【グランドセイコー、腕に輝く9の物語。】Vol.7「9F」に搭載された、“緩急スイッチ”の意味。

  • 写真:溝口 健
  • 文:迫田哲也

Share:

日本が世界に誇る最高級の腕時計ブランド「グランドセイコー」。長い年月をかけて生み出された“クオーツを超えるクオーツ”キャリバー9Fと“伝統と革新のメカニカル”キャリバー9S、ふたつのキャリバーを紐解きます。

日本が世界に誇る最高級の腕時計ブランド「グランドセイコー」。デザイナーと技術者が限界に挑戦し生み出されたキャリバー9Fとキャリバー9S、ふたつのキャリバーの秘密に迫ります。

機械式を凌駕する高精度を実現するクオーツ式腕時計。その源となる水晶には個体差があるため、グランドセイコーにふさわしい水晶を選び出すには、特殊な行程と膨大な時間が必要となります。さらにキャリバー9Fには、超高精度を維持するために、クオーツにはめずらしい”ある機構”が備わっているのです。

クオーツは精度調整できないという誤解。

年差という高精度を誇るキャリバー9F。非常な高温や低温が続く状態などで誤差が生じる可能性を考慮し「緩急スイッチ」が搭載されている。

振り子の等時性の原理が発見されたのは、1583年。現在の機械式腕時計の精度を司る「てんぷ」も、「ばね振り子」であるから、いまだにその原理を利用している。調速機構に振り子の原理を使わないムーブメントを代表するのが、20世紀に登場したクオーツである。

しかし、その高精度を維持するのは簡単ではない。水晶からつくられる超小型の音叉型水晶振動子にはどうしても個体差が生じてしまう。そのなかからキャリバー9Fにふさわしい高精度を維持できるものを選別するのである。その方法は「エージング」。水晶に90日間、通電し、振動させ続ける。その間、加工段階で生じたひずみが解消され、本来の性能が出てくる。そこで初めてキャリバー9Fに搭載する水晶振動子が選ばれる。いわば90日間の修業をするのである。

機械式腕時計のてんぷは、重力と腕の動きに強く影響を受けるが、水晶振動子は温度の変化で振動数を変えてしまう。そこでキャリバー9Fは1日に540回、ムーブメント内部の温度を測り、水晶の振動数のずれを微妙に調整する。この機構なしで年差の実現は極めて困難だ。

その上、さらにキャリバー9Fには「緩急スイッチ」という機構が搭載されている。機械式ムーブメントの緩急針と同じく精度を調整するためのものである。年差とはいえ環境によっては進み遅れが生じない、とは限らない。その万が一に備えての機構だ。

ところがキャリバー9F搭載のグランドセイコーが発売されてから25年、この機構を必要とするほどの誤差はいまだ報告されていない。あなたはこの機構は無駄なのだ、と考えるだろうか。それとも、いかにもグランドセイコーらしい機構だ、と考えるだろうか。

キャリバー9Fを読み解く。

振り子から水晶へ。

高温高圧容器内で精製される水晶。

初期の機械式時計や和時計では、慣性モーメントを利用した「棒てんぷ」という仕組みで時計を制御しましたが、1日に1時間ほどの誤差が生じてしまうものでした。ガリレオが発見した「振り子の等時性」は、機械式時計の精度を飛躍的に高め、その振り子は、17世紀にひげぜんまいを使うばね振り子、つまり「てんぷ」へと小型化と高精度化を果たしたのです。振り子の原理に依存しない水晶時計(1927年)は高精度でしたが、巨大な箪笥ほどのサイズ。それが1969年のクオーツアストロンへ、体積では数十万分の1にまで小型化されたのです。水晶時計から水晶腕時計へのイノベーションには40年以上かかったということになります。

IEEEマイルストーン賞への道程。

直径1㎜に収まる音叉型水晶振動子。

交流電圧を加えると水晶は規則正しく振動します。その原理を応用した水晶時計は温度変化に弱いことが課題でしたが、1930年代に日本人科学者が、特定の角度でカットされた水晶は温度変化に強いことを発見。1958年にロッカーほどの大きさの水晶時計を開発したSEIKOは、約10年で音叉型の水晶振動子、低消費電力のICそしてオープン型ステップモーター(超小型モーターのパーツをムーブメントの隙間に分散して配置する仕組み)を開発しました。この世界初のクオーツ腕時計は発売から35年後、IEEE(米国電気電子学会:アメリカに拠点をおくエレクトロニクスの専門家組織)から歴史的偉業として「マイルストーン賞」が贈られました。

「緩急スイッチ」とは何か?

緩急スイッチを備えるキャリバー9F82。

機械式腕時計に「緩急針」という機構が備えられていることをご存じでしょうか。機械式の歩度調整にはいくつも方法がありますが、緩急針はてんぷのひげぜんまいの可動域を微調整することによってそれを行います。さて、キャリバー9Fの部品(回路受)にも、+と−の目盛りが刻まれた「緩急スイッチ」があります。名前は似ていますがそのメカニズムは、回路を切り替え、ある周期ごとに補正を加えることで、精度を調整するというもの。たとえるなら暦を調整する「うるう年」を設定することに近いかもしれません。緩急スイッチの目盛りひとつは、1日当たり0.0165秒。1ヶ月で約0.5秒に相当します。高精度な機械式の100倍以上の精度を有するだけに、調整単位も桁が違います。

キャリバー9F搭載のスタンダード。

1967年の「44GS」によって確立された「セイコースタイル」を継承するデザインに、世界最高峰のクオーツムーブメント「キャリバー9F82」を搭載。超高精度と美しい輝き、高い視認性を実現した「グランドセイコーを代表するスタンダード」を選ぶとすれば、まずこの一本を候補とする人も多いでしょう。

Grand Seiko SBGV205

GSならではの薄金色に輝く文字板に太く長い時分針、そしてテンパーブルーの秒針。オーソドックスであるからこそ、その仕上げには一分の隙も許されません。日付カレンダーは目にもとまらぬ速度で切り替わります。裏ぶたでは伝統の獅子の紋章が咆哮しています。精度は当然、年差±10秒。クオーツ、ステンレススチールケース、ケース径40.0㎜、マスターショップ限定モデル、320,000円+税

※価格は2018年9月現在のメーカー希望小売価格(税抜き)を表示しています。