【グランドセイコー、腕に輝く9の物語。】Vol.6 進化したハイビート機、キャリバー9S85の真価。

  • 写真:溝口 健
  • 文:迫田哲也

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日本が世界に誇る最高級の腕時計ブランド「グランドセイコー」。長い年月をかけて生み出された“クオーツを超えるクオーツ”キャリバー9Fと“伝統と革新のメカニカル”キャリバー9S、ふたつのキャリバーを紐解きます。

日本が世界に誇る最高級の腕時計ブランド「グランドセイコー」。デザイナーと技術者が限界に挑戦し生み出されたキャリバー9Fとキャリバー9S、ふたつのキャリバーの秘密に迫ります。

機械式時計にとっての命題である高精度を実現するには、「てんぷ」の振動数をあげることが有効です。しかしそれは腕時計の持続時間を短くすることにもつながります。持続時間を減らさず、さらなる高精度を目指すためにグランドセイコーがつくりあげた、まったく新しいムーブメントとは?

キャリバー9S、10振動への挑戦。

キャリバー9S85。グランドセイコーのラインアップに約40年ぶりの10振動ムーブメントが帰ってきたのは、2009 年のことだった。

機械式時計の精度を上げる方法は端的にいえばふたつある。精度を左右する「てんぷ」を大型化するか、あるいはその振動数を増やすか。しかし腕時計のサイズは、てんぷの大きさを制約する。かといって振動数を増やすと、持続時間が短くなり、部品の磨耗を防ぐ保油性の確保も難しくなる。では、どうするか?

キャリバー9Sをさらに高精度化するためのプロジェクトが動きだした。
「やってみろ」。まだ20代だったエンジニアF 氏が上司からそう言われた時、彼は心の中で快哉を叫んだという。まず過去のさまざまなムーブメントを分析し、社内の膨大な技術資料を読み込み、不明点を先輩エンジニアに確認する。その上で盛岡にある試作部門の協力を得て、10振動の機械式ムーブメントを実験的につくり上げる。その過程で、F氏の頭の中には新しい高精度ムーブメントの青写真が描かれていく。

課題は、矛盾の克服だった。実用的な高精度を実現するためには、てんぷの振動数を増やすのが王道だ。しかし、持続時間は減らさない、保油性も確保する。つまり耐久性も維持する。油切れによる故障が多いとも言われる10振動のイメージを覆し、毎日身に着ける腕時計に必要な要素をなにひとつ犠牲にしない、グランドセイコーにふさわしい10振動ムーブメントをつくろう。

そのための鍵は、機械式腕時計のパワーと精度を担うふたつのぜんまいの新素材開発と、桁違いの超精密加工技術による「脱進機」の保油性能の向上にあった。こうして2009年、キャリバー9S85は誕生した。それはまた、グランドセイコーの21世紀のメカニカルムーブメントの進化を担うバトンが、新しい世代の時計師に託されたことも意味していた。

キャリバー9Sを読み解く。

機械式腕時計の振動数とは?

1968年に発売されたハイビート機45GS。

機械式腕時計のチチチという音、それは、振り子のように規則正しく往復運動を繰り返す「てんぷ」と連動するアンクルの爪が、「がんぎ車」という歯車に当たる音。その音が1 秒間に8回聞こえれば、そのムーブメントは8振動です。腕時計は重力以外に腕の動きそのものの影響を強く受けます。その影響を減らすためにてんぷの振動数はある程度多いほうが望ましいのですが、10振動以上のムーブメントが世界に数えるほどしかないのは、部品の耐久性を確保することがいかに困難であるかを物語っています。グランドセイコーは1960年代からキャリバー4520や6145など10振動ムーブメントを搭載したモデルを発売し、高精度を追求してきたのです。

ぜんまいを素材から開発する。

動力ぜんまいが納められた「香箱」。

てんぷの振動数を増やすと、その分だけ動力ぜんまいのエネルギーを多く消費します。8振動を10振動にするには1.5 倍のトルクが必要となり、持続時間は40%近く短くなってしまいます。また、てんぷの一部であるひげぜんまいも耐衝撃性能を高め運動エネルギーを効率よく保持することが必要となります。セイコーインスツルは半世紀以上前から大学や研究機関と連携し、ぜんまいの開発に取り組んできたのです。9S85の動力ぜんまいは約6年を経て開発された「スプロン530」。ひげぜんまいの「スプロン610」は誕生までに約5年を必要としました。そのどちらが欠けても、グランドセイコーの10振動、キャリバー9S85は存在しえなかったのです。

超精密加工技術は、なにを可能にしたのか?

脱進機を構成する「がんぎ車」。

新しい10振動機には各部品の精度向上も欠かせない要素でした。たとえばてんぷはシンプルな形状ですが、100万分の1グラムまで追い込まれた加工精度が、正確な往復運動に貢献しています。なかでも、半導体製造で培われた超精密加工技術がなければ、キャリバー9S85の脱進機は生まれなかったでしょう。MEMS(Micro Electro Mechanical Systems)と呼ばれる電気鋳造の技術で、切削加工では不可能な複雑加工が行えます。がんぎ車・アンクルを肉抜き軽量化し、さらにがんぎ車の歯先に段差を設け、保油性を高めることに成功した結果、耐久性の向上を実現したのです。いくつもの技術の進化が21世紀のハイビートを支えていることがわかります。

復活ではなく、新生のハイビート。

1968年、グランドセイコーは国産初の自動巻10振動モデルを発売しました。その41年後、グランドセイコーに再び10振動ムーブメントが搭載されました。過去の10振動より高いハードルを設定して開発されたキャリバー9S85は、21世紀のハイビートと呼ぶにふさわしい精度と信頼性を実現しています。

Grand Seiko SBGH201

白いダイヤルを60 秒で1 回転する秒針。その美しいブルースチールが、文字板上に唯一存在する色彩です。研ぎ澄まされたセイコースタイルの意匠は、その内側にある10振動キャリバー9S85に勝るとも劣らない精度をもちます。最大巻き上げ時約55時間駆動。静的精度は平均日差‒3~+5秒。自動巻、ステンレススチールケース、ケース径40.2㎜、マスターショップ限定モデル。620,000円+税

※価格は2018年8月現在のメーカー希望小売価格(税抜き)を表示しています。