【グランドセイコー、未来へ紡ぐ10の物語】Vol.8 10振動による優れた精度と耐久性を両立させた、技術と信念の結晶。

  • 写真:宇田川 淳
  • 文:篠田哲生

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日本が世界に誇る最高級の腕時計ブランド「グランドセイコー」。1960年の誕生から現在に至るまで、腕時計の夢を叶えようと挑戦を続けてきた物語を紹介します。

1960年、スイスの最高級品に挑戦する国産の最高級品として、正確で見やすく美しい腕時計を目指して誕生した「グランドセイコー」。グローバルブランドとしてさらなる飛躍を目指す今年、誕生から今日にいたるまで様々な困難に立ち向かい、腕時計の夢を叶えようと挑戦を続けてきたその物語を、全10話の連載記事でご紹介します。

高精度機械式ムーブメントを開発の主軸に進んできたグランドセイコー。しかし、彼らが越えなければならない壁は、皮肉にも彼らが革新してきた「クオーツ」によってこのうえなく高まっていた「精度」だったのです。実現は不可能にも近いと思われた、機械式での「正確さ」への挑戦をあらためてひも解きます。

信念を貫いた、高振動化の歩み。

左:高精度を追求する中で完成した、10振動ムーブメントCal.6145を搭載する1968年製のグランドセイコー。 右:41年ぶりに復活した10振動ムーブメントCal.9S85を搭載し、2009年に発売された「グランドセイコー メカニカル ハイビート 36000」。10振動と55時間持続、耐久性を実現しました。

腕時計の正確性を示す「精度」は、性能を決める客観的な尺度となります。セイコーでは1960年代からスイスのニューシャテル天文台で開催される精度コンクールに出場することで、スイスの腕時計メーカーと技術を競い合ってきました。その中で高精度を実現させる根幹技術として確立させたのが「高振動化」でした。

機械式腕時計のメカニズムは、ほどけようとする動力ぜんまいの力で歯車を回転させる一方で、一定のリズムで振動するてんぷの動きで歯車の動きにブレーキをかけ、針を正確に回転させるというもの。回転速度の速いコマが安定しているのと同じように、てんぷの振動数が多いほど、衝撃などの影響を受けにくくなるため、高い精度を実現できるのです。

セイコーでは天文台コンクールでの経験から高精度を実現できる振動数を毎時36,000振動(毎秒10振動)と割り出し、これをグランドセイコーにおける高精度技術の核としました。1968年には諏訪精工舎から自動巻式のCal.61系が、第二精工舎からは手巻式のCal.45系が誕生し、高振動・高精度ムーブメントの技術でも抜きん出た存在となっていったのです。

しかし時代の変革が、その進化を止めてしまいます。並行して諏訪精工舎が開発を進めていたクオーツムーブメントが実用化されると、その圧倒的な高精度を前に、高精度機械式ムーブメントは時代遅れの技術となってしまったのです。その影響は、1998年に復活した機械式9S系グランドセイコーにも及びました。矛盾するようですが、クオーツによってユーザーの精度意識が高まった結果、機械式9S系グランドセイコーの精度に対するユーザーの期待も、かつてないほどに高まっていたのです。20数年の年月を経て復活した完全新設計の9Sメカニカルムーブメントも現状に甘んじることなくさらなる飛躍が必要でした。

技術者の信念と良心が、高精度と高耐久性を求めて新たな地平を切り拓きます。細かいパーツを組み立て、寸分の誤差もなく動かす機械式腕時計は、機械工学や材料工学、物理学、そして芸術などが融合して生み出される“総合科学”。その能力を数値化したのが「精度」である以上、ここを疎かにすることはできません。そこで2004年、従来の9S5系ムーブメントからさらなるステップアップを目指して、10振動ムーブメントを開発する新たなプロジェクトが始まりました。

1960年代に誕生した、10振動腕時計の歩み。

1968年 CAL.6145

諏訪精工舎がつくり上げた自動巻式の10振動ムーブメントCal.6145。10振動というハイビートでありながら、当時はまだ技術的に困難だった秒針規正装置も搭載し、高精度と実用性、信頼性も兼ね備えた名機となりました。

1968年 CAL.4520

第二精工舎が製造した手巻式10振動ムーブメントCal.4520は、厚さがわずか3.5㎜。44系や57系ムーブメントよりも薄く、10振動による高精度と品格あるデザインで、61系GSとともに10振動商品群を形成しました。

1969年 CAL.4580(V.F.A.)

第二精工舎が製造した手巻式のCal.4580。天文台クロノメーターコンクールで磨いた技術を駆使して、月差± 1 分という驚異的な精度を実現したV.F.A. ムーブメント。機械式腕時計の究極の高精度です。

COLUMN

開発の決め手になった、12振動のクレドール。

セイコーは12振動という超高振動ムーブメントCal.8L88を開発。蒔絵や螺鈿を使った豪奢な「クレドール ジュリ 典雅」に収められ2008年に発売されました。このプロジェクトで手応えを感じたことで、グランドセイコーの10振動ムーブメント開発に拍車がかかったのです。

※掲載している時計の写真は、一部、発売時の仕様とは異なるものがあります。

素材と製法から見直した新型ムーブメント。

新たな10振動ムーブメントをつくる上で、解決すべき問題は少なくありませんでした。摩擦抵抗、環境温度の変化、磁力、衝撃などによる影響は、過去のノウハウを活かすだけではクリアできません。そこで、まずは新しい動力ぜんまいの開発に着手しました。従来の「SPRON510」をさらに進化させ、ばね力を向上させるとともに、ぜんまいの厚みを抑え、幅広にし、長さを約10㎝伸ばした「SPRON530」へとアップデート。その結果トルクを6%アップさせることに成功しました。さらにひげぜんまいも変更。5年の開発期間を経て完成した「SPRON610」は、従来のものと比べて耐衝撃性能が2倍に、耐磁性能が3倍に向上。多くのスイスの時計ブランドは、ぜんまいを外注しているため、ここまでのハイスペックを追求することは至難の業。しかし第二精工舎は1940年代からぜんまいの材料研究や製造を行ってきたため、基礎レベルから新規開発が可能なのです。

こういった革新によって8振動より大きなトルクが必要とされる10振動ムーブメントで、約55時間の持続時間を実現させました。さらにぜんまいを効率よく巻き上げるために、部品点数が増えコストも上がるにもかかわらず「切換伝え車」方式を採用し、使い勝手も高めています。

現代の10振動ムーブメント、Cal.9S85の開発には、ぜんまいの新規開発だけでは十分ではありません。脱進機と呼ばれるがんぎ車やアンクルも新たにする必要があったのです。そこで用いられた技術が、半導体を製造する際に利用するMEMS(MicroElectro Mechanical System)技術でした。特殊な樹脂で高精度の型をつくり、そこにニッケル電鋳を行うと、極めて精度が高く、平滑な表面をもち、高い硬度のパーツをつくることができるのです。この技術でがんぎ車やアンクルなどに極限まで肉抜き加工を施すことで、超軽量化することに成功しました。しかも個体ごとのばらつきを減らし、物理的な誤差を極限まで減らすことができたというのも利点でした。

強いトルクをもつ動力ぜんまいと衝撃と磁気に強いひげぜんまい、そして硬度が高く、加工精度の高い脱進機パーツを手に入れたグランドセイコーは、ついに毎時36,000振動のハイビートムーブメント、Cal.9S85を完成させたのでした。

輪列構成で比較する、8振動と10振動の違い。

8振動

Cal.9S5系やCal.9S6系ムーブメントは8振動ムーブメントです。動力ぜんまいが香箱車を回転させる力が2番車→3番車→4番車へと伝達されます。その一方で、一定のリズムで振動するてんぷによって動かされるアンクルががんぎ車の動きを規制。それによって歯車の回転が調整され、腕時計の針を正しい速度で動かすことになります。

10振動

高速で振動する10振動ムーブメントの場合、パーツに加わる力が大きいため、それぞれの耐久性を高める必要があります。そこでCal.9S8系では、4番車とがんぎ車の間に「がんぎ中間車」を挟んでいます。これにより4番車の歯を大きくし、耐久性を向上させました。これはかつてグランドセイコーに使用したCal.45系の輪列構造と同様です。

10振動を可能にした、独自設計のパーツ。

香箱車

香箱車の中に納まる動力ぜんまいは、コバルト系の合金である「SPRON530」。ばね力を向上させただけでなく、ぜんまいの形状自体も改良しました。

がんぎ車

がんぎ車とアンクルの摺動(しゅうどう)部分の耐久性を向上させるために、がんぎ車の歯の先端に段をつけることで潤滑油を保持しやすくしています。

アンクル

がんぎ車の動きを規制するアンクルはMEMS 技術により慣性モーメント比で25% の軽量化に成功。てんぷの振り角の経時低下を抑制するなど精度の安定化にも寄与しています。

てんぷ

コバルトや鉄、ニッケルなどに加え、耐磁性の金属も加えて新規開発した「SPRON610」をひげぜんまいに採用しました。毎秒10 振動(5 往復)という高速で動きます。

グランドセイコーの技術力が、実現を引き寄せた。

高い精度を実現させるためには、高振動ムーブメントを開発すればよい。これは、1960年代に開催された天文台コンクールの結果を見れば明らかでした。しかし現在でも多くのブランドがその技術を実用化できないのは、高振動化と長時間持続、高い耐久性を両立できないのが大きな理由のひとつです。その証拠に、毎時36,000振動のハイビートムーブメントを、量産モデルに搭載しているブランドはグランドセイコーを含めてもごくわずか。高振動化というのは、それだけ高難度の技術なのです。

しかもグランドセイコーでは、スイスのクロノメーター認定を凌駕する基準をもつ「新GS 規格」を設定しており、平均日差は−3〜+5秒に収めつつ、約55時間というロングパワーリザーブも有します。一般的には高出力のマシンほど燃費は悪く耐久性も低い。しかしグランドセイコーはハイビートでありながら約55時間という持続と高い耐久性という相反する性能をもつ“超性能ウオッチ”を、過去の遺産と現代の技術を融合させることで、実現させているのです。

端正で美しく、視認性に長けた腕時計の内側には、セイコーの叡智が詰まったムーブメントが収まっています。これこそが、腕時計界の技術革新の果てにたどり着いた、“究極の総合科学”なのです。

Grand Seiko SBGH201

2009年に誕生したハイビートモデル「SBGH001」の伝統を受け継ぎ、10振動のCal.9S85を搭載。ムーブメントの仕上げも美しい。最大巻上げ時で約55時間も連続駆動し、静的精度は平均日差− 3〜+5秒。セイコースタイルに則った端正なデザインにブルーの秒針が目を惹きつけます。自動巻、ステンレススチールケース、ケース径40.2㎜、マスターショップ限定モデル、620,000円+税

※価格は2017年10月現在のメーカー希望小売価格(税抜き)を表示しています。