研磨工程だが、セイコースタイルのように、面と面が鋭い稜線で接している場合は特に欠かせない。鏡面に仕上げる「バフ掛け」工程は、その過程でどうしても稜線の「角」を丸めてしまう。そこで、このバフを掛ける時間を極力短くして、シャープな造形を維持するために、どうしても必要なのがザラツなのである。

ザラツでは、回転する円盤の中心部と外周部ではケースを押し当てる時間を変える必要があり、これも難しさのひとつ。違いを感覚として身体で覚えなくてはならない。

グランドセイコーのケースはまず、NC(自動切削加工)か冷間鍛造のいずれかで成形される。彫刻のように彫り出すか、数百トンの力でプレスするか、の違いである。かつてはこの工程の精度が高くなく、バリ取りなどが必要だったが、技術の進化によってその精度は飛躍的に向上した。しかしやはり、この後の工程におけるクラフトマンの名人技なくしてケースは完成しない。次に板がけ研磨や粗バフをかけ、ケース表面の凹凸をならす。その次がザラツだ。

「ザラツ」とは、かつてスイスにあった工作機械メーカーの名前で、そのメーカーが製造していたある種の研磨機を使う工程そのものを、日本の研磨職人たちは「ザラツ」と呼んでいる。研磨紙を貼り付けたアルミの円盤を回転させ、その側面ではなく、正面にケースの研磨面を押し当て、動かす。この工程で金属面を超平面に形成するのである。その後、仕上げバフで鏡面に磨き上げるわけだが、ザラツの工程を欠くと、鏡面には仕上がるものの、どうしても歪んだ面になってしまう。ザラツの仕上げの良し悪しは、回転する円盤に押し当てるときの力の強弱、その時間、スライドさせる速度などの要素の組み合わせによって決まるが、それらはすべて研磨職人の手の感覚によって左右されるのである。

信州 時の匠工房内にある「ケース工房」のザラツのスペシャリストである黒木友志は言う。「ザラツで難しいのは、バランスを取ることです。ある部分はよくできていても、かん足の面の形状が左右で微妙に違ってしまうことがよくあります。だから部分部分を丁寧に研磨するだけでは駄目で、むしろ押し当てる力を強めて、全体を見ながらスピーディに仕上げなくてはならない。かつて自分もそのコツを身体に覚えさせるために何カ月もかかりました」

“ザラツ”と“筋目”、引き立て合う二つの技。

鏡面と筋目の境界線であるシャープな稜線は、ザラツ工程があってこそ。

工程ごとに研磨の出来がチェックされるが、修正の指示がないものを「一発良品」と彼らは呼ぶ。卓越した腕前を獲得した研磨の名人たちに共通するのは、負けず嫌いで修業時代から「一発良品」にこだわり、自己研鑽を積み重ねていくことだという。

ザラツと並んで難しいハンドワークは「筋目つけ」である。グランドセイコーのケースには鏡面だけでなく、筋目(ヘアライン)仕上げを取り入れたモデルも多い。精緻な筋目は、煌めく鏡面とは対照的に、落ち着きのある柔らかな表情をもたらす。筋目があるから鏡面が引き立ち、鏡面があるから筋目が引き立つのだ。この筋目は、ケースを「ザラツ」と「仕上げバフ」で鏡面に磨き上げてからつけられる。どうせ筋目をつけるのに、なぜザラツをしなければならないのか?

「筋目つけ」が施されたかん足。緻密で均一なヘアラインが走っている。

 ケース工房で筋目つけのスペシャリストである牛山貴博は言う。「面に少しでも歪みがあると筋目にムラができてしまうからです」。ケースの研磨で最後の工程である筋目つけは、粒度400〜800の研磨紙を金属板に貼り、そこにケースを押し当てスライドさせていく。力加減、スライドさせる速度が違えば異なる筋目になってしまう。平面であれば一度押し当てて左右に動かすが、曲面の場合は手首をひねる動きも必要になる。深すぎる筋目は修正することもできない。部分によっては棒の先に研磨紙をつけ、それでヘアラインをつけることもある。その困難な仕上げを担当する牛山は「自分たちの仕事は、時計店やデパートのショーケースで直接、お客様の目に触れる。それが嬉しいし、だからこそ気が抜けないです」と言う。

かつてセイコースタイルは、グランドセイコーという腕時計をムーブメントの精度だけでなく、その存在そのものを輝かせるために生まれた。そしてこのスタイルを進化させる力は、半世紀たった今でもデザインの意志とクラフトマンの技なのである。

トリビュート・トゥ・44GS。

グランドセイコーが継承するデザイン理念「セイコースタイル」は、1967年発売の44GSによって、初めて実現された。このモデルは、その44GSのデザインをベースとし現代のサイズ感などを考慮した造形に、独創の機構「スプリングドライブ」を搭載する。歴史と最先端のメカニズムがここで出逢う。

Grand Seiko SBGA375
歴史上の名作44GSを彷彿とさせる造形だが、内部では21世紀に生まれたスプリングドライブ、キャリバー9R65の精緻なメカニズムが息づく。ミッドナイトブルーのダイヤルは「セイコースタイル」の針とインデックスの視認性の高さを改めて再認識させてくれる。最大巻上時の持続時間は約72時間。自動巻スプリングドライブ、ステンレススチールケース、ケース径40.0㎜、540,000円+税

※価格は2019年12月現在のメーカー希望小売価格(税抜き)を表示しています。上の商品は、グランドセイコーブティック、グランドセイコーサロン、グランドセイコーマスターショップでのお取り扱いになります。