【グランドセイコー、「夢」を追いかける9の物語。】Vol.1 技術者たちが夢見た、新世代ムーブメント。

  • 写真:宇田川淳
  • 文:迫田哲也

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日本の叡智と匠の技が生み出した、高精度で独創的な駆動方式「スプリングドライブ」。独自の道を切り拓いた技術者たちの声を聞き、そのイノベーションを紐解きます。

日本国内のみならず、いまや世界規模でファンを魅了している腕時計ブランド「グランドセイコー」。そこに搭載されているのが、今年で誕生から20周年を迎えた「スプリングドライブ」のムーブメントです。技術者たちの挑戦や革新を積み重ねて実現した、独創的な駆動方式。知られざるその物語を紹介します。

そのムーブメントは、「革新」というDNAでできている。

セイコーエプソンの時計技術者、高橋理(左)と小池邦夫(右)。高橋は研究段階からスプリングドライブの開発に取り組み、のちに小池を迎えたチームで完成に導く。

もしもあなたが腕時計に興味関心をお持ちならば「スプリングドライブ」という名前を聞いたことがあるだろう。この腕時計のムーブメントは文字通りぜんまい(スプリング)で駆動(ドライブ)する。そこまではいわゆる機械式腕時計と同じだが、異なるのは調速機に水晶振動子を使うこと。この独創的な機構が「グランドセイコー」に搭載されたのは2004年のことだが、まずその前史を確認しておきたい。

1970年代後半、「ツインクオーツ」という高精度ムーブメントの原理を考案し、その製品化に携わった時計技術者がいた。諏訪精工舎(現・セイコーエプソン)、赤羽好和。2つの音叉型水晶振動子を内蔵し、その周波数の差から、温度変化による精度の誤差を検知し補正する仕組みで年差ムーブメントを誕生させた。同時に彼は、のちにスプリングドライブと呼ばれる機械式水晶時計を発想していた。ぜんまいで駆動しクオーツ時計と同等の精度をもつ腕時計を夢見た時計師は、当時他にもいたかもしれない。だが、20世紀が終わるまでにその発想を具現化できたのは、赤羽とその意思を継承した技術者だけだった。

世界で初めてスプリングドライブ機構の腕時計の開発に成功し、その技術を発表したのは98年3月。そして翌年、製品化され発売となる。その一連の開発を指揮したのは高橋理だった。高橋は入社した頃から「ぜんまいを動力源とした、電子制御機械時計の開発」という82年に赤羽が出願(その後権利化)した特許を、そしてその研究や試作が行われたことも知ってはいた。しかしまさか自分がその開発を託されるとは考えてもいなかった。大学院で流体工学を専攻した高橋は、シリコンオイルの粘性とひげぜんまいを利用して秒針がなめらかに回転する独自のスイープ運針機構を開発するなどの実績をもつ時計技術者だったが、彼をもってしても当時の技術での試作は駆動時間があまりにも短く、93年に始まったその作業は、いわば未知の高峰の登攀ルートを探索する途中で一旦終了した。しかし公式には幕を閉じたはずの研究は、水面下では続いていたのだった。

1997年に完成した試作機。円形の金属ケースは動力ぜんまいを収める香箱。発電機の一部であるコイルが見えるが、スプリングドライブには電池とモーターはない。

スプリングドライブでは、巻き上げられたぜんまいがほどける力は、大きく分けて「動力」と「制御」に使われる。まずは針を動かすための歯車を回転させ、さらに電磁誘導という方法で物理的な力を電気エネルギーに変換し、その電力で水晶振動子が組み込まれた回路を駆動させる。そこから正確な時のリズムを生成し、それに合わせて電磁力で針の回転速度を制御するという精妙な仕組みだ。その技術的な課題は多岐にわたったが、97年、再び開発に正式なゴーサインが出る。その書類に判を押したのは考案者であり当時の事業部長であった赤羽だった。

その時に開発チームに加わった回路設計担当の小池邦夫は、「高精度な時計をつくりたい」という想いからセイコーエプソンに入社した技術者だった。「初代のスプリングドライブの開発がいちばん印象深い仕事だった」と言うが、当時の社内には低パワー技術、超小型発電機などの技術的蓄積があったものの、それだけでは歯が立たなかった。チームを率いる高橋は、ふらりと小池の席までやって来ては、「こうしたらどうか、ああしたらどうなるか」と毎晩のように技術論を戦わせたという。高橋はチームが直面している困難を具体的に理解するため、専門外の電気技術をも学び直していた。その副産物として、水晶を組み込んだ回路を微弱な電力で安定して作動させるための電圧増倍回路を「発明」してしまう。のちにそれは80年前に既に発明され原子力研究などに使われている回路だと判明し、高橋の「功績」は幻に終わるが、その回路はスプリングドライブの正確な作動を支えることになったのである。

蓄積してきた技術の結晶、そして次のステージへ。

グランドセイコー用スプリングドライブとして、自動巻機構を用い、72時間駆動を達成した2003年の試作機。その開発にも数々の試練が待ち受けていた。

スプリングドライブ開発の重要な鍵であった、画期的な低電圧ICを小池たちが手に入れることができたのは、逆説的に言えば、60年代にクオーツ時計の超小型低電圧ICを設計・製造してくれる半導体メーカーが他になかったからだとも言える。クオーツ時計を製造するにあたり、ICも自社開発しなければならず、そのことが結果的にセイコーエプソンを半導体メーカーとして成長させた要因でもある。長年の研究開発による技術の蓄積があったからこそ、スプリングドライブのために専用の低電圧ICをつくることができたのだ。その試作ICを初めて組み込んだのは97年12月26日。正確に動く針を確認した回路設計の技術者たちは、互いの顔を見合わせた。小池は「あの時は感動というより、おかしな話ですが、『あ、本当に動いた』という驚きでした」と語る。やがて、その試作ムーブメントが行方不明になる「事件」も起きた。開発担当の高橋は言う。「赤羽さんが自分の机の引き出しにしまっていたことが後でわかりました」。それを時折取り出しては、自分の手のひらにのせたであろう赤羽はなにを思っただろう。しかし、99年の製品化、2004年のキャリバー9Rの開発を待たずに、赤羽は肺炎が原因で急逝してしまう。98年8月のことだった。

その後、スプリングドライブの開発チームは製品化に向けて奮闘すると同時に、自動巻の開発にも着手。画期的な機構であるスプリングドライブを、グランドセイコーに搭載するにふさわしいムーブメントへ磨き上げていくために、なにが必要か。機械式時計の技術とクオーツ時計の技術、その集大成とも言えるスプリングドライブの進化の物語は続く。

その針は、時を刻まない。

スプリングドライブを搭載した腕時計の秒針は、時を「刻む」のではなく、ダイヤルの上をなめらかに回る。「時は移ろい流れる」という日本の美意識を表現したスイープ運針は、ぜんまいの力で動く針に1秒間で2の8乗(256)回、磁力でブレーキをかけ速度調整する。スプリングドライブの象徴的な機構だ。

Grand Seiko SBGA201

スプリングドライブ(Cal.9R65)を搭載したグランドセイコーが発売されたのは2004年。そのスタンダードモデルで、ロングセラーを誇る一品。ブランドのアイデンティティとも言える堂々たる造形を継承し、7時位置にパワーリザーブ表示を備える。最大巻上時は72時間持続し、実用性にも優れる。自動巻スプリングドライブ、ステンレススチールケース、ケース径41.0mm、520,000円+税