薬草園に誕生した、クラフト蒸留所「mitosaya」【後編】。魅惑の“オー・ド・ヴィー”はいかにしてつくられるのか?

  • 写真:江森康之
  • 文:西田嘉孝

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ブックショップの経営やアートブックの出版など、本に関する活動をしてきた江口宏志さんが、新たな挑戦の舞台として飛び込んだ蒸留酒の世界。薬草園に蒸留所を開設するまでの経緯を紹介した前編に続き、後編では「mitosaya」で生まれるオー・ド・ヴィーの製法や、その魅力に迫ります。

「さまざまなところに出掛けていって果物を収穫したり、野生のハーブを摘みに行ったり。ドイツでは、そうやって自分たちで集めたものを使ってお酒をつくっていました。大変だったけれどそれが楽しくて……。なので、ここでも同じようなことをやっています」。江口さんがそう話す通り、「mitosaya」の酒づくりはまず自分たちで“顔が見える”原料を集めるところから始まります。果物などでつくられる酒は、原料に含まれる糖を酵母の働きでアルコールと二酸化炭素に分解することで生まれます。つまり、糖を含む果物や木の実、花などはすべて酒の原料になり得ますが、なんでも酒にすればおいしいかというと、そうではありません。また、それ自体は酒の原料にならないハーブなどのボタニカルも、ベースになるスピリッツに漬け込むことで、フレーバーとなってアクセントを与えてくれます。「mitosaya」では、どのように酒づくりが行われているのか? 蒸溜所の内部に潜入しました。

※前編の記事はこちら

可能性を探りながら、特別な‟おいしい”を見つける。

発酵タンクが並ぶ醸造発酵室。中央の木桶は、巨大な吉野杉製で容量は3000L。香川県小豆島にある醤油蔵の若手の職人が、杉と真竹だけでつくったもの。

原料にどんなものを使えば、どんな酒ができるのか。いわば実験のようにトライ&エラーを繰り返し、あらゆる可能性や組み合わせの中から特別な‟おいしい”を見つけ出す。そんな「mitosaya」の酒づくりの心臓部となるのが製造棟です。

原料の粉砕などの加工や発酵から、蒸留、熟成、ブレンドや瓶詰めまで、機能ごとにスペースが区切られたコンパクトな棟は、もともと資料展示館として使われていた建物を再利用しています。「まずは醸造発酵室から行きましょう」と、江口さんが酒づくりの工程順に案内してくれました。

大多喜町の農園から仕入れたばかりのミニトマト。50kgのトマトを使い、実験的にオー・ド・ヴィーを仕込む予定です。
トマトを味見する江口さん。一般的なトマトの糖度が4~5度前後なのに対して、こちらのトマトは10度を超えるものもあるとか。

「いまは、ナシやリンゴ、ミカンやブドウなどの発酵を行っています。このトマトは今朝、大多喜の農家さんから仕入れたもの。食べてみるとすごく甘くておいしくて。夏は熟れすぎて出荷できないトマトがたくさん出るらしいので、それをまとめて使ってつくりたいなと。その前に、実験的に蒸溜してみようと思っているんです」。江口さんによれば、ヨーロッパではトマトのオー・ド・ヴィーをつくる人もいるそうです。

原料は、まずマッシャーと呼ばれる機械で粉砕します。たとえばトマトならヘタを取るかどうか、果物なら皮や種を残すかどうかといった細かな加工の違いが、発酵の進み具合や出来上がるオー・ド・ヴィーのフレーバーなどに影響します。

ようやく発酵が終わりに近づいたというミカンのタンク。こちらは完全な自然発酵。必要に応じてフルーツブランデー用の酵母が使われます。
ライススピリッツに漬け込まれるイチゴ。他にもカモミールやミツマタの花が漬け込まれたタンクも。

「ほぼすべてのタンクで違うものをつくっていますね」。江口さんがそう話す、ワンバッチ(一仕込み)に相当する約100~300Lの発酵タンクは、ステンレス製とプラスチック製のものが20基以上並びます。蓋にミカンと書かれたタンクには、発酵開始の日を示す12月26日の文字が。こちらは半年近く経って、ようやく発酵の終わりが見えてきたところ。「今年は寒かったのでなかなか発酵が進まない(笑)。温度管理をすればいいのかもしれませんが、いまは自然のままで発酵を行っています」

中心に置かれた巨大な木桶は、香川県の小豆島から運ばれてきたもの。日本伝統の木桶醸造の文化を後世に伝える活動をする、「木桶職人復活プロジェクト」でつくられた木桶です。

「ドイツで木桶の発酵は見たことがありませんが、日本には独自の発酵文化があるので、木桶を使うのも日本らしくていいなと。まだ使ってはいませんが、今後は木桶での仕込みも始めたいと思っています」と、江口さんは話します。

愛用の道具を使ってつくられる、スモールバッチの蒸留酒。

蒸留機は、「mitosaya」の設備・技術面などをサポートしているコエドブルワリーから譲られたもの。二層になったポット(釜)をガスバーナーで加熱して蒸留を行います。

次に案内してもらった蒸留室には、小さな蒸留機がひとつ。「約30年前に製造されたドイツ製の連続式蒸留機で、容量はたったの150L。大きな蒸留所からすれば趣味でつくっているようなものかもしれません(笑)」と、江口さんが愛情たっぷりに紹介してくれました。

発酵を終えた醪(もろみ)のアルコール度数は、果物なら10%前後。それを蒸留機に投入して加熱し、蒸留を繰り返すことでアルコール度数がどんどん上がっていきます。そうしてアルコール度数を高めると同時に、醪に含まれるさまざまな香りや味のもとになる成分を、凝縮・抽出することも蒸留の大きな目的。どのような香味成分をどれくらい抽出できるかは、留液を回収するタイミングで異なります。そのため、タイミングを見極めて、留液のうち最も好ましい部分だけをミドルカットし、次の熟成の工程に回します。

「最近の蒸留機のように機械制御ではないので、すべて手動で香りや味、度数などを見ながらミドルカットしています。極小の蒸留機なので生産量は限られてしまうものの、構造はシンプルで使い勝手も抜群。このサイズだからこそいろいろな挑戦もできますし、初代機としてはすごく気に入っています」

そう話す江口さんにとって、この小さな蒸留機はいわば大切な“相棒”です。

蒸留されたオー・ド・ヴィーが並ぶ熟成室は、ライティングされていて幻想的な雰囲気。各瓶に付けられた紙製のラベルはオリジナルでつくったもの。
柑橘系が原料のものは油分が多く、蒸留したては真っ白。それが徐々にクリアな色に変化していきます。ミドルカットでおいしい部分だけを取り出すため、1回の蒸溜で得られる量は、この一瓶分とごくわずか。

蒸留されたオー・ド・ヴィーは、バッチ毎にガラス瓶に詰められて熟成室へ。この日は暑いくらいの陽気でしたが、熟成室の中はひんやり。「人工的な温度管理はなるべくしたくなかったので、断熱材を使ったり密閉性を高めたり、熱交換式の換気扇を使ったりして、なんとか環境を維持しています」と江口さん。

日本ではあまり見ない形状のガラス瓶は、ヨーロッパの農家などでよく使われているもの。「日本にある一斗瓶のようなものでしょうか。密閉性が高くて保存もできるし、液体の色が見たいのでこれを使っています」。こうした道具のひとつにも、こだわりが詰まっています。

江口さんによるとここでの熟成の目的は、蒸留したばかりのオー・ド・ヴィーの組成を落ち着かせること。

「フルーツなどの香味をそのままお酒にしたいという思いがあるので、まずはお酒への影響が少ないガラス瓶やホーロー製の瓶を使っています。いずれは木樽を使った熟成などにもチャレンジしたいですね」と、将来的な構想を語ります。

成田市の生産者によるバナナを使ったオー・ド・ヴィー。今度は、このバナナとバナナに似た甘い香りがする薬草園のカラタネオガタマの花を合わせてつくってみたいとか。

無限に広がるクラフトスピリッツの可能性。

蒸留所の設計は建築家の中山英之さん、アートディレクションはグラフィックデザイナーの山野英之さんが担当。WATの石渡康嗣さんをはじめ、苗目の井上隆太郎さん、ウェブデザインを担当する谷戸正樹さんなど、他にも江口さんの仲間たちが集い蒸留所をサポートします。
温室を改装したテイスティングルームには、新たに山葡萄も植樹。薬草園から引き継いだガラス瓶に入った薬草の標本も空間を飾るオブジェとして活躍しています。
左から、「JUST WORMWOOD」100ml ¥2,000(税込)、「CHOC & MINT」500ml ¥8,000(税込)、「LEMON POI」500ml ¥9,200(税込)。

リリースされたばかりのオー・ド・ヴィーは、千葉県市原市のミカン農園で収穫した温州ミカンとmitosayaで収穫した4種の柑橘を使った「WINTER CITRUS QUINTET」をはじめ、アブサンとしては珍しくフレッシュなニガヨモギだけを使った「JUST WORMWOOD」、山形県南陽市のワイナリーで出たブドウの絞りかすを使ったグラッパに白梅の花を漬け込んだライススピリッツをブレンドした「GRAPPA MEETS UME BROSSOMS」。さらには千葉県鴨川市のレモン農家から仕入れたレモンに加えてレモンの香りが感じられる3種のハーブを使った「LEMON POI」、ライススピリッツにカカオニブやチョコレートミントの葉を漬け込んで蒸留したスピリッツに、地元の次郎柿でつくったブランデーを少量加えた「CHOC & MINT」など。原料もつくり方も、見事なほどにバラエティ豊かです。

何種類かストレートで飲んでみると、まさに収穫したての果実やハーブがフレッシュなまま、ぎゅっと凝縮されたような香りや味わいが広がります。たとえば「LEMON POI」のレモン感が本物以上に強くてまさにレモン“ぽい”風味だったり、「CHOC & MINT」が思った以上に甘いチョコミント風味だったり……。そのおいしさや新鮮な驚きに加え、つくり手である江口さんの顔が浮かんで思わずニンマリしてしまう味わいのものばかり。飲んでいて、つくり手とのコミュニケーションを楽しんでいるような感覚になれるのも、「mitosaya」のオー・ド・ヴィーの魅力かもしれません。

「お薦めはストレートで楽しむことですが、カクテルやデザートの香り付けに使っても面白いですよ」と江口さん。

左から、醪を使ったロウソク、「LEMON POI」500ml ¥9,200(税込)、「GRAPPA MEETS UME BLOSOMS」500ml ¥9,200(税込)、「JUST WORMWOOD」500ml ¥8,600(税込)、「GRAPPA MEETS UME BLOSOMS」100ml ¥2,200(税込)、「JUST WORMWOOD」100ml ¥2,000(税込)。オー・ド・ヴィーのパッケージにあしらわれた抽象画は、アーティストのクサナギシンペイによるもの。パッケージは今後、年度ごとに変わっていく行く予定とのこと。

「最近、熊本でおいしいオレンジをつくる農園を紹介してもらって、そこで収穫したネーブルオレンジでフルーツブランデーをつくりました。他にも、山形のサクランボに山梨のスモモ、京都の山椒と、全国の生産者さんに声をかけてもらっています。そういったつくり手の方にどんどん会いに行って、そこで出合ったものでまた新しいお酒をつくっていきたいですね」と江口さん。現在はほぼひとりで酒づくりを行っていますが、近々に新たなスタッフが加わる予定とか。「そうなればもう少したくさんつくれるかな(笑)。少しでも多くの人の手に渡るように、できるだけ生産量は増やしていきたいと思っています」と、今後の展望を語ってくれました。

月に一度のオープンデーでは蒸留所が一般公開され、薬草園や蒸留所の見学、これらのオー・ド・ヴィーの試飲も行えます。「mitosaya」が見せてくれるのは、私たちがまだ知らない新たなクラフトスピリッツの可能性。魅惑的なオー・ド・ヴィーの世界に、足を踏み入れてみてはいかがでしょうか。


mitosaya
千葉県夷隅郡大多喜町大多喜486
www.mitosaya.com