【グランドセイコー、「夢」を追いかける9の物語。】Vol.3 「スポーツ」という、新たな領域への飛躍。

  • 写真:宇田川淳
  • 文:迫田哲也

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日本の叡智と匠の技が生み出した、高精度で独創的な駆動方式「スプリングドライブ」。独自の道を切り拓いた技術者たちの声を聞き、そのイノベーションを紐解く。

日本国内のみならず、いまや世界規模でファンを魅了している腕時計ブランド「グランドセイコー」。高機能と美しいデザインの融合というブランドの哲学を、スポーティなモデルでも実現しています。しかし、そこにはデザイナーや技術者たちの、次世代素材への挑戦、腕時計の外装構造の革命といった人知れぬ努力がありました。

グランドセイコーらしい、スポーツウオッチとは。

量産技術を担当する仲林裕資(左)と、外装設計者の滝内享(右)。仲林は設計図通りの部品をつくる工程を検討するだけでなく、時には特殊工具の設計まで行う。

腕時計のムーブメント以外の要素をまとめて「外装」と呼ぶ。たとえば、グランドセイコー専用のスプリングドライブムーブメントのひとつ「キャリバー9R86」を用いて、どんな時計に仕上げていくかは、外装を担当するデザイナーと技術者の意思と腕にかかっている。キャリバー9R86というぜんまいで駆動する最も高精度なクロノグラフを活かして、いままでにないスポーティなグランドセイコーがつくれないか。そんな考えのもとで生まれたのが「黒いグランドセイコー」というイメージだ。

そこで浮かんだのが、セラミックスという素材。長期メンテナンスの観点からめっきなどの表面処理を原則としてしないというグランドセイコーの方針の下でも、セラミックスなら「黒い素材」として魅せることは可能だ。特にジルコニア・セラミックスであればステンレススチールの7倍の硬度で傷付きにくい上、美しい質感も期待できる。「しかし品質保証という点から外装すべてをセラミックスにすることはできません」と、外装の量産技術を担当する仲林裕資は言う。ばね棒の力がかかるかん足部などが経年変化で破損、割れなどの可能性があるからだ。

そして怪我の功名というべきだろうか、ブライトチタンでムーブメントを包み込み、それを黒いジルコニア・セラミックスで鎧のように守るというハイブリット構造のケースにするアイデアが生まれた。

ブライトチタンのインナーケースを囲むようにジルコニア・セラミックスを取り付けた多層構造。耐摩耗性や防水性も備える軽量で実用的なスポーツウオッチに。

外装担当の仲林とセラミックスの生産・製造を担当する現場にとって、それは試行錯誤の始まりでしかなかった。桁違いに硬いセラミックスはその生産から、加工、研磨と、どの工程もステンレスなどの金属とはまったく異なる。「初めはセラミックスの常識的な加工方法でできうる造形で試作しましたが、どうしてもグランドセイコーのクオリティや品位に届かない。そこで全面的に工程を見直すことにしました」。そう言葉にするのは簡単だが、平滑な面と美しい稜線の両立といったグランドセイコーらしいデザイン要素を、ステンレスやチタンと同様に、セラミックスで再現するのは至難の業だった。品質とデザイン性の両立に徹底的にこだわり、ようやく製品化への道筋をつけた仲林だが、2014年の企画開始から、その奮闘は約2年にわたるものだった。

外装技術といえば「ダイバーズウオッチ」にも触れないわけにはいかないだろう。グランドセイコーのラインナップにダイバーズが初めて加わったのが2008年。そのムーブメントはスプリングドライブの「キャリバー9R65」だった。外装設計を担当した滝内享の仕事は、デザイナーが描くイメージを部品単位の図面に落とし込むことだ。しかし滝内はすぐには図面を起こさなかった。「なぜグランドセイコーにダイバーズなのか? その意味を議論することがこの仕事の出発点でした」。商品企画の担当やデザイナーだけでなく、技術者までが「グランドセイコーとはどうあるべきか」を考えていた証しだ。

ダイバーズウオッチというと防水性がクローズアップされがちだが、それは要求される性能の一部でしかなく、視認性や耐衝撃性などあらゆる意味で実用的でタフな腕時計でなくてはならない。こうした基本性能を高めることは、「実用時計の最高峰」を究めようとするグランドセイコーの哲学にも通じる。そして、世代を超えて愛用されることもグランドセイコーの基本理念であるゆえに、ケース外観部の再研磨等、主要部品が部品単位で修理できるように、容易に分解ができる構造になっている。滝内は言う。「デザインや仕上げといった外側の見える部分だけでなく、永く愛用できるための実用的な構造もグランドセイコーのダイバーズとして採用したかったのです」

傷が付きにくく美しい、セラミックスという素材。

セラミックスの試作品(右)と完成部品(左)。試行錯誤を重ね、流麗な曲面や多面体を表現することに成功。

その語源はギリシャ語のケラモス(粘土を焼き固めたもの)だが、現代の技術が生み出したファイン・セラミックスは『化学組成、結晶構造、微構造組織・粒界、形状、製造工程を精密に制御して製造され、新しい機能または特性をもつ、主として非金属の無機物質』と定義される。そのひとつであるジルコニア・セラミックスは、宝飾品でもあるキュービック・ジルコニアとほぼ同じ成分。金属より軽いが、金属をはるかに上回る硬度と独特の深みのある光沢をもつ。しかしその硬さのゆえに、加工の自由度は著しく低い。ジルコニア・セラミックスを採用したグランドセイコーの外装を担当した設計者や技術者は、このセラミックスという素材に取り組む中で、逆説的にステンレスの「柔らかさ」を実感したという。

防水性能だけが、ダイバーズの魅力ではない。

スプリングドライブ搭載ダイバーズのケース断面図。グランドセイコーのためだけに考案された機構も。

1920年代、ムーブメントを保護するために防水機能と防塵機能を備えた腕時計が考案され、やがて水中で使用するための腕時計、ダイバーズウオッチが生まれる。もともと特殊な用途のために開発されたものだったが、防水機能はもちろんのこと、視認性、耐衝撃性など、現在の腕時計では常識となったさまざまな機能や性能は、このダイバーズウオッチから採り入れられたものが多い。日本のダイバーズウオッチの歴史を紐解くと、1965年発売の国産初となる150mダイバーズ、1975年発売の画期的な飽和潜水用600m防水ダイバーズなど、日本を代表するモデルが、諏訪精工舎(現・セイコーエプソン)によって開発されてきたことがわかる。スプリングドライブの故郷は、日本のダイバーズの故郷でもあるのだ。

スポーツウオッチに、品格を。

スプリングドライブムーブメントを搭載したセラミックスモデル(左)とダイバーズウオッチ(右)。もともと衝撃に強いスプリングドライブムーブメントが堅牢でタフな外装を纏い、高い機能性に加えてグランドセイコーならではの品格もあわせ持つ。

Grand Seiko SBGC223(左)
実用性と高級感を兼ね備えたGMT付きクロノグラフは、ケースとブレスレットにジルコニア・セラミックスとブライトチタンを採用。セラミックスを美しい鏡面に仕上げ、稜線を際立たせた多面体フォルムを完成させている。シースルーバックからムーブメントも鑑賞できる。自動巻スプリングドライブ、セラミックス+ブライトチタンケース、ケース径46.4mm、1,550,000円+税

Grand Seiko SBGA229(右)
逆回転防止ベゼルやねじ込み式りゅうずをはじめ、200m空気潜水用防水を備えたハイスペックなダイバーズウオッチ。メタルのブレスレットながら簡単に伸縮しウエットスーツの上から着用できるのも便利。インデックスや針には海の中でも視認性を高めるルミブライトを塗布。自動巻スプリングドライブ、ステンレススチールケース、ケース径44.2mm、640,000円+税