【グランドセイコー、「夢」を追いかける9の物語。】Vol.2 革新を積み重ねた、初のクロノグラフ。

  • 写真:宇田川淳
  • 文:迫田哲也

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日本の叡智と匠の技が生み出した、高精度で独創的な駆動方式「スプリングドライブ」。独自の道を切り拓いた技術者たちの声を聞き、そのイノベーションを紐解きます。

日本国内のみならず、いまや世界規模でファンを魅了している腕時計ブランド「グランドセイコー」。そこに搭載されているのが、今年で誕生から20周年を迎えた「スプリングドライブ」のムーブメントです。独自に開発した駆動方式を、世界でも最高峰の精度にまで高めていった過程を追います。

独創の駆動方式を、グランドセイコーに。

原辰男(左)と平谷栄一(右)。ともにセイコーエプソンの時計技術者。スプリングドライブの誕生から、その性能と機能を進化させる技術開発に取り組んできた。

スプリングドライブという新機構の誕生から、それがグランドセイコーに搭載されるまで、一貫して開発に参加した時計技術者がいる。セイコーエプソン、原辰男。彼は1997年からスプリングドライブの開発に携わり、その完成と量産化を経験した後に、2002年から自動巻開発のリーダーとして奮闘した。

スプリングドライブはぜんまいの力で時計の針と超小型発電機を同時に動かす。その電力で水晶を組み込んだ回路を駆動して規則正しい信号を生成、それに合わせて針の速度を電磁ブレーキで調整し、なめらかなスイープ運針を実現する。原が考案したメカニズムは、発電効率を向上させ、落下や衝撃などの耐環境性も備え、電力を安定供給する、つまりこのムーブメントの精度を支える基幹技術のひとつだ。

グランドセイコー専用のスプリングドライブ、キャリバー9Rを開発する原のチームの課題は3つあった。まず48時間駆動のムーブメントを72時間駆動とすること。次に自動巻機構を組み込むこと。そして、クロノグラフ化やGMT機構の追加など今後の展開を想定したプラットフォームとなるムーブメントにすること。新しい駆動方式のムーブメントに、機械式時計技術が長年かけて達成してきた実用的な機能と性能を、グランドセイコーにふさわしいレベルにまで高めて組み込むというプロジェクトだった。

動力源となるぜんまいを収める香箱の大きさはほぼ変えずに、駆動時間を48時間から72時間に延ばす。つまり1.5倍の効率アップだ。初代のスプリングドライブから関わってきた原だからこそ、そのハードルの高さと同時に技術的な攻めどころについてもある程度見当がついていた、とも言えるだろう。微細な部品を磨き、力のロスを減らすといった地道な取り組みなどで、72時間駆動のめどはついたという。しかし意外なことに駆動時間を1.5倍に延ばすよりも、自動巻機構の搭載が「壁」となった。

スプリングドライブ・キャリバー9R86の試作機。手前から見て9時の位置にクロノグラフの作動を担うピラー(柱)ホイールが見える。直径約3cmの空間に400以上の部品が配置されている。

1959年、諏訪精工舎(現・セイコーエプソン)は画期的な自動巻機構を開発する。シンプルでありながら巧妙なその仕組みは「マジックレバー」と名付けられ、現在ではスイスメイドの腕時計にも採用される世界標準の技術になった。コンパクトで効率がよい、という理由で原たちもマジックレバーを選択したのだが、目標にほど遠い結果しか出ない。メカニズムに問題はなかった。原は言う。「原因は人間の生活習慣の変化でした。昔と比べると腕の動きが格段に減っているようなのです」。ならば、巻き上げ効率をさらに向上させるためにマジックレバーそのものの改良に取り組むほかなかった。

2004年、スプリングドライブ・キャリバー9R65を搭載した初のグランドセイコーが発売される。1960年に機械式ムーブメントの初代グランドセイコーが諏訪精工舎によって開発されてから44年、その後輩たちが新機構のムーブメントを搭載した新しいグランドセイコーを世に送り出した。信州のメカトロニクスの精髄であり、集大成のムーブメントを搭載したグランドセイコー。次のテーマは、クロノグラフである。それは、ぜんまいで駆動する最も高精度なクロノグラフをつくることを意味する。その開発チームを率いた時計技術者が平谷栄一だった。

グランドセイコーにとって初めてのクロノグラフではあるが、平谷の心算はこうだった。「自分の考える最高のクロノグラフをつくろう、それこそがグランドセイコーらしいクロノグラフになるはずだから」。クロノグラフとは、簡単に言えばストップウオッチ付き腕時計である。歴史を紐解くと、1964年に日本初の腕時計クロノグラフが、69年に「垂直クラッチ」を組み込んだ世界初の自動巻クロノグラフが、どちらも諏訪精工舎で開発されている。

クロノグラフでも、駆動時間は減らない。

2007年に完成したキャリバー9R86搭載機。プッシュボタンは重すぎず軽すぎない最高のクリック感を実現するためREADY/STARTモードを採用する。

機械式のクロノグラフは一般的にストップウオッチを作動すると時計の駆動時間が減り、ぜんまいのトルクが少なくなると計測精度もばらつく。しかしスプリングドライブは驚くことに計測を開始させても駆動時間は減らず、精度も変わらない。開発チームは、輪列を見直して歯車を少なくすることで力の伝達ロスを低減し、秒針の速度を調整するブレーキに必要な電気エネルギーを半分に抑え、ぜんまい駆動のクロノグラフとして画期的な性能を達成した。

次は操作の精度である。ストップウオッチの精度は、時計としての精度だけでなく、人間の意思を瞬間的にメカニズムに伝えられるかどうかにも左右される。そのために過去いくつも考案されてきた仕組みの中から、ピラーホイールと垂直クラッチという組み合わせが選ばれた。確実で精密な操作感と高い計測精度を実現することが、グランドセイコーのクロノグラフを名乗るために必要だったからだ。

2007年、キャリバー9R86は完成する。自動巻、72時間駆動に続いて24時針までも備えたクロノグラフムーブメントへ。スプリングドライブは進化したが、この機構を発案した時計技術者、赤羽好和が1998年に逝去する前に「次につくりたい時計がある」と周囲に漏らしていたことを、後輩であり部下でもあった原辰男は耳にしたことがある。「具体的にどんな時計かわからないんですが、もしかしたら原子腕時計じゃないか?と想像したりもします」

ひとりのエンジニアが見た夢は20世紀のうちに実現し、21世紀に大きく成長し始めた。それは、大胆であると同時に緻密な、日本という国のものづくりの精神を象徴しているのかもしれない。

“操作する”という悦楽。

グランドセイコーのスプリングドライブクロノグラフを2モデルご紹介。どちらも作動方式はピラーホイール(コラムホイール)で円滑な操作感を確保し、伝達方式としては歯車間のかみ合わせがないため針飛びが発生しない垂直クラッチを備えている。ぜんまい駆動で最も高精度なクロノグラフと言えるだろう。

Grand Seiko SBGC201(左)
キャリバー9R86搭載。パワーリザーブ針を含めると8 本の針を備えるGMT 付きクロノグラフ。多機能ゆえにムーブメントのパーツは400点以上にのぼる。ブルーのクロノグラフ秒針は、「時は移ろい、時は流れる」という日本の美意識を表現した、流れるように動くスイープ運針。最大巻上時は、72時間持続。自動巻スプリングドライブ、ステンレススチールケース、ケース径43.5㎜、860,000円+税

Grand Seiko SBGC231(右)
スポーティでソリッドな造形と軽量なブライトチタン素材を組み合わせた、GMT付きクロノグラフ。獅子のたてがみをイメージしたパターンが施された文字板も目を引く。特別精度のキャリバー9R96搭載で、月差±10秒の高精度を誇る。20気圧防水のタフなグランドセイコーだ。自動巻スプリングドライブ、ブライトチタンケース、ケース径44.5㎜、世界限定500本、1,400,000円+税

※価格は2019年5月現在のメーカー希望小売価格(税抜き)を表示しています。
上の商品は、グランドセイコーブティック、グランドセイコーサロン、グランドセイコーマスターショップでのお取り扱いになります。