【グランドセイコー、「夢」を追いかける9の物語。】Vol.7 対話と試行錯誤から、新たなデザインが生まれる。

  • 写真:宇田川淳
  • 文:迫田哲也

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日本の叡智と匠の技が生み出した、高精度で独創的な駆動方式「スプリングドライブ」。独自の道を切り拓いた技術者たちの声を聞き、そのイノベーションを紐解く。

日本国内のみならず、いまや世界規模でファンを魅了している腕時計ブランド「グランドセイコー」。このデザインには1960年代に確立された「セイコースタイル」というスタンダードがある。そのスタイルの革新を試みる背景に、デザイナーと職人たちよる試行錯誤、そして試作品を通じた見知らぬ先輩たちとの"対話"があった。

“魂”を守り続けるため、“スタイル”を革新する。

セイコーエプソンの星野一憲。デザイン、企画、造形技術の開発まですべてに関わっているので、デザイナーという肩書では彼の仕事を語ることができない。

腕時計の製造現場には、さまざまな工作機械がある。その種類は旋盤、研磨など、加工の目的によって多岐の分野に及んでいる。セイコーエプソンでは、それらを操作するためには使用認定証が必要になる。操作はもちろん、安全保守整備までの講習を受け、実際に部品をつくり、その加工精度が規格に収まってようやくその機械使用認定証が取得できる。

星野一憲は、腕時計をつくるために必要な機械を操る認定証だけでなく、時計修理技能士などの国家資格も持っている。つまり、ムーブメントの組み立てからケースの研磨まで、ほぼすべての工程をひとりでできてしまう。ところが星野の仕事は企画、デザインである。エンジニアや職人など幾人もの時計師とチームを組み、腕時計の全体像をつくることだ。本来ならば工作機械の資格は必要ない。それなのになぜ、それを必要としたのか?

星野は言う。「ダ・ヴィンチの時代、芸術家たちは解剖学を学んでいた。骨や筋肉がどんな構造で、どう動くのかを理解してはじめて、人を正確に美しく描くことができるのです。腕時計も同じじゃないか。どんな部品でできているのか。その部品はどのようにつくられるのか。身をもって理解したくて、時計に関する資格をひとつずつ取得していきました」

星野は製造現場で、機械を操る技術以外のものも手に入れることになる。「見たこともなかった約60年前の試作品が保管されていました」。たとえば初代グランドセイコーの、細部が異なる十数個の試作品が収められた箱。それ以外にもグランドセイコーの「技術遺産」を数多く発見した。試作品ひとつひとつを手に取り、見つめ、そこに込められたデザイナーの意志、エンジニアやクラフトマンたちの創意、技と試行錯誤、当時の加工技術の限界を読み解いていく。星野は、先輩ではあるが見知らぬ時計師たちと、歴史を超えて徹底的に対話し続ける。

星野の手のひらにあるのは、かつて自分が試作したサンプル。製造現場の職人たちの力を借りずに、さまざまな工作機械を使い、真鍮の塊から1日かけて削り出した。

初代のスプリングドライブ開発チームを率いた高橋理と仕事をすることになったとき、星野は自分の手で削り出し加工と研磨を施した真鍮製のサンプルを持っていった。そして高橋にこう言ったという。

「石ころのような時計をつくりたいんです」

それはごつごつした石ではなく、河原にあるような絶妙な丸みを帯びた小石。stoneではなくpebbleである。人間の想像も及ばないほどの長い時間をかけて、自然にゆっくり磨かれて、眺めても握っても心地よいカタチを得た石である。腕時計は機械ではあるが、人が肌につけるものである。腕にしっくり馴染む自然なカタチを目指したい。それはもしかすると、数式に還元できないものかもしれない。だから星野は、コンピュータでデザインをしない。これだと確信できるカタチに辿り着くまで試作を繰り返す。そして、その造形から逆に設計図面を起こす。

グランドセイコーのデザインには「セイコースタイル」というスタンダードがある。1960年代の後半に確立されたそのスタイルは、光を美しく反射するために、歪みのない鏡面に磨き上げた平面と二次曲面でそのデザインを構成する。星野はこのスタイルを、自分で工作機械を駆使しながら徹底的に検証する。そして、現代の技術と研磨を担当する名工たちの技能があれば、平面ではない三次曲面も、歪みのない鏡面に磨き、美しく輝かせることが可能ではないか、と考えるようになった。継承されてきたデザイン文法、現場の加工技術の進化、現在のクラフトマンの実力。そのすべてを熟知している星野は、新しいザラツ研磨の手法を現場の職人たちと試行錯誤しながら開発し、セイコースタイルを革新した。それはスタイルを変えるためではなく、そのスタイルを生んだ精神を守り、発展させるためだった。

日本的な時計づくりが、“クラシック”を生む。

ベゼルの試作品。微妙に異なる角度で多数つくり、光の反射を検証。

大学では工業デザインを専攻した星野だったが、セイコーエプソンに入社すると、腕時計をつくる部署に配属された。

「実は父もものづくりの仕事に携わっていて、子どもの頃から家には設計図や試作品が置いてありました」。父と同じ領域の仕事をするつもりはまったくなかった。しかし、ものづくり、とくに職人の手仕事に強く惹かれていた星野は誰に命じられたわけでもなく、加工現場の機械を操り、職人を知り、グランドセイコーのものづくりの歴史を“知識”ではなく、自分の頭と手を駆使して追体験し、やがてグランドセイコーをつくるチームのひとりになった。手がけたのは、3つの動力ぜんまいをもつトリプルバレルを搭載したグランドセイコーのスプリングドライブ8Daysと、デュアル・スプリング・バレルを組み込んだ手巻スプリングドライブのグランドセイコー。どちらも先鋭的な手巻スプリングドライブのムーブメントを内に秘めながら、日本的な静寂の美がそのデザインに昇華されている。

星野がかつてヨーロッパを訪れたとき、とある現地の時計師からこう言われたことがある。「グランドセイコーはクラシックだ」。クラシックの語源は「クラシキ(classici)」であり、古代ローマの市民階層の最上級を意味した。そこから「最上級」「傑作」などの語義が生まれたもので、日本語のクラシック=古典とはニュアンスが異なる。星野はヨーロッパの時計師の言葉を聞いて新鮮な驚きを感じた。日本は時計づくりの技術を欧州に学んできたが、本場の時計師たちはいま、日本を見ている。ひとつしかない頂点を奪うために彼らと闘うのではなく、それぞれの文化のなかでそれぞれの美学と技術を磨き、それぞれの頂点を目指す。星野は言う。「腕時計に限らず、世界には多様性があったほうが豊かだし、面白いじゃないですか」

星野が保管するグランドセイコー歴代の試作品など。星野の独特な方法論の原点だ。

デザインの継承と進化。

ぜんまいで駆動しながら、水晶振動子から正確な時間信号を取り出すスプリングドライブムーブメント。この画期的な機構がグランドセイコーに初搭載された2004年以来、長く親しまれてきたスタンダードモデルと、星野一憲がデザインを担当した薄型モデル。デザインの継承と進化を読み取れる。

Grand Seiko SBGA203(左)

ベゼルから胴、裏ぶたへと流れるような一体感を形成する「スラント モノ フォルム」。12、6、9時位置の大型の楔形インデックスによる「クロスラインレイアウト」や、筋目と鏡面の精緻な仕上げが特徴。一見シンプルなセイコースタイルだが、その細部にはさまざまな創意と意匠がちりばめられている。自動巻スプリングドライブ、ステンレススチールケース、ケース径41.0㎜、520,000円+税

Grand Seiko SBGY002(右)

1999年の初代スプリングドライブ発売から20周年を記念した、手巻モデル。三次曲面への歪みのない研磨やケース厚10.2㎜の薄型という新たな領域に挑んだ。信州の山に降り積もる雪をイメージした「雪白(ゆきしろ)」ダイヤルも優美。デュアル・スプリング・バレルで約72時間駆動を実現したキャリバー9R31搭載。手巻、18Kイエローゴールドケース、ケース径38.5㎜、2,800,000円+税

※価格は2019年10月現在のメーカー希望小売価格(税抜き)を表示しています。
上の商品は、グランドセイコーブティック、グランドセイコーサロン、グランドセイコーマスターショップでのお取り扱いになります。