【グランドセイコー、未来へ紡ぐ10の物語】Vol.7 寄り添い高め合う、信州と岩手というふたつの文化。

  • 写真:宇田川 淳
  • 文:篠田哲生

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日本が世界に誇る最高級の腕時計ブランド「グランドセイコー」。1960年の誕生から現在に至るまで、腕時計の夢を叶えようと挑戦を続けてきた物語を紹介します。

1960年、スイスの最高級品に挑戦する国産の最高級品として、正確で見やすく美しい腕時計を目指して誕生した「グランドセイコー」。グローバルブランドとしてさらなる飛躍を目指す今年、誕生から今日にいたるまで様々な困難に立ち向かい、腕時計の夢を叶えようと挑戦を続けてきたその物語を、全10話の連載記事でご紹介します。

伝統と高度な技術に裏打ちされたグランドセイコーが、どこで製造されているのかご存じでしょうか。信州と岩手のふたつの自社工場で、徹底した管理のもと世に送り出されているのです。戦後の復興を経て、切磋琢磨しながら成長していった、それぞれの物語をひも解きます。

ふたつの文化の歩みこそ、グランドセイコーの歴史である。

左:諏訪精工舎(現セイコーエプソン)は、クオーツ技術を牽引。1999年には「スプリングドライブ」ムーブメントも完成させました。写真の「SBGA011」は2005年発売のスプリングドライブブライトチタンモデル。右:第二精工舎(現在のセイコーインスツル)は1970年代半ばから中断していた機械式グランドセイコーの製造を1998年に再開。写真は初の機械式3日巻「SBGL001」

掛時計などを製造していた「精工舎」は、腕時計製造部門を分離独立させる形で、1937年に「第二精工舎(亀戸)」を設立しました。しかし第二次世界大戦の戦局の悪化とともに、東京・亀戸にあった第二精工舎は疎開を余儀なくされます。亀戸工場は戦災によって壊滅状態になり、戦後の復興期になっても腕時計を製造できる状況にはなかなか戻れませんでした。そこで腕時計事業を牽引したのが、疎開先のひとつであった「第二精工舎諏訪工場」でした。

グランドセイコーとは、この「第二精工舎(亀戸)」と「第二精工舎諏訪工場」という二工場による切磋琢磨の歴史ともいえるでしょう。戦後、第二精工舎諏訪工場では “高精度” という明確な指標がある紳士用腕時計を中心に製造を行い、「マーベル」や「ロードマーベル」、そして「クラウン」などを手がけました。1959年には、時計部品製造などを行っていた大和工業と第二精工舎諏訪工場が合体して、「諏訪精工舎」が誕生。ここから「初代グランドセイコー」が生まれることになるのです。

一方、戦後も生産環境が整わない第二精工舎の亀戸工場は、まずは婦人用腕時計の製造を強化し、デザイン面に磨きをかけていきました。ただしグランドセイコーは、いわば“諏訪が開発した腕時計” であるため、第二精工舎亀戸工場の製造は認められませんでした。1958年には高性能の紳士用腕時計「クロノス」をつくっていましたが、そのノウハウを活かしたモデルも「グランドセイコー」よりは廉価な「キングセイコー」として発売せざるを得なかったほど。1967年に第二精工舎初のグランドセイコー「44GS」が誕生しますが、同年に諏訪精工舎製のGS初の自動巻モデル「62GS」が発売されたことで、短命に終わってしまいます。「第二精工舎(亀戸)」と「諏訪精工舎」はどちらもグランドセイコーをつくっていますが、その出自は異なります。しかしふたつの哲学が融合し、切磋琢磨がほかにない魅力を生む原動力となったのも事実なのです。

これまでの諏訪精工舎と第二精工舎の歩み。

諏訪精工舎

1960年 3180ムーブメント

過去のムーブメントの長所を活かし、さらにセコンドセッティング装置や緩急針微動調整装置が付き、エピラム処理まで施されて1960 年に完成したCal.3180 は、初代グランドセイコーに搭載された記念碑的ムーブメント。

1968年 61GS

国産初の自動巻10 振動のモデル。10 振動化により外部からの振動、姿勢差、振角の変化などによる精度への影響が小さくなり、携帯中も非常に安定した高精度を実現した。自動巻の巻上方式には” マジックレバー” 方式を採用。



1969年 61GS V.F.A.

クオーツ化が進行していく時代の中で機械式腕時計の頂点を目指した“ 究極の腕時計” こそが、「V.F.A.(Very Fine Adjusted)」モデルだ。熟練の職人が徹底的に調整を行うことで、月差± 1 分という空前絶後の高精度を実現していた。


より高精度な、紳士用の機械式腕時計を追求。

戦後、いち早く腕時計製造を軌道に乗せるため、市場規模が大きく、ユーザーの好みも明確な紳士用腕時計を主力とした「第二精工舎諏訪工場」。その後「諏訪精工舎」となり、生産規模を拡大。自動巻や高振動など技術への探求心が強く、クオーツ式やスプリングドライブ式ムーブメントを世界に先駆け実現させた。



第二精工舎〈亀戸)

1965年 4402ムーブメント

「グランドセイコー」に対し、1961 年に第二精工舎(亀戸)で製造された「キングセイコー」は、「クロノス」のムーブメントがベース。1961 年当初はセコンドセッティング装置も付いていなかったが、その後「44A」、「4402」へと改良。

1968年 45GS

第二精工舎( 亀戸) としては、1967 年の44GS に続く二代目のグランドセイコー。手巻式でムーブメント厚はわずか3.5mm。先に発売されていた61GS とともに、その当時グランドセイコーの10 振動の商品群を形成した。

1969年 45GS V.F.A.

61GS V.F.Aと同様、機械式究極の高精度腕時計。ひげぜんまいに特殊な内端カ―ブをつけ、その重心移動を極小化した。このカ―ブの調整には非常に高度な技術を要するが、天文台コンクールで培った調整技術を適用した。


婦人用を中心とした、ファッション的な価値を重視。

戦災によって長く生産体制が整わなかったため、デザイン性が問われるが生産本数が少ない婦人用腕時計を主に担当。後年腕時計がファッション化するにつれ、そのデザイン力が磨かれていった。長年ムーブメントパーツの研究開発を行っており、機械式腕時計への思い入れは強く、1998 年には機械式GS の製造を復活させた。


※掲載している時計の写真は、一部、発売時の仕様とは異なるものがあります。

文字板に込めた、それぞれの製造地への想い。

現在のグランドセイコーも、ふたつの拠点で製造されています。諏訪精工舎は現在では「セイコーエプソン」となり、長野県塩尻市にてクオーツモデルとスプリングドライブモデルを製造。一方、第二精工舎の流れをくむ「セイコーインスツル」は、岩手県雫石町にて機械式モデルを製造しています。塩尻と雫石でつくられるグランドセイコーは、どちらも高い精度と品質を誇る自社製造ムーブメントを搭載し、視認性と実用性、高級感を追求した“セイコースタイル”を基準としています。そのため、両社から生まれる腕時計が大きく異なるということはありません。

しかし設計思想や商品哲学、さらには技術に対する思考の違いなど、ふたつの会社が築き上げてきた腕時計文化はいまでも生きています。こういった個々の能力を、グランドセイコーという形で集約させることで、重層的な魅力が加わるのです。

その一例が、腕時計の顔たる「文字板」。製造地への敬意を込めた特別仕上げを施しているのです。スプリングドライブモデル「SBGA211」は、塩尻の工房から望む穂高連峰に積もった雪をイメージした通称「信州の雪白(ゆきしろ)ダイヤル」。一方機械式モデル「SBGJ201」は、雫石高級時計工房から見える名峰岩手山の力強い尾根を表現した「岩手山の尾根ダイヤル」。どちらも生産地への思いが実際に表現されているのです。

なぜグランドセイコーは、ここまで生産地にこだわるのでしょうか?

そもそも時計産業というのは労働集約型産業であり、工場がある地域の人々を雇用し、親子何代も同じ工場に勤めることも珍しくありませんでした。つまり“郷土の誇り”として製品をつくってきたのです。だからこそグランドセイコーもそれぞれの伝統に敬意を払い、製造地を大切にしているのです。

グランドセイコーは機械式、クオーツ式、スプリングドライブ式という特性の異なるムーブメントを使って腕時計をつくる世界的にも稀有な腕時計ブランドです。それは「第二精工舎」と「諏訪精工舎」というふたつの会社が切磋琢磨してきた結果であり、そのルーツを大切にする気持ちは、少しも失われていないのです。

信州

「信州の雪白ダイヤル」は2005年10月に発売されたスプリングドライブモデル「SBGA011」にて初採用。Cal.9R65は輪列と受の形状で穂高連峰の山並みを表現し、文字板でも信州の美しさを表現したいというデザイナーの一念から開発がスタート。厳しい寒さが生むザラザラした雪面を表した質感が特徴。


岩手

左写真:田中正秋/アフロ

「岩手山の尾根ダイヤル」が初登場したのは、グランドセイコー初の機械式3日巻ムーブメントCal.9S67を搭載し、2006 年に発売された「SBGL001」。雫石高級時計工房から見える名峰岩手山の山肌に刻まれた無数の尾根を、文字板上で表現。冬の白色、秋の茶色、初夏の緑色などの種類が存在する。


右写真:小宮山隆司/アフロ

COLUMN 製造のヒントは、1971年につくられたモデルから。

「誰も足を踏み入れていない、ザラザラとした雪面を表現したい」というデザイナーの熱意に応えるべく、文字板担当者が見つけてきたのが、写真の1971 年製の「56GS」。このモデルと同じような凹凸をつくるために文字板の型を製作。諏訪精工舎の技術と伝統が、何十年もの時を経て、見事に融合したのでした。

ともに歩み結実した、ふたつの誉れ高き腕時計。

高精度な腕時計を追い求め、独自技術を開発し続けてきた諏訪精工舎の哲学は、セイコーエプソンとなってからも健在。1999年に完成したスプリングドライブ技術は、2004年にグランドセイコーへと投入された。生真面目な信州人の気質そのままに、一歩ずつ実績を重ねてきた結果だからこそ、文字板に“信州の誇り”を取り入れたかったのでしょう。

一方、セイコーインスツルの「岩手山の尾根ダイヤル」の原案は、1996 年に考案されていました。しかしこの高級文字板に対するニーズはなく、しばらく眠っていたのです。ところが1998 年に機械式グランドセイコーが復活し、手仕事の価値が再評価されたことをきっかけに、この案が再浮上。グランドセイコー初の機械式3日巻ムーブメントなど、節目を飾るモデルに使われるようになりました。

どちらも製造には、多くの手間と時間を要するため、特別なグランドセイコーにしか採用されません。しかしそのディテールからは、ふたつの工場が切磋琢磨して築き上げたグランドセーコーの歴史が見えてきます。グランドセイコーとは、つくり手の信念とルーツに対する誇りが詰まった腕時計なのです。


Grand Seiko SBGA211(左上)

約3日間連続駆動するCal.9R65を搭載。ザラつきを演出した白文字板の上に映えるブルーの秒針は、連峰の上に広がる青い空をイメージ。6、9、12時位置のバーインデックスをくさび型にして、力強さを演出。パワーリザーブ表示も、格好のアクセントになっている。自動巻スプリングドライブ、ブライトチタンケース、ケース径41.0㎜、マスターショップ限定モデル、620,000円+税

Grand Seiko SBGJ201(右下)

グランドセイコーのデザインコードである“セイコースタイル”を意識し、ケースは歪みのない鏡面仕上げ。繊細なダイヤルにより針やカレンダーも読みやすい。ブルーの針は24時間で一周する。時針とともに用いてデュアルタイムとして使用できる。自動巻、ステンレススチールケース、ケース径40.0㎜、マスターショップ限定モデル、670,000円+税

※価格は2017年9月現在のメーカー希望小売価格(税抜き)を表示しています。